【連載②】人類が築き上げた2つの組織形態-ゲマインシャフトとゲゼルシャフト~組織づくりのための理論を考えるシリーズ~
前回のnoteでは、組織の定義を吟味した。前回のnoteから引用すると、バーナードによれば、組織が成立するための要件として「①コミュニケーション・②協働意欲・③共通の目標」の3つを挙げている。
では、実際にこの3つが機能している組織には、どのような形態があるのか?
①ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
もっとも有名なものに、19世紀後半にドイツの社会学者フェルディナント・テンニースが提唱した「共同体(ゲマインシャフト)・機能体(ゲゼルシャフト)」という理論がある。
この2つをシンプルにまとめると次の図の通りとなる。
まず、両者の共通点としては、次の通り。
次に相違点。
共同体は、家族や友人、同僚、地域住民など、共通の目的や価値観に基づいて集まった集団。その目的は、外部からではなく、内部の安住感・幸福感の追求にある。そのため、共感や協働を重視し、集団の維持・発展のために、メンバーは互いに助け合う。
機能体は、企業や団体、政府機関など、外部に対して特定の目的を達成するために設立された集団。その目的は、外部から求められるものであり、目的の達成や効率性の追求となる。そのため、分業や専門化を重視し、メンバーはそれぞれに役割を分担して、目的の達成に努める。
②テンニースの主張
前述したテンニースによれば、社会組織はゲマインシャフト(共同体)からゲゼルシャフト(機能体)へと変遷していく過程で、人間関係そのものは、疎遠になっていくという。そのような機能体の組織では、集団に所属する個人の権利と義務は明確化され、共同的なウェットな人間関係は、利害関係に基づくドライなものへと変質すると考えられているそうだ。
なお、テンニースによる超専門的な解説は、このサイトが分かりやすかったのでご紹介まで。
【基礎社会学第十五回】フェルディナント・テンニースの「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」とはなにか
では、本当に、テンニースの言うように、現代の組織は全てゲゼルシャフトへ変容しているのだろうか??
③日本の歴史を組織の観点から振り返る
そこで、歴史的な観点から、整理してみたい。
近代以降の日本の歴史を振り返ってみると、テンニースの言う通りになっている側面もあった。戦前の日本において、多くの国民のアイデンティティの基盤となっていたのは村落共同体というゲマインシャフトだった。戦後、特に高度経済成長期に入ると、都市部の企業や店舗が大量の人員を必要とするようになり、いわゆる「集団就職」のような形で、生まれ育ったゲマインシャフト(故郷)を離れて、企業というコミュニティ(ゲゼルシャフト)に所属するようになった。
たしかに、村落共同体から企業へ所属するコミュニティが変わったことで、共同体から機能体組織への「異動」が生じたという側面もあるが、本当にそうだろうか。日本的大企業の三種の神器と言われる「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」の3つがあったことで、機能体になり切れなかったという主張も成り立つのではないか?
三種の神器をより詳しく見てみれば
ということを言っているわけで、これらは村落共同体において暗黙の了解になっていた約束事と同じだ。これらに加えて、例えば運動会などのイベントが行われたり、社屋屋上に物故社員を供養するための神社があったりということを重ね合わせると、運動会などのイベントは村落共同体の盆踊りに、社屋屋上の神社は村の鎮守に該当するわけで、まさしく一旦崩壊しかかった村落共同体というゲマインシャフトを、企業という別形態のゲマインシャフトが受け継いでいったと考える方が妥当といえる。
④私のゲマインシャフト体験
ひとつ前のセクションに書いた通り、THE日本的な大企業では、年功序列の賃金体系、終身雇用、全人格的に上司が偉いといった風潮がある(一言断りを入れておくと、全ての会社に当てはまるわけではないが、多くの会社でこのような事案が起きているという話は誰しも聞いたことあるはず)。
私が新卒入社した会社も例外ではなかった。
100年以上続く伝統的な企業だったので、ほぼ全ての人たちが新卒入社組。いわば、「企業戦士」的な働き方が”是”とされていたので、「野武士の精神」を大切にしようというスローガンがあったくらい。こうなってくると、中途入社組は「よそ者」として距離を置かれ、いつまでの「社外の人」扱いされてしまう始末。バブル時代に入社した人達の最初の仕事は、社員旅行の出し物の練習というから驚き(しかも2か月間ずっと!)。社内でも、役職をつけて呼ぶことは当たり前。しかし、事業や売上は安定しているので、業務効率化やチャレンジ精神といったキーワードはご法度。結局のところ、社内政治に勝ち残った人が出世できる。
超具体的なエピソードは長くなるので割愛するが、改めて今振り返ると「仲間意識」偏重から中途入社の人たちがぞんざいに扱われていたり、社員旅行や社内政治といった人間関係重視のカルチャーによる、ゲマインシャフト的な共同体だった。
⑤ここまでのまとめ
共同体というのは、その構成員にとって所与のものであり、組織を自らの意思で選択したり、組織との関係を主体的に構築することはできない。日本の会社は終身雇用が前提であり、ひとたび入社すれば半永久的にその構成員となる。個性を発揮することは認められず、社風になじむことが事実上、強要される。
一方で、一定の業種や職種では、機能体的な働き方や役割が求められる。その最もたる例は、コンサルティング・ファームだろう。「Up or Out」の風潮が有名だが、決められた期間の中で確実に成果を出すことが徹底されている。もちろん、人間臭いウェットな人も一定数はいるけれど、ロジカルかつドライな人間関係にならざるを得ない側面もある。
会社組織の究極的な目標は、株主への利益の還元であるが、そんな明確な目標を日々意識した機能体的側面だけの組織は、存在しないだろう。経営者はステークホルダーからのプレッシャーを直接受けることになるので、目的の達成・成長・効率性を声高に叫ぶ。しかし、会社員は、3種の神器を盾にして、現代版ゲマインシャフトとして機能する「会社」の方が良いと言う。これでは、いつまで経っても、いたちごっこのままだ。
どっちが良いかの二項対立では埒が明かないので、弁証法的な解決がのぞまれるのだが、どうしたら良いのだろうか?
⑥令和時代に求められる組織とは
ゲゼルシャフトを役割・機能に基づいた結びつき、ゲマインシャフトを友愛・血縁に基づいた結びつきと考えれば、両者がなんらかの形で重層的に担保されない限り、生産性と健全性が両立した社会の形成は難しい。今日では、少なくとも大企業におけるゲマインシャフト的な要素はすでに完全に崩壊しており、やがてはアメリカに象徴的に示されるような完全なゲゼルシャフトに移行すると考えられる。では、戦前には村落共同体が、高度経済期からバブル期までは企業が担っていた、社会におけるゲマインシャフト的な要素は、何が担うことになるのか。
鍵になるのは「ソーシャルメディア」と「2枚目の名刺」だろう、というのが山口周氏の考え。フリードリッヒ・テンブルクは「社会全体を覆う構造が解体されると、その下の段階にある構造単位の自立性が高まる」と言っているが、もし仮にそうなのであれば、会社や家族という構造の解体に対応して、いわば歴史の必然として、新しい社会の紐帯を形成する構造が求められる。
ソーシャルメディアを介して、様々な人や価値観に触れることで、自分が所属するコミュニティの特徴や良さを”相対的”に捉えなおすことが必要だと思う。どんな組織にも「Good&More」があるというのが私の信条。1つのコミュニティに長く所属すればするほど、「自分の常識は、世間の非常識」状態になってしまうのは不可避だ。真似したほうが良いことは、どんどん他者から学び、他者の言動を受け入れられる寛容さが大切になってくるはず。
■まとめ
今回は抽象的な話が多くなってしまったが、連載の全体を通しで重要な理論なので、分かりづらかった方は、また別のnoteを読んだ後に、このnoteに戻ってくると合点が行くと思う(難解ですみません!)。
次回は、織田信長に学ぶ組織論ということで、なぜ織田信長が「天下布武」を実現できたのか、それでも最後は明智光秀に謀反されて夢半ばで生涯を閉じざるを得なかったのかということを組織の観点からまとめてみたい。
共同体と機能体という2つの観点を得た皆様ならば、織田信長の成功要因が分かるはず!?
今回も、ご精読いただき、ありがとうございました(^▽^)/
★参考文献
今回のnoteを書くにあたり、山口周さんの『武器になる哲学』から多くの知恵を拝借した。人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50個を取り上げた本。その中で、まさにゲマインシャフトとゲゼルシャフトの項があるので、そちらを参照。
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