見出し画像

【エッセイ】我が人生における詩の始まりと顛末のスケッチ

僕は 子供の頃身体が弱くて 学校に行けず ずっと布団に寝てたんですね 
喘息とか 猩紅熱 とかで
生まれつき皮膚と粘膜が弱いんです 

生まれた町の大気汚染がひどくて 死ぬって医者に言われて 昭和40年代の日本はほんとひどかった 全国各地では排気ガスとか 煙害で 川は銅の精錬で緑色 海はヘドロ 空気はセメントやら化学物質やらスモッグやら 庭で洗濯物干せなかったからね 今の中国の非じゃないくらい
経済に命を捧げててね 放射線の汚染も酷かったはず あちこちで白血病で人が死んでた 大国は空で原爆実験してたからね 雨にどれだけ放射性物質が含まれていたのか 今でもデータが残っているのどうか

工場の家に嫁に来た 母親は長男がそんなだから ヤバいって思ったと思う おじいさんは地方の名家っていうか地主でそれなりに世間に知られていたけど 満州の軍人で ソ連に抑留され 日本に戻ってからは コミンテルンの指示で 労働運動系の議員になり アンチ資本主義、農本主義。父方とは相入れない。母親は 立派な後継社長を育てなくちゃならないのに 息子は 体弱くて適応障害 姑はクソ気が強くて愛想ない 
僕は おそらく 多動症 アスペルガーで 協調性なくて しかも乱暴で 頭もおかしい感じだったな 今思えば 的確な病名というか 言葉が今のようになかった

で ある時期から奴隷のように 僕はあらゆる自由を奪われ 思想教育っていうか スパルタっていうか 強制されたんだよね 色々 過剰に 家庭教師とか習い事で 全ての時間を奪われて 僕は地頭はまあ 良かったんだよね 結局 勉強もその頃のまあ頂点くらいに行って 東大だ 医学部だ 弁護士だって 適性とか関係なく まあ 母親は工場やらせたくなかったんだろうな その言い訳になるのは 医者か弁護士ってことなんだろう 成績は中学までは 学年トップで 高校入るまでは頑張ったけど 奴隷だよね 勉強奴隷 
勉強すること自体が なんか日本の教育は 人の作った知識に人が支配されているみたいで馬鹿馬鹿しくなった AIの先駆けか
こんなこと覚えて こんな問題解いて なんになるのって普通に思った ゲームみたいにして楽しめた時期もあったけど だから人間はこれから始まるAIの支配には抵抗すると思うな こんななら全てぶち壊してしまえって

自分の人生を真剣に考え出したら もっとやるべきことあるだろって 学問は本来自由になるためにやるんじゃないの?ってガキの頃に思ってた で抜け道は 文学しかないなって思ったんだよね 狭い道だったよ 子供心に 小説、哲学、そして詩だって 考えた そこを掘っていけば 出口が見つかるかもって 絵も好きだったな 描くのも 見るのも 特にシュールリアリズム 狂ってて フランスのアーティストはこんなに狂っててもいいんだ 羨ましいなって 最初ダリ 次クレー エルンスト 図書館でデュシャンに出会って なんだこれって 魅了された 狂おうって思った 自由と狂うことが同義だったんだね

話を元に戻します
幼少期の体が弱かった時 本来成長過程で 社会に適応するために 連結が切れるべきはずの神経が 残ってしまったんだと思う 
聞こえない音 見えない光 予言とか 何かの波動とか いわゆる霊体とか みなくていいものに見えていて それで話が合わない なんでわからないのって思ってたけど 見えてないんだから仕方ないよね

ある時 自分が話していることが ことごとく人に伝わってない ということに気づいたんだよね というか 僕が中心にしている話題を 人が全く話していない 外国に放り込まれた 戦災孤児のような 
みんな僕の興味あることに 全く関心がない ってことを知るのは恐ろしい
僕の使う言葉も 人と違う機能や意味として 表面だけ存在しているってことが なんとなくわかってきて 哲学とか文学とか ある程度アカデミアの普遍性のあるものでカバーしないとヤバいと思った そこには微かな希望はあった

で文学の言葉を学ぼうと 純文学の狂って先生方なら大丈夫 芥川 太宰 三島 おおいけるいける 
安部公房 大江健三郎 いけるいける
で 彼らの言葉をつかって 文学を口にするようになった これはこれで また狂ってるんだけどね 文学と思想の話しかしないんだから
カフカがどうの バルザックがどうの ニーチェがどうの カントがどうの マルクスがどうの 
でも 全然うまくいかなかったね 日常生活のコミュニケーションは

人々は全くそういうのに価値を認めていなかった 
ポップじゃない
これじゃ 生きていけないぞって 
思ったのは成人したくらいかな

人の話していることもよくわからないしね
感情に寄り添えないんだよね そのくせ過敏 なんだこれって 寄り添えない 相手にそれを伝えても 伝わらない
厄介なやつ

「なんでそんなことにいちいち目くじら立てるのか そんなつもりはない」

とよく言われる

というか奴らの話してる構造とか意味はわかるんだけど 
なんでこんなにくだらない話をしてるのかって 思っていた。こいつら豚か奴隷だなって。
実際そうだったんだけど
ゾンビの中にいたらゾンビにならないとね。

もう毎日が退屈で 気持ち悪くて 馬鹿馬鹿しくて。
 
俺だけまとも?
俺が狂ってる?
基準がないから。
これは、力でねじ伏せるしかない 
金? 権力? シンボル?

村八分とかいじめの対象になったら辛いからね。戦うぞって。これは嫌でも乗り切るスキルが必要だな。
やられる前にやると。

それから 社会性ってやつを頭で理解しようとしたんだね。めんどくさいけど生きるために。言葉でなんとかしようと。
20歳の頃 一人一人の性格とか 関係性を図にして書いて 一生懸命構造で理解しようとした。僕はこの位置で、こいつに気に入られるように動いて、この力をもらって身を守る 的な。僕個人の構造主義。今も権力トップに気に入られるのは得意かな。これは仕事にも生きたね。直接お金に繋がった。努力した分見返りはあったな。

でも まあ なんか本質的には違うなっていうふうには思ってた。媚びたりはするけど、心の底では馬鹿にしてるからね。長くは続かない。距離を置いて、バレないようにね。

いつも 生きていることに違和感があった。全てくだらいって思ってた。でもまあ、家庭作って子供育てるのは国民の義務というふうに親に洗脳されてたからね。どりょくしてクリアした。家もついで、クソ家業は最近終わらせたけど。ミッションだったからね。奴隷の。個人的な加速主義になっていたようだね。未来が見えてるなら 早く終わらせよう。このくだらないことはってなもんだね。
たがら僕の内的必然としての 構造主義と加速主義とシュールレアリズム ということになるね。

若い頃は 文学とアートとロックとファッション そこに逃げ込んだかな。特に文学とアートは学校で学べるからね。知識が武器になる。で不適応を誤魔化すことができる。オタクとあんまり変わらない。僕は体弱いから、あんまり無理はできないわけ。親の奴隷だし。暴走族とか、ヤンキーとかにはなれなかった。つるむのも嫌だし

詩は 僕が考えていることを伝えても大丈夫な領域というか、そういうのがどこかにあるなあって、書き出した
誰にも理解できないやつね 暗号 呪文 マントラ
それを高校の教師が認めてくれた。それが瀬谷耕作なんですね。ありがとうございます。

文学は、アカデミアとアンダーグランドにあって、でも生活の中にはないわけで。で、そんなもんはお金にはならないということがわかって。自分の好奇心を満たすには、お金がかかるので、お金が欲しかったからね。まあそこに集中しようとした。女の子にもモテたかったし。お金ないとモテないからね。

就職先の西武百貨店って会社は 好き勝手やらせてくれる環境があって。経営者が詩人だったからね。相性良かった。オルタナティブこそ 大事って。そういう価値観が 93年くらいまではあって。95年にはすっかりなくなってしまったけど。その頃たてた企画はまあ今描いてる詩の現実化みたいなもの。コンセプトが詩で、企画はそれを形にする。

でもバブル崩壊して神戸で地震も来て それで まあ結婚して親の望む家庭とやらをつくってみるか と家に戻ったんだけど。僕が欲しい文化的刺激はゼロなわけ。お金も足りないってことでね。

大金稼ぐために どうしようとずっと考えて 人材派遣だってひらめいて起業したんですね。運良く 会社がどんどんデカくなって。商才あるんじゃない?と勘違いした。お金はそこから今の年まで、苦労せずに来たんだけど。まあ意識をお金を集中させることとが大事。かせぐには。他のことは考えない。なんでもそうなんだなって。でも そのうちお金のために生きる感じになっちゃって。お金を使うのもエネルギー使うわけですよ。どっちがかっこよく使うかみたいなのもあるし。際限ないし。別に求めていないけど競争は競争だからね。くだらねえなあ、とまた思ってしまったわけ。経験値を高めるのは楽しいけど一回きりで良いわけですよ。繰り返していけば慣れてしまってね。ですぐつまらなくなる。そうすると、さらに刺激をもとめて。際限なくお金は出ていくけど、お金を使うことが目的になるよね、お金って生き物みたいなもので強いから。
でね 上には上がいて 勝つためにはエネルギーを全部そこに注ぎ込まなきゃ勝てないわけで もうやってられないなと 僕は死ぬほど負けず嫌いだからね。負けるのは嫌なわけ。で、やめた、やめたって45歳くらいかな。もう、このゲーム盤から降りようって。思って。10年かかったね。降りるのに。降りるまでの 過程では、社会貢献活動は 結構クリエイティビティがいけるんゃないかって 損得じゃないから 仕事から逃げて それをやってた。 
いろいろ組織作って。それなりに社会的に評価されるし評価されればやる気も出るし。損得は関係ないし。 でもカッコが悪いなあ俺って ずつと思った。俗物だし、
なんだろう、これって1番なりたくなかった偽善者じゃん って気付いてしまった。
稼いだ金をそこに使えば世間からあまり文句言われなのだけど、あざとい。ダサいと思った。しかし、この時点では、文学にはとても向えないしね。そもそもお金にならないし、社会貢献にもならないし。
さあどうするか、
文学にこそ真実があるよなあってずつと思ってはいたけど 本を読む時間もあまりなくて。いつも欲求不満だったな。映画はよくみてた。2時間で終わるから。なんとか細切れで時間作ってね。でも映画制作は共同作業だし。ほんと作るのが大変すぎて。僕は無理だなって思った。体力ないからね。で社会貢献をアートに寄せてって 好きなことができるように 少しずつ変えてった。最後アート一本にしたら やっと文学が見えてきた。でももう55歳なわけですよ。今から文学は難しいなって思っていたら、伊藤公象とか周りの研究者が才能あるからやれってことになって アートから押し出されたのが 詩人磯崎です。そのころ文学の友達1人もいませんからね。これは千載一遇のチャンスとも思ったんです。絵も描いていたけど、発表する場所がないし。僕は美大じゃないから批評とかキュレーションはできても絵は認めてもらえないんんですね。いい絵を描いてもおそらくほぼダメ。いつも飽和状態なの。詩も同じ。でもイレギュラーに本を出すって手段があるってわかって。本を出すと急に世界が変わるんですね。それで今に至る。

とにかく自分の世界観が1番って思ってますからね。ファシスト。子供の頃からなぜか自分の世界だけは自信がある。サイコパス。文学に関して先生が言うことは全部ダメだなって思っていたし。その頃の日本の詩人も違うなって思っていて。そういう人達の世界に入ったら強い人たちに牙抜かれて去勢されちゃうなって思って。付き合いたくなかったからね。やらなかったんですね。
英語も、英語脳になるし、プログラムもコンピュータ脳になるからやらなかった おかしな理屈だね。絵もそう 美術の先生を軽蔑してたから美術を授業でとらなかった。そしたらこんなヘンテコなのができたんです。ヘンテコ預言者みたいな。

何が言いたいかって言うと、子供の頃からずっと違うと思っていた感覚をそのまま出せる場所にやっとる来れて、そしたら詩論を話してくれとか、テレビで詩の説明をしてくれとかってオファーがあるのは、ほんと夢のようですね。
それもこれも 詩集出して詩の団体に所属したから起こったことで本当に皆さんに感謝してます。まあ そんなことでもないと、詩人としても求められないからで。詩人なら変なことしていても面白いやつとかいう立場みたいなこともあり、今は何するかを模索してる最中ですね。表現とか発言の場所を広げていて僕の変な世界人が見えない世界をコンテンツにする方法を模索しています面白えやつなしだなあ、こいつって 思われたら勝ちかなって。

なになに賞とかを目指す人がいるけど。僕も賞を出す立場に立ったことあるからわかる。結局、良いものが良いのではなくてそこにいる人のコンセンサスだからね。評価する人が素敵な人でないと、選ばれても仕方ないなって思って。モチベーションが保てない。賞の話を中心にする人も嫌だなあ。権威主義的で。
詩人じゃないでしょって思ってしまう。だから賞を取ればすごくチャンスは広がるんだろうなと思いながら。今 賞がとれる詩にあんまり魅力を感じないと言うか。それから若手でも杉本真維子とか松尾真由美とか、いいと思うし。H詩賞の詩人たちの詩もも面白いと思うけど。日本の詩は若い人のも含めてなんか暗くて自閉的で。光が見えないなって思ってます。僕は爆発があって、未来の閃光がみえるような詩を書きたいんですよね。あと美意識的には、むしろ一部のロックとか、モードとか、建築の価値観が好きだから。そういう美意識で詩も書けないかなと考えていて。 昔の日本だと千利休と尾形光琳ですね。美意識的には。

あとはみんなが見えないことを ほらあるでしょって感じで 言葉のリズムとかイメージとか ストーリーとかでなんとかしたいなと。小説は そう言う意味もあって書きはじめたんだけど 僕のやりたいのは ガルシアマルケスとかボルヘスとかの魔術的リアリズムだからね。賞は取れない。中上健次もいいと思うけど。なんだか暴力的すぎて 暗くて救いがなさすぎる。日本の小説家にはいないんですよね。村上春樹好きだけど、あまりに日本精神から離れているような気もする。結論から言うと 僕は 文学には救いがあると思ってるんですよね。僕が文学にたどり着けたような救い。手前味噌だけど。文学しかないから文学をやったんではなくて文学にたどり着いたわけだから。

なんだか つらつらくだらないことを書き連ねてしまいました。すいません。見えないものが見える理由と それを書くようになったプロセスを書きました。頭も整理できてよかった。ありがとうございます。詩論って結局こう言うのをもう少しかっこよく、専門用語と引用で組み立てる感じかな。

「見えないものを諦めずに とっておいて その周囲をイメージで 埋めていって 言葉をはめていった時に その見えないものの 輪郭ができてきて 時がくれば 中心から世界を爆破できる そこに言葉が生まれる でもその言葉は必ずずれていて 戦いになるから 勝たなくちゃ で もとの見えないものと 言葉のずれにまた 何か生まれて それに同じことを繰り返していく永久運動のように」まだ全然詩論ではないけど。アウトライン。

夜分失礼しました。長文乱文お許しください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?