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明清交代人物録

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台湾に関わりを持つようになってから、言葉の勉強を兼ねて中国語による台湾の歴史の本を読むようになりました。その中で特に興味を持ったのは歴史家曹永和氏の著作です。17世紀の台湾の歴史…
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記事一覧

【明清交代人物録】洪承疇(その二十九)

ポロの陣に呼ばれた鄭芝龍は、彼に同行した部下と切り離され北京に送られます。それは、彼を清…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十八)

次に、洪承疇の元にポロがやってきて、福建の鄭芝龍を捕えるまでの経過を辿ってみましょう。 …

【明清交代人物録】洪承疇(その二十七)

前回述べたような隆武王朝に対するに、清朝側ではどのような動きになっていたのでしょうか。 …

【明清交代人物録】洪承疇(その二十六)

ようやく、このシリーズで整理したいと考えた部分にたどり着きました。鄭芝龍が、どの様にして…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十五)

弘光王朝が崩壊した段階で、ドルゴンは弟のドドを北に呼び戻し、中南部の覇権を完成させるため…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十四)

漢族による清朝に対する反抗の事例として2つの事件を取り上げます。これは、南明の王朝を立て…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十三)

ここで、第二の南明王朝に進む前に、ドルゴンの選んだ政治的にハイリスクな政策、"剃髪令"について説明します。 剃髪令とは ここまで、洪承疇を主体に清朝の勃興してきた過程を述べてきました。それは、ホンタイジからドルゴンの時代、満州族が東北の地から離れて中国の中原に覇を唱えるにあたり、洪承疇の果たした役割はとても大きく、山海關の戦い、北京奪取の攻防などに彼が活躍しているからです。 しかし、満州族の考えと洪承疇のそれが一致しなかった場面も少なからずあったはずです。満州族のリーダ

【明清交代人物録】洪承疇(その二十二)

南明の最初の政権、弘光朝はこの様な王朝でした。組織的に、既にまともに清朝に対応することは…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十一)

前回、南明の最初の皇帝に祭り上げられた福王、弘光帝がどの様な背景を持っていたかを説明しま…

【明清交代人物録】洪承疇(その二十)

南明の最初の皇帝は弘光帝と言います。彼は南明の中でも特に評判が悪い。何故このような人物が…

【明清交代人物録】洪承疇(その十九)

ここから、清が明の残存勢力を倒し、中国全土の制覇を進めて行くフェーズに入って行きます。 …

【明清交代人物録】洪承疇(その十八)

ここで、僕がこの人物に興味を持つきっかけとなった、晉江の黃家が洪承疇にアプローチして、明…

【明清交代人物録】洪承疇(その十七)

山海關を落とした後、順軍との戦いは洪承疇の予言した通りに進みました。李自成は逃げ足早く北…

【明清交代人物録】洪承疇(その十六)

呉三桂は、急変した自分の立場が、究極の選択を迫られていることを十分に把握することができず、清軍と順軍との間に置かれ、軍事的な圧迫を受け続けます。自らが生き残るためにはいずれかの配下に着くという意思を明確にしないといけません。第三者として中立の立場に身を置くことは既に不可能になっています。呉三桂がその決断をするには、李自成の軍隊との戦闘が始まることが必要でした。 この山海關の戦いのことは、中国語では"一片石之戦"と呼ばれています。"一片石"は山海關北東部の地名です。 山海關