文学を楽しく: 生活読者の読みと研究者の読み
文学作品を国語科の授業で取り上げる際に、研究者がしているようなやり方をさせたのでは、それを楽しめる子が少なくなってしまうのではないか?
生活の中で読む文学は楽しいのに、国語科授業では、その楽しみが奪われていたのではない?
私は、文学研究者による研究と、生活読者の読みとを区別して考えている。
文学研究では
①構造分析
②心理分析
③主題解明
④作家研究
等がなされる。
これらは、作品を研究対象として分析・解明する研究であって、読解・読書そのものではない。それを授業に持ち込むことは、読解・読書の楽しみを奪うことになるのではないだろうか?
生活の中で文学を読んで楽しむという行為の中には、次のようなことが含まれている。
①読字:文字を読む: 文字を言葉をよみがえらせる。文字に、生きた響きと命を吹き込む。
②読解:イメージ化する: 作品のイメージ世界を心内に再現的に創造する。
③作者イメージ自由に創造: 作品の言葉と内容を創造して読者に届けてくれた作者像を、思い浮かべて対話する。主題を解明するのではなく、それぞれが想像する主題に感応する。
④作品と作者を感じる・味わう(批判や嫌悪も含む鑑賞と批評: この行為は、読みそのものではなく読みの伴う読者の反応である。読字や読解には、一定の制約があるが、感じることは自由であり、何らの制約も無い。
これが生活読者の読みである。文学を読む楽しみがここにある。
なのに、この楽しみが国語科の授業で大事にされてこなかったのではないか?
この楽しみを国語科授業でも味わうことができるようにしたい。
そんなことを願って私は、9月7日に、国語を学ぶ会(オンライン)で話題提供する。
その会の主催者は、北教大釧路校の佐野比呂己教授である。