藤原氏と物部氏
鹿島神宮を参拝後、藤原氏と物部氏について調べてみる。おもしろいけど、理解しきれない(本音)。
鹿島神宮と香取神宮は、藤原氏?
1.中臣鎌足は、藤原氏
藤原氏の始祖は、中臣鎌足。
中大兄皇子(のちの天智天皇)と一緒に大化の改新を行い、天智天皇から藤原の氏を賜る。中臣鎌足の出生地は、大和国(奈良県)とする説と、常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説があるらしい。
2.春日神
藤原氏の氏神は、春日大社。
春日大社の祭神4神を総称して「春日神」と呼ぶ。
(1)武甕槌命(タケミカヅチ)
・藤原氏の守護神
・鹿島神宮(茨城県/常陸国)の主祭神
・ただ、古事記と日本書紀には、鹿島神宮に関する記載はなく、タケミカヅチと鹿島との関係は、よく分からない。
(2)経津主命(フツヌシ)
・藤原氏の守護神
・香取神宮(千葉県/下総国)の主祭神
・古事記に、フツヌシの記載はなく、
日本書紀から登場している。
・フツヌシと、フツノミタマ(布都御魂)は、音が似ている為、物部氏の神だったという説もある。
(3)天児屋根命(アメノコヤネ)
・藤原氏(中臣氏)の祖神
・通称、春日神、春日権現、春日大明神とも呼ぶ。
・枚岡神社(大阪府/河内国)の主祭神
・岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱えたり、
岩戸が少し開いた時に鏡を差し出すなどの仕事をした。
・ニニギが宮崎県に降り立った時(天孫降臨)から天皇家に仕えており、中臣連の祖となったとされる。
・比売神との子は、天押雲根命(中臣連、卜部氏の祖)。卜部(うらべ)氏は、卜占(ぼくせん)で吉凶判断を業としていた氏族。
(4)比売神(ヒメガミ)
・上記の天児屋根命の妻
・天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメ)、天照大御神説あり。
・枚岡神社(大阪府/河内国)の主祭神
河内国とは、畿内の国のひとつ。枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、元春日とも呼ばれ、中臣氏の氏神。枚岡神社にも、春日神の4神が祀られている。
春日神の構成を見て思ったのは、藤原氏(朝廷)の力が強くなってから、鹿島神宮と香取神宮は、守護神とされたのかもしれない。
藤原不比等は、大宝律令や日本書紀の編纂に関わっている。古事記に記載がなく、日本書紀から登場するフツノミタマや、鹿島神宮にタケミカヅチが祀られた経緯が不明なのも、藤原氏の影響力があったりして。
3.藤原四家
藤原四家は、藤原不比等の4人の息子が興した藤原氏の4つの家の総称。
・藤原南家
・藤原北家(藤原道長は北家)
・藤原式家
・藤原京家
藤原家の代表的な家紋は、下り藤。
この中で、藤原北家が最も栄えた。
4.五摂家
藤原北家嫡流で、公家(日本の貴族)の頂点に立った五摂家。
・近衛家(内閣総理大臣 近衛文麿・細川護熙)
・一条家(昭憲皇太后/明治天皇の皇后)
・九条家(貞明皇后/昭和天皇の母)
・鷹司家(神社本庁統理、日本会議顧問)
・二条家(伊勢神宮大宮司)
それぞれの家紋は、近衛牡丹、一条藤、九条藤、鷹司牡丹、二条藤。
藤原氏は、今も強い力を持ち続けている。
息栖神社は、物部氏?
東国三社といわれる鹿島神宮と香取神宮は、藤原氏の守護神とされているけれど、残りひとつの息栖神社は、どうなんだろう?
1.久那斗神(クナドノカミ)と出雲族
息栖神社の主祭神は、久那斗神(クナドノカミ)。
久那斗神が、息栖神社の主祭神だったとは。
秦氏を調べていた時に、出雲族はインドのドラヴィダ族をルーツとする渡来人(クナド族)だったという説があった。そして、長髄彦(ながすねひこ)は、出雲族だと言われている。
長髄彦は、イワレビコ(神武天皇)と古代大和を争った人物。最終的に、イワレビコに負け、殺された説や、東北へ逃れた説などがある。長髄彦の一族が、物部氏となった説もある。
物部氏は、河内国や大和国を本拠地とした豪族であり、記紀では、イワレビコと同じ高天原出身のニギハヤヒを始祖とする。ニギハヤヒは、神武東征の際にイワレビコに協力したとされる。
久那斗神は、猿田彦命(サルタヒコ)と同一視される。猿田彦命は、天孫降臨の際にニニギ(イワレビコの曾祖父)を案内した国津神だ。常陸国や下総国には猿田氏も存在する。
記紀の内容を、すべて事実とする事はできないけれど、古代大和を統治していた長髄彦と、神武天皇側についたニギハヤヒは、どちらも出雲族であり、その子孫は物部氏となった、ということなのだろうか。
そして、出雲族は、イスラエルの失われた十氏族でもあるのだろうか?
2.天乃鳥船神と住吉三神
息栖神社に祀られている天乃鳥船神(アメノトリフネノカミ)は、神様が乗る船の名前。フツヌシ(香取神宮の主祭神)の別名とか、出雲国を支配した国造説もある。
住吉三神は、海上守護の神様。イザナギが黄泉の国から戻り、禊を行った際に生まれた神様でもある。三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)も、同じ禊で生まれている。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社がある地域には、昔は香取海と呼ばれる内海があり、利根川や鬼怒川などとつながっていたとされる。船での交易が可能な便利な場所だったのかも。それもあって、東国三社には、海上守護や交通守護の神様が祀られているのかな。
東国三社は、大和朝廷の勢力を拡大する為に、死守したい地域だったんだろうな。大和朝廷を支えた藤原氏と物部氏が、東国三社と深い縁がある理由が分かったような気がする。
3.石上神宮
物部氏の氏神は、石上神宮。
日本書紀に記された神宮は、伊勢神宮と石上神宮のみ。石上神宮は、大和朝廷の武器庫であったともいわれている。
(1)布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)
主祭神は、布都御魂大神(フツノミタマノオオカミ)。
神剣「韴霊剣/布都御魂剣(ふつのみたま)」に宿る神霊。
タケミカヅチがイワレビコ(神武天皇)に与えた剣。
(2)布留御魂大神(フルノミタマノオオカミ)
「十種神宝(とくさのかんだから)/天璽十種瑞宝」に宿る神霊。
ニギハヤヒが地上に降りてくる際に授けられた宝。
(3)布都斯魂大神(フツシミタマノオオカミ)
「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)/天羽々斬」に宿る神霊。
ヤマタノオロチ退治に使用された逸話あり。
(4)その他の神様
宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)は、物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる人物。五十瓊敷入彦命(皇族)、白河天皇、市川臣命(皇族)なども祀られている。
(5)国宝・重要文化財
石上神宮には、国宝「六叉の鉾(ろくさのほこ)/七支刀」や、色々威腹巻 兜・壺袖付、鉄盾なども保管されている。石上神宮禁足地からは、勾玉なども多数出土している。
物部守屋の時代に、蘇我氏によって物部氏は衰退した(丁未の乱)とされているけれど、その後も日本各地で物部氏は続いてきた。物部氏の家紋が出てこないのは、名を変えたり、土地を移動したりして、さまざまな一族へと変化していったことを意味しているのだろうか。
強力な集団は、現代も健在
大化の改新後、藤原不比等などによって大宝律令が制定され、氏姓制度が取り入れられ、身分が分かるようになり、戸籍で管理されるようになった。
皇族との婚姻や、養子縁組などを駆使して、皇族を支えながら、権力を維持してきた集団の存在。
古代の歴史のようで、現代にも及ぶ権力。
いろんな制度の意図も見えてきそうだ。
うーん、諸説あり!
つづく?