ケルト・アイリッシュミュージックのルーツを辿る旅 〜 Thin Lizzyの伝説その1、祖国の歴史が音楽に与えた影響
ケルトの音楽
これまでアイルランドを中心とした音楽について書いてきました。ロックンロール誕生につながる流れと、フォーク・トラッドシーンにつながる流れについて。
今回はアイルランドが生んだハードロックの英雄について語ってみようと思います。
主要登場人物は、Phil Lynott(フィル・ライノット)とGary Moore(ゲイリー・ムーア)、彼らが共演したバンドの名をThin Lizzy(シン・リジイ)といいます。
Thin Lizzy「Dedication」
※アイルランドの英雄という意味ではU2もいます。彼らについては以前書いております。
【参考】:アイルランドと英国の地理的な関係性(地政学的な)
(北アイルランドという地域は英国寄りに位置しています)
Phil Lynott(フィル・ライノット)~Thin Lizzy(シン・リジイ)
アイルランドのダブリンの繁華街にひっそりと佇んでいるブロンズ像があります。
この像のモデルとなったのはこの国の英雄ともいわれるロックシンガー&ベーシスト、フィル・ライノット。
見てのとおり、黒人の血をひいており、英国・グレートブリテンという地域と彼が育った時代を考えると、生きていくうえでそれなりの艱難辛苦があったことは想像に難くありません。
彼はThin Lizzy(シン・リジイ)というバンドを結成し、祖国の音楽的ルーツを辿り、トラッド路線からポップロック路線、晩年のハードロック化とすすみましたが、どの時代にも祖国アイルランドの音楽へのオマージュにあふれていました。
Thin Lizzy「Sarah」
そんな彼には盟友とも呼ぶべきギタリストがいました。
Gary Moore(ゲイリー・ムーア)
アイルランド出身の伝説的なギタープレイヤー、ゲイリー・ムーア。彼もまたアイルランドの伝統的な音楽をその楽曲に取り込んでいった一人です。
Gary Moore 「Parisienne Walkways」
フィルとゲイリーが出会い、音楽的な協業をしていくことで、数多くの伝説的な楽曲が生み出されていった。
今回は彼らの足跡をたどりつつ、フィルがリーダーだったバンドThin Lizzyに焦点をあて、アイルランドの音楽×ハードロックについて語ってみます。
アイルランドの音楽やミュージシャンに影響が濃い北アイルランド紛争
U2もクランベリーズもThinLizzyもゲイリームーアもアイルランドのミュージシャンにとって祖国の歴史は音楽的にかなりの影響を及ぼしています。
彼らが少年時代、または近い過去にどんなことがあったのでしょうか。
その一つが、北アイルランド紛争です。
北アイルランドの歴史は意外と新しく、2021年からみると100年ほど前に、英国によってアイルランドから分割された地域。結果として、地政学的な要因(英国とアイルランドの中間に位置する)もあったのでしょうが、カトリックとプロテスタントの宗教的な対立の場所となりました。
(北アイルランドはアイルランド同様、カトリックが多かったんですが、この分離統括以降、本土からプロテスタントが多数流入。結果としての対立の構図が生まれていきました。)
この地域は、英国の統治下におかれることになってしまいました。この動きは当然反発を生み、これが1916年に武装蜂起という形で具現化します。
「イースター蜂起」
1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起で、英国への反旗、英国支配終焉を目指す蜂起で、主導的役割を果たしたのが、アイルランド共和主義者。
蜂起自体は7日間ほどで終わっていますが、このことが結果として、支配への反攻には暴力も辞さないということの表明のようなものになり、アイルランド独立戦争を経て、長く続く戦乱の萌芽となりました。
このイースター蜂起をテーマにした反戦歌が、クランベリーズの「Zombie」です。1916年のイースター蜂起が歌詞に含まれています。
The Cranberries「Zombie」
この後、アイルランド共和国が認証されたとはいえ、北アイルランドは英国の統治下であり、紛争の火種は残ったままでした。第2次大戦が終結した後、1960年に再燃。いわゆるテロの嵐が吹き荒れることになっていきました。
とくに北アイルランドのベルファストや英国のロンドンで激化、、、、
この激化時代に起きたのが、「血の日曜日事件」。
「血の日曜日事件」
デモをしていた民衆に官憲側が発砲、14名が死亡したという事件。。。激化する闘争の中での警備強化が背景としてありますが、この事件は大々的なものでした。
U2は後にこのことを「Sunday Bloody Sunday」という楽曲にまとめています。
U2「Sunday Bloody Sunday」
しかし、もともと強引な分離統括による強圧的な境界線から始まった騒乱は、もっと大きな括りでの境界線が消失していくことで、沈静化していくことになります。
EUによる欧州の国境の消滅です。
この北アイルランド紛争は、フィルやゲイリーにも影響を与えていました。この史実を背景に、フィル・ライノットとゲイリー・ムーアが歌ったのが「Out in the Fields」という曲。
Phil Lynott & Gary Moore「Out in the Fields」
OUTというのは何かを強めるときなど、語呂合わせ的に使われるようですね。このFieldsとは戦場の事でしょう。
一歩、境界線を越えて踏み込むとそこは無法地帯。北アイルランド紛争に伴う内戦の状況をモデルに描かれた楽曲は、おそらく創作過程で、歴史や現実と向き合わざるを得ず、アイルランド出身の彼らの心中はいかばかりのものだったでしょうか。
そこに溢れていた哀しみが、この曲を畢生の名曲たらしめているのでしょう。
こんな風に、アイルランド出身のミュージシャンの音楽や、その魂の根幹には祖国の悲しい近代史への哀しみと怒りが同居しています。
歴史とともに音楽性・歌詞を紐解いていくことで、祖国への想い、彼らを彼らたらしめていたものがどういうものなのかを、理解できるように思います。
Thin Lizzy 「Dublin」
今回の最後は、Thin Lizzyの初期の楽曲から。
ダブリンと名付けられたこの楽曲の物哀しさ。これが歴史への、刻・ときというものへの哀しみの表れなのでしょう。
次回、アイルランドのそもそもの歴史を振り返り、それとThin Lizzyの歴史を重ね合わせてみます。
少し歴史をさかのぼって、アイルランドのそもそもの英国との関係性などから、地政学的な多様性から、フィルが誕生した背景などを見ていこうと思います。
それでは次回もご期待ください!
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