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あらためてロシアの野蛮さを思い知った本

日常生活において、スマホをいじる代わりに読書をすることを自分自身に奨励している。ジャンルでいったらノンフィクションを読むことが多いものの、ベストセラーはめったに手にしない。というのも、よく売れる本というのはたいてい中身もうすっぺらだと思っているからだ。
 しかし、先日読み終えたベストセラー本「日ソ戦争 帝国日本最後の戦い」(中公新書)は、どうやらそれに当てはまらないようだった。少々お堅いけれども、中身のある重厚な本だった。すでに5万部も売れているというから、出版不況の世の中でよく売れている本なのではないか。

よく知られているように、第二次世界大戦も終盤になって、ソ連(現在のロシア連邦)は日本との条約を破り、当時の日本の領土に侵攻してきた経緯がある。だから、日本の古い世代の中には、ロシアに対して根強い不信と恨みをもっている人もいたように思う。
 本書では、主に満州(現在の中国東北部)、樺太、千島列島の帰属をめぐって、大戦の主要国首脳たちの政治レベルでの動きと、軍を指揮していた将軍たちの戦略レベルの視点から、どのような歴史があったのか、豊富な文献資料をもとに綴られている。

当時、満州をはじめ、樺太、千島列島には当然日本の軍隊が駐留していたわけだが、支那やアメリカとの戦争のために抽出されてしまい、関東軍は大きく弱体化していた。そこへ、ドイツとの戦争が一段落したソ連軍が、部隊を極東へと集結させ、補給品はアメリカから支援をうけつつ、一気に満州に流れ込んだのだった。
 日本の軍部は、すでにアメリカに降伏しておりいまさらソ連と戦う気はなく、情勢を楽観的にみていたようだが、それが大きく裏切られた格好になった。

“対米戦ですでに国力が尽きていることを知る日本の指導者たちは、軍部をはじめ誰もソ連との開戦を望んでいなかった。それどころか、ソ連に和平の仲介すら打診している。ソ連はこの申し出を開戦までの時間稼ぎに利用した。日本の指導者たちが重ねたこの国家戦略のミスが「対ソ静謐」につながり、最前線の部隊には足枷となる。”
 前掲書

満州において、ソ連軍は三方向から攻め立てた。対する日本軍は、東部の要衝は比較的よく防備していたものの、モンゴル平原の方面は手薄になっていたようである。まさか、砂漠と山脈を超えて、その方面からはるばるソ連軍が攻めてくるとは思っていなかったようである。
 そして、ソ連軍の戦車部隊の圧倒的な火力と機動力、膨大な物量を前に、満州を守っていた関東軍は文字どうりに叩きのめされる。もっとも、すでにポツダム宣言を受諾して降伏となっていたから、開戦してまもなく停戦となり、日本の将兵たちはソ連に降伏することを余儀なくされる。
 以前、デビッド・グランツ他「詳解 独ソ戦全史」(学研)という本を読んだことがあったが、その巻末にソ連軍による日本の満州侵攻の様相がおまけ程度に付記されていた。ドイツの機甲部隊を相手に戦ってきた歴戦のソ連の軍人たちにとって、日本の関東軍など恐るるに足らない存在だったことだろう。

ソ連に降伏した日本の軍部は、自衛のために武器を所持することをソ連側に要求したものの、受け入れられなかった。武器をすべて明け渡し丸腰になったことで、これがさらに大きな悲劇につながっていった。
 読んでいて痛ましいのは、軍人たちだけでなく民間人たちの犠牲である。まず、ソ連に侵攻されるとは思っていないから避難が間に合わなかった。このため、侵攻してきたソ連軍から暴行、略奪、強姦の標的にされたのだった。
 日本の女性たちは、自分たちが標的にされないように頭を丸坊主にしてわざと汚らしい格好をして女だとわからないようにしたようだが、ソ連軍はときに抜き打ち検査をして女かどうか確かめることまでしたようである。このように、女性は侵され、幼い赤子は壁に投げつけられて殺され、金品は略奪され、たいへんな悲劇につながったのだった。

“満州に残された日本人には過酷な生活が待っていた。力の空白を埋めるべきソ連軍は、満州から日本人を連行するのに熱心だったが、保護には関心がない。その結果、現地に残る日本人は飢えや寒さ、伝染病で倒れてゆく。
 自国の軍隊が作戦を優先して民間人の保護を後回しにするとどうなるのか。占領軍が占領下に置いた軍人や民間人をほしいままに拉致・使役し、それ以外は放置するとどうなるのか。日ソ戦争はその悪例として後世に語り継がれるべきだろう。”
 前掲書

日本人の受難はこれだけで終わらなかった。その後、いつどうやって決まったのかいまだに分からないものの、戦争捕虜たちのシベリアへの移送と抑留がはじまる。その数、およそ50万〜60万人にも上るという。そして、少なくともその内の一割以上は現地で亡くなることになる。
 ただ本書では、移送されたシベリア抑留者たちが具体的にどのような生活を送らされたのか、そしてどのようにして帰国が許されたのか、ほとんどページを割いて説明しておらず、しいていえばそこが残念な点だと思う。
 古くはドストエフスキーの小説「死の家の記録」において、ロシアの監獄の残酷さが描かれていた。これは19世紀後半、中央アジアの軍事監獄を舞台に、作家ドストエフスキーの実体験にもとづいて書かれた本だろう。当時は囚人が監獄に収容される前に、鞭打ち刑一千回とか、当たり前のように行われたらしい。シベリア抑留者たちは、いったいどんな目に遭ったのだろうか。想像するだけでも苦しいものがある。

ソ連兵たちの特徴として、規律がゆるく支配地域の住人に暴虐の限りを尽くしたことは挙げられるだろう。これらは、現在も進行しているウクライナ戦争でも確認できることである。また、ソ連の兵士たちには基礎的な学力や教養に乏しく、たとえば算数のかんたんな計算もできなかった例もあったという。
 その一方で、ソ連兵たちの強みとして、日本の軍人たちが一様に称賛していた点は、その諜報能力の高さ、防諜への意識の高さといったことらしい。これはたとえば、スパイを活用したりするのが上手だったということだろうか。

ここではソ連兵たちの残虐さを取り上げたが、それでは日本軍が戦地でなにをやってきたか、についても一応触れておく必要はあると思う。
 中国大陸において、日本の軍隊は中国人の捕虜たちを縛り付け、初年兵たちに度胸をつけさせるといって、銃剣で突き刺して殺してきた歴史的事実があったと思う。また、満州においては、中国人の捕虜たちをつかって生物兵器の実験をしていたことも広く知られている。ロシア人が残酷だというなら、このように日本人も残酷なことをやってきたわけだ。
 戦争というのは、人間の尊厳を踏みにじり、途方もなく残酷な行為に人をはしらせることがしばしばある。歴史を直視するとともに、人間性を尊重していかなければならないとあらためて感じる。


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