「関白失脚」 さだまさし
1970年代ごろから、核家族化の進展と経済成長の鈍化により家父長制が徐々に崩壊していったことが父権喪失のプロローグでした。
このあたりは、ジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」がわかりやすくて、多摩丘陵をものの見事に十数年で切り開いて別世界にしてしまった。
それは、団地や住宅と、それを維持するインフラ(道路、線路、電線)整備です。
多摩ニュータウンは、都市への過剰な移住、核家族化の過度な進展の象徴のように思えます。
一方では、地方の人材不足が叫ばれ、農村は跡継ぎ問題、結婚問題が話題になりました。あれから30年~40年を経て、今度は限界集落や消滅都市が日常の話題になっています。
鈍化した経済成長が、華々しく一瞬燃え上がったのが1985年のプラザ合意に伴うバブル経済。
欧米では日本はエコノミックアニマルなどと呼ばれ、デトロイトでは日本車を燃やす騒ぎになっていたのが80年代末~90年代前半の出来事。(音楽の流行りの動きとリンクしています。楽しむものから怒りを発散するものへ。夢や愛を歌ったロックから生活現場の事をテーマにしたブラックミュージックへの転換)
日本の世相的には、24時間戦えるサラリーマンが世界で活躍する一方、いわゆるダメ社員と呼ばれる人種も現れます。
映画は文化を表しますが、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんはまさに。会社でそこそこ働くけれど、人生の醍醐味は釣りであるという、、会社にすべてをささげるのではなくて、自分のやりたいことをやっていくという、、、こういう生き方は、今でこそ普通といえますが、当時はアウトロー。ゆえに、この映画はヒットしたのだと思います。
浜ちゃんも家庭では奥様に頭が上がらなかったように、かかあ天下なる言葉が出てきたように、80年代バブル景気の陰では、父権はもはや無いも同然。ただでさえこんな状態なのに、さらにバブルが崩壊。
こんな時代背景が一層すすんで定着して、一般用語になっていた90年代前半に、「関白宣言」のアンサーソング「関白失脚」が発表されました。
この曲も、関白宣言同様、最後のほうに主題があるような気がしています。
俺には俺の幸せがある
君たちの幸せの為なら 死んでもいいと誓ったんだ(歌詞一部引用)
ここですね。おそらくどんな父親もこんな気持ちでいるのではないでしょうか。
ただ1994年当時は、まだまだ会社の出世や所得額がすべてだった時代。今以上に、男性サラリーマンは生きずらい時代だったのかもしれません。
こういう時代を経て、女性の社会進出もあり、海外ではEUで加盟国の国境が消え、徐々に、世界が多様化を認めつつ、一つになろうしていったのが21世紀に差し掛かるころだったのではないかと思います。
🔷以前、食彩アドコムさまのリクエストにお応えしたものです。今回は第二弾。
第一弾
第三弾
大きな森の小さな伝説
次回もご期待ください!