トイレの神様
日本では宗教的感覚があまり高くない=クリスマスと、仏教的法要などを一緒に行うため、というのもあながち外れてはいないような気がします。
仏教はお寺、では神社は?となると、それは神道となり、八百万の神の存在と結びつきます。10月は神無月で、神様はすべて出雲大社に行ってしまっているというのもこの話の延長。
日本人は古来から、森羅万象あらゆるものに、神がいると信じていました。ちょっとまえにヒットした「トイレの神様」(植村花菜さん)が良い例ですよね。
この考え方をさらに延長すると、森羅万象、物理的な物には霊性が宿る、魂がこもるという概念にもつながっていきます。
これもわかりますよね。なくなった家族、友人が使っていたものには何らかの特別な意味を感じてしまうこともあります。また、古ぼけたもの、打ち捨てられたものには、何か良くないものが宿っているかのようにも感じてしまいます。
「シャイニング」
この目には見えないが、どこかに存在しているように思えるものに取りつかれた男とその家族を描いたのがスティーブン・キング原作の「シャイニング」。霊的存在は、古ぼけたホテルに住み着いていて、管理人としてやってきた男の心を乗っ取っていく。
ジャック・ニコルソンが、ドアを斧で叩き破って、その隙間からニヤッと笑う顔を見せる場面は、古今東西の映画の思い出深い名シーンにあげられると思います。
そう、これに似たホテルが、カリフォルニアの荒涼とした大地、蜃気楼の彼方に、ときおり姿を現すのです。
「ホテルカリフォルニア」
物悲しい、泣きのギターが満載のイーグルスの「ホテルカリフォルニア」はジャケットの雰囲気からして、このホテルにはきっと何者かが、霊的な存在が住み着いているかのようにも思えます。
それは、一人ではなく、この蜃気楼のかなたに見え隠れするホテルを利用したことのある者たちすべての霊が住み着いている気がします。内ジャケットのぼんやりとした人の写真がそれを彷彿とさせます。
そして、誰かが訪れるのを待っているんです。
You can check out any time you like
But you can never leave!
はるか遠くに蜃気楼の彼方に、ぼんやりと現れたホテル。
何かが始まる予感がしますね。
*スピリット=文化。精神、意気込み。おそらくはウッドストックで最高潮に盛り上がったヒッピーやフラワームーブメントの事を指していると思います。その精神も今や失われたということを暗示しているのでしょう。
となると、ここは、過去に見捨てられて、現実をつかみ取れていない境目にある場所とも考えられます。
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ホテルに住み着いていた霊的な存在に取り込まれてしまった彼は、永遠に、彼自身も霊的存在となって、ホテルカリフォルニアの中をさまよっていくのでしょう。
そう、このホテルは、砂漠の向こう、蜃気楼のかなたに姿を現します。そのとき、偶然そこを通りがかかったなら、、、、、何者かに、霊的な存在に取り込まれてしまうことでしょう。