夢か現か幻か ~ 「檸檬」 さだまさし
夢の中の世界、または白昼夢なのか。
梶井基次郎の「檸檬」という小説にインスピレーションを得たというこの曲。
この小説がそうであるように、どこか現実とは違う世界の出来事のような印象があります。
小説「檸檬」
小説「檸檬」の男は、得体のしれない不吉な塊にさいなまされ、結果として、手当たり次第にガチャガチャした色彩から成る虚構の城を積み上げ、その頂に実物の檸檬を据えてしまいます。
その、さいなまれていたすべての不吉な塊や、その場の雰囲気や空気すべてを吸収するものとして。
楽曲「檸檬」
楽曲「檸檬」の女性は、えたいの知れない不機嫌な想い・塊を抱えている。
そしてその想いを檸檬にぶつけていく。その想いをすべて吸収させてしまうかのように。檸檬をかじった時に出る金糸雀色の水滴は、檸檬の断末魔なのかもしれないし、彼女自身の涙なのかもしれない。
そして、その檸檬を神田川に投げ捨てる。すべてを振り切るかのように。
黄色い色をした檸檬は、彼女の涙や想いの残渣だとすれば、横切る赤い電車の赤という色は、切り刻まれた心の中の血のイメージか。断末魔のような、川面の波紋が静かにゆっくりと拡がっていく。
喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う(一部引用)
もうそこには、これから新しい人生を歩まんとする女性しかいない。
男は、気持ちの整理がつかぬまま取り残される。
喰べかけの夢を聖橋から放る
各駅停車の檸檬色がそれをかみくだく(一部引用)
そして、男は、最後まで残っていた女性への想い、、おそらくその女性と描いていた夢と呼ぶべきものを、捨て去る決心をする。
投げ捨てた夢を横切る各駅停車の檸檬色は、女性が最後まで抱えていた想い・未練・不吉な塊の表れとするならば、その檸檬色にかみ砕かれた夢は、男の未練や名残惜しさといった感情か。
そして、男の夢と、女性の檸檬、それぞれの想いを抱えた波紋が、ぶつかり合う。異なる波紋の干渉。
重なり合って、強め合ったり、弱めあったりして、次第に消えていく。
この起伏は、彼らの人生の起伏に他ならない。それが次第に干渉しあって消えていく。
それは静かに消えていき、あとには何も残らない。
そしてお互いの想いが静かに消えていったことを確認し、スクランブル交差点で静かに、別々の方向に向かっていく。
あとには何も残らない。、、、、これは、夢か現か幻か。