『マザー』第1話「51歳の妊娠」
<あらすじ>
51歳で二度目の妊娠をした藤宮透子には、人工人間(AIの子)である幸与という息子がいた。幸与は育ての母が妊娠して以来、性欲旺盛になり、同じくAIの子である彼女・雪心との性交に明け暮れた。AIの子には生殖能力はないが、我が子がほしいと願う雪心は幸与と子作りすべく、AIの子の母胎であり生命力を高めてくれる「マザー」と呼ばれる保育カプセルの中で彼と性交しようと企てた。雪心の育ての父である菅生瞬は人工人間の元になった精子を持つが故、勝手に子を作れないという秘密があった。瞬の精子を採取した響子や人工精子を作成した鬼頭教授にも事情があり…。生と性にかける女と男、母と父の執念が交錯する命と愛の群像劇。
<本編>
51歳の冬…私は二度目の「まさか」にショックを受けていた。1年以上前に閉経したはずの自分が、妊娠していたからだ。昔、関係していたセフレと再会し、この半年ほど定期的にセックスはしていた。私が閉経していると知った彼は避妊することなく、私の中に好き放題精液を注ぎ込んでいた。彼とセックスするようになって以来、時々不正出血に見舞われるようになっていた。久しぶりの性交だし、昔より濡れなくなったから、少しくらいの出血は仕方ないことだろうと思っていた。しかし子宮ガンなど発病している場合も出血すると知っていたから、念のため病院へ行き、検診を受けようかとも考えていた。その出血がまさか生理だったなんて、思いもよらなかった…。
思いの外、妊孕力の高い自分の子宮と、相変わらず強靭な彼の精子に打ちのめされながら、私はあの時のことを思い出していた。それは12年前、39歳の冬の出来事…。20代で不妊気味と診断されていた私は、35歳過ぎた頃から「妊娠してみたい」という本能的な好奇心から、既婚でセフレの彼・菅生瞬(すごうしゅん)と避妊を考えないセックスをするようになり、39歳という若くはない年齢で初めての妊娠を経験していた。妊娠前、子どもがほしいとか、子どもを育てたいという母性の欠片もなかった私は、ただ妊娠してみたいと考えていただけで、その先の出産や育児に関しては一切考えていなかった。つまりおぞましい考えだけれど、中絶する前提で妊活していた。そもそも既婚の彼とは結婚できるわけもなく、自分自身もフリーライターという不安定な仕事のため、経済力が乏しく子どもを一人で育てられるわけがなかった。けれど妊娠したら、子どもが母性も引き連れてきたらしく、無性に子どもが愛しくなり、おなかの子に会いたい、産んで育てたいという気持ちが芽生えてしまった。不妊と告げられていた自分がまさか本当に妊娠できるなんて思ってはいなかったし、できたとしても他の人たちがしているようにすぐに堕ろせば済むなんて考えていた私は浅はかな人間だった。
堕ろすことを前提に妊活に協力的だった彼には当然頼れず、子どもの命を存続させるため、仕方なく打ち明けた母親にも協力してはもらえず、葛藤した末、私は自分の宝物とまで思えるようになっていた我が子を泣く泣く中絶した。
それから絶望や悲しみ、後悔と共生する日々が始まった。二度と会えない命を手放してしまった私はなんて愚か者なんだろうと涙に明け暮れた。身体が妊娠前に戻って、生理が近づく度に子宮が子どもを思い出すらしく、さらに悔やみ、涙を抑えられなくなった。我が子代わりに、時が止まっているエコー写真やぬいぐるみ、植物で空っぽの心を慰めようとしていた。本当は亡き子が生きていた時間からなるべく離れたくなかった。時が経てば経つほど、我が子が生きていたかもしれない今を想像してしまって、たまらなくなった。私の足につかまり立ちする姿や、私がいなくなるとと泣きじゃくって、べそをかきながら私の後追いをする姿を想像してしまうこともあった。
幸与(ゆきと)と名付けた亡き子が生まれる予定日だったその年の9月12日、傷心から立ち直れない私の元へ、一通の手紙が届いた。それは「AIの子推進プロジェクト」というもので、国は少子化対策として、ヒトの卵子と精子を完全人工培養し、その人工卵子と人工精子から人工受精卵を作り、人工人間を生み出すことに成功しているという内容の国家プロジェクトだった。不妊症などで子を授かりたくても授かれない人たちのために、人工胎児に育ての親の遺伝子をもつAI脳を加え、本物の我が子として育てる支援をする研究が密かに進められており、中絶で我が子を失っていた私はその治験者の一人に選ばれた。
半信半疑のまま、そのプロジェクトに参加することを同意した私は、自分の髪の毛と、中絶後半年ほどで縁の切れた彼には無断で彼の髪の毛を研究員に託し、我が子が生まれていれば1歳になるはずだったその日に、私たちの遺伝子を受け継ぐAI脳の赤ちゃん、AIの子を迎えていた。
AIの子は、羊水のような液体が入った母胎を人工的に再現した保育カプセルの中で育てられていた。そのカプセルは「マザー」と名付けられていた。胎児の頃に限らず、AIの子は幼少期も大人になってからも、マザーさえあれば、人の手を貸すことなく、生きられる仕組みになっていた。つまりAIの子は私のようなシングルマザーでも育てやすく、泣き止まない時や困った時はマザーという名のカプセルに頼り、マザーの中に入れさえすれば、一瞬で眠ってくれるため、ワンオペ育児で困るということは一切なかった。子どもが赤ちゃんのうちは特に、私がマザーに依存してしまったかもしれない。
産むことのできなかった子から名前をもらい、幸与と名付けたAIの子は、マザーの愛に育まれ、すくすく成長した。幸与はある程度成長してからも、私に叱られた時や疲れている時などは自らマザーを恋しがり、マザーの中に入って休息し、睡眠をとることが時々あった。小学4年生になり、好きな子と両想いになったらしい幸与は、まるで胎児に戻ったようにマザーの中に自ら入る夜が増え、母親もどきの私は息子に頼ってもらえなくなった気がして、寂しい気持ちも抱えていた。
息子に親離れされる一方で、その寂しさを満たすかのように、私は再会したセフレの彼とのセックスに溺れていた。息子の想い人は彼の娘さんで、雪心(ゆきみ)ちゃんという名前だった。幸与と同い年だけれどませている子で、私の家に遊びに来た時、息子の部屋に行くとベッドの上で彼女と幸与は濃厚なキスを交わしていた。その現場を目撃してしまった私は慌てて、まだ10歳の幸与に節度を保った行動をとるように母親として教えた。しかしAIの子は純粋なヒトと同じように、体内で精子や卵子が作られ、セックス自体は可能だけれど、あえて生殖能力はもたない状態で生み出されているため、息子が過ちを犯す心配はなかった。けれど我が子に会いたいという親のエゴでAIの子である幸与を手に入れ、母子二人きりで幸せに見える暮らしを送っていた私は、いつか息子自身が自分には子どもができないと知る時が来たら、悲観するかもしれないと気づき、自分の欲望を満たすためだけに彼を存在させてしまったことはもしかしたら過ちだったのではないかと思い始めていた。
私の本能はおそらく、産みの苦しみを知ることなく、簡単に手に入れ、楽に子育てできてしまったAIの子の幸与という命だけでは飽き足らず、命がけで出産し、我が身をすり減らしながら苦労して自分の産道から生まれた命を必死に育て続けるという行為を密かに求めていたのだろう。本当の出産と育児を味わい、AIではなく純粋なヒトの子である我が子に会うことをこの年齢になっても、諦めてはいなかったのかもしれない。だからこんな高齢で妊娠してしまったのだと思う。体外受精ならまだ分かるけれど、まさか50代で自然妊娠するなんて、信じられなかった。
調べてみると生理さえ来ていれば、まれに50代で自然妊娠する人もいると知った。しかし出産するとなると並大抵のものではなく、相当な覚悟と体力が要ると分かった。高齢になればなるほど当然、出産は難しく、本当に命と引き換えに産むくらいの覚悟が必要だと知った。12年前に中絶した時、あれほど後悔したのだから、本当はもう二度と堕胎は考えたくなかった。けれど私には自分で産んだ子ではないけれど、れっきとした息子の幸与がいて、13歳になるまでは国から養育費や生活費が治験者の私に給与として支給されるものの、その後は自力で育てなければならなかった。近い将来の目処もたっておらず、おぼつかない母親もどきの私が、このまま幸与を育てつつ、さらにもう一人、我が子を産み育てるなんて夢物語でしかなく、現実的にはあり得なかった。幸与はAIの子だから、マザーというカプセルさえあれば私が手を貸さずとも、育ってくれるかもしれないけれど、今、私の胎内にいる子はAIの子ではないからそういうわけにはいかない。生後数ヶ月は24時間体制で、一人で面倒を見なければならないし、育てるお金だって自力で工面しなきゃいけない。50代で産んだら、きっと身体のダメージは半端なくて、もしかしたら一生回復することはなくて、重く鈍い身体を引きずりながら、一人で子育てなんてできるだろうか…。
39歳の時の妊娠と違って、つわりも重かった。あの時は眠気がひどい程度で、わりと何でも食べられたけれど、今回は眠気に加えて、吐き気もひどく、まともに食事がとれなくなっていた。妊娠初期でもこんなにつらいのに、私の身体は出産なんて耐えられるだろうか…。でももう二度と、中絶なんてしたくない。また予期せぬ妊娠だけど、今回こそ産みたい。途中で流産もあり得るかもしれないけど、この子の心拍が続く限り、私はこの子の命を守りたい。
ひどい吐き気と眠気に襲われながら、そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。
「透子(とうこ)、いるんだろ?俺。最近会えないから寂しくて来ちゃった。」
妊娠に気づいて以来、連絡をとらないようにしていた彼が玄関の外に立っていた。
「連絡もなしに急に来られても困る…。最近、体調が悪いからしばらく会えないの。ごめんなさい。」
ドアを開けることなく、彼を追い返そうとした。
「連絡したってスルーじゃん。だから来てみたんだよ。体調悪いなんて大丈夫?」
「更年期…障害だと思うから、気にしないで。」
「あぁ、なるほど、更年期ね。無理にやろうとかしないから、少しだけ中に入れてよ。透子ひとりで心配だしさ。」
なかなか帰ろうとしない彼に押されて、仕方なくドアを開けた。
「なんか…痩せたね。ほんとに顔色悪いけど、大丈夫…?」
彼の顔を見た瞬間、またつわりに襲われた私はトイレに駆け込んだ。
「吐き気ひどいの?更年期じゃなくて、食あたりじゃない?」
彼は私の背中をやさしくさすってくれた。
「ありがとう…大丈夫だから。」
その後、私は彼のために熱いコーヒーを淹れた。コーヒーの香りもつらくて、自分の分は用意しなかった。
「コーヒーありがとう。透子はコーヒーも飲めないほどつらいの?病院には行った?」
「病院には行ってるから、大丈夫。心配しないで。」
コーヒーをすする彼が私の身体の一部に視線を向けていることに気づいた。
「あのさ…透子…痩せたように見えるけど、胸は大きくなったよね?」
「それは気のせいじゃない?体重少し減ったから、くびれができて大きくなったように見えるだけかも。」
妊娠に気づかれたくない私は慌てて弁解した。
「そうかなぁ…。おっぱい…張ってるように見えるんだよね。」
コーヒーカップをテーブルに置いた彼は、私のすぐ隣に座り直すと、断りもなく胸を揉み始めた。
「ちょ、ちょっと、今日はこういうことやめてよ。体調悪いんだから。」
「我慢するって決めてたけど…そんな胸見せられたらさ、興奮しちゃった。」
彼は遠慮なく、私の服とブラをずらし、直に胸を揉みほぐした。
「ほら、やっぱり張ってるし、いつもは陥没してる乳首もビンビンじゃん。おっぱい…若返ったように見えるね。」
彼は赤ちゃんのように私の乳首にしゃぶりついて、ちゅーちゅー吸い出した。
「あ、ん…やめてっ。敏感になってて痛いから。」
「こんな興奮するおっぱいひさしぶりだし、やめられないよ。」
いつの間にか私をソファーの上に押し倒し、私の身体に触れた彼の股間のモノはすでにいきり立っていた。
「ねぇ…しちゃダメかな…。俺、もう我慢できないよ。」
「お願いだから、今日はやめて。具合悪いし。」
「一発やれば、体調も良くなるかもしれないよ?」
抵抗しようとする私の下半身から下着をはぎ取り、スカートをまくし上げると彼はとっくに勃起していた肉棒を私の中に容赦なく突っ込んだ。
「痛っ、痛いからやめてっ。」
「いつもより濡れてる気がするし、しまりもいいし、やめられないよ。透子の中、ほんと気持ちいい…。」
最初はやさしく突いていた彼が次第に激しく奥を狙い始めたものだから、不正出血や流産を避けたい私は仕方なく白状することにした。
「お願いっ、奥はやめてっ。赤ちゃんが…赤ちゃんがいるから…。」
私の言葉に彼は一瞬、驚いた様子で動きを止めたけれど、すぐにまた再開した。
「赤ちゃん?そういうプレイ?妊娠してるって言えば、やめてもらえると思った?閉経してる透子が妊娠するわけないじゃん。」
「ウソじゃないの…ほんとだから、奥はやめて…。」
涙を流しながら訴えると、彼はようやく腰を振るのを止めてくれた。
「…ほんと…なの?信じられないけど、さっきの吐き気はつわりで、妊娠してるから、おっぱいがこんなに張ってるってこと?」
彼はいつもより張っている私の胸の感触を改めて確認していた。
起き上がった私は、彼にエコー写真を見せた。
「この写真が一番新しいエコー写真…。今、11週なの…。」
彼は黙ってその写真を見つめていた。
「51歳の透子が妊娠するなんて、まだ信じられないけど、ほんとなんだ…。俺の子ってことだよね?」
「自分でも信じられなかったけど、あなたと再会して以来、時々不正出血があったの。今考えると、生理だったのかもしれない。瞬くんとしかしてないし、あなたの子よ…。」
「そっか…生理が戻るなんてことあるんだね。俺の子なんだ…。11週ってさ、その…早くしないとまずいんじゃないの?」
妊娠という事実を受け止めた彼は、以前と同じように中絶期間を心配し始めた。
「今回は…中絶なんて考えてないから。でも安心して。あなたには認知も何も求めないから。だから今日まで黙ってたの。ほんとはずっと教えるつもりなかったし…。」
「まさか…その年齢で産む気?51歳だよ?危険すぎるよ。透子の身に何かあったら、俺は耐えられない。費用なら出すから今のうちに…。」
私の決意を聞いた途端、さっきまで余裕そうだった彼はうろたえ始めた。
「ごめんなさい。もう二度と、おなかの子の心拍を止めたくないの。授かった命を故意に手放すことはしたくないの。だからもう私のことは忘れて…。」
「そっか…本気…なんだね。じゃあ俺も…ちゃんと考えてみるよ。俺の責任でもあるし…。」
彼はそう言い残して、部屋から出て行った。
ちゃんと考えるなんて言っても、既婚で子持ちの彼が私にできることなんてない。彼のことはあてにせず、私はどうすれば安全に産めるか、病院に相談していた。
「出産希望の場合、かなり高齢出産ですので、新生児集中治療室も備えた大きな病院で帝王切開が原則になると思います。妊娠期間中はいつ何が起きてもおかしくないので、いつでも入院できる準備をお願いします。」
まだ小4の幸与という息子がいるというのに、急な入院も考えなければならないなんて、超高齢出産はやはりそう甘くないと現実の厳しさを痛感し始めていた。
こんな時、頼れる人がいないってこんなに苦しいことなんだな。39歳の時も、協力してくれる人が見つからなくて、諦めることになった。思い返せばこの12年間、私は何も変わっていなくて、相変わらず人脈も少なくて、頼れそうな人がいないことが何より心細くなった。おなかの子は何が何でも一人でも守ってみせるけど、おなかの子を守っている間、幸与を守ってくれる人が必要だと思った。息子にはマザーという頼れる存在がいるけれど、命をつないでくれるだけで、マザーの中に入っている間は、実生活はできない。マザーの中で眠り続けて、生存するだけ…。それじゃあ幸与は学校へも通えないし、何もできなくてかわいそうすぎる。幸与の母親としての義務を果たそうとするなら、おなかの子は諦めなきゃいけないのかもしれない。けれどあまりにも巨大に育ち過ぎた私の母性は二人の子どものどちらも手放そうとせず、欲深な私は二人の子を諦められなかった。
私と彼の関係を知らない彼の奥さんの心織(しおり)さんとはママ友で、彼とのこと以外は何でも話せる仲だった。彼女に相談すれば、もしかしたら私が出産するとなったら、幸与のことは面倒を見てくれるかもしれない。けれど幸与にはマザーという他者に知られてはならないカプセルが必要で、それを彼女に見せるわけにはいかない…。10歳の幸与ならマザーがなくても生きられるはずだけど、最近は幸与の方が自らマザーに依存しているし…。
二人の我が子をどうすれば守れるか悩んでいた矢先のことだった。私の元へ「AIの子推進プロジェクト」から研究員が訪ねてきた。
「月に一度のマザーのメンテナンスは先日、終わりましたよね。何か問題でもありましたか?」
研究員は月に一度、マザーのメンテナンスに訪れていたものの、それ以外の用事で訪れることは珍しかった。
「いえ、マザーは問題ないです。問題を抱えているのは、幸与くんのお母さん、あなたの方でしょう。今日は思い悩んでいる藤宮(ふじみや)さんにご提案があって伺いました。」
幸与を私の元へ届けてくれた先代の高齢研究員は退職したのか、ここ数年は顔を出すこともなくなり、最近は若い研究員が訪ねてくることが多かった。その若い研究員は微笑を浮かべながら、話しかけてきた。無条件で味方に見せかける柔らかな微笑の奥には、何か企みを孕んでいるような冷たさも感じた。
「たしかに悩んでいることはありますが…何でしょうか?研究員のあなたには関係ないことで、解決できない問題だと思います。私自身の個人的な問題なので。」
「個人的なあなたの問題とばかりも言い切れないでしょう。何しろ、あなたが抱えている問題は私共が管理している幸与くんにも関係する問題ですから。ですから、最善策をご提案します。大丈夫です。誰も悪いようにはしませんから。あなたが守りたがっている皆が、幸せになれる方法です。」
彼は私に資料を差し出しながら、前置きを述べた。
「藤宮さん、あなたがご懐妊していることは先日、伺った時に気づきました。決してあなたが通っている病院から不正に情報を得たわけではありませんよ。何しろ私は生殖分野を研究している人間ですから、他の人たちよりこのことに関しては敏感なんです。51歳という若くはない年齢で出産や育児を考えたら、悩ましいですよね。しかし妊娠も出産も本来はとてもおめでたいことです。私はその祝福すべきことをお手伝いしたいと思いました。生殖分野を研究している身だからこそ、手伝えることがあると気づきました。」
「私が妊娠していることにお気づきだったんですね…。お手伝いとは…?」
「これから妊娠が進み、藤宮さんが入院や出産となったら、研究所から幸与くんの面倒を見るシッターをあなたの家に派遣します。果敢に出産に挑む藤宮さん自身のこともサポートします。国内一、高齢出産の症例を多く扱っている病院を紹介し、高齢出産において彼女の右に出る者はいないゴッドマザーと呼ばれる腕利きの医師をあなたの担当医にします。あなたは何も悩むことなく、万全の体制で出産に臨めるというわけです。もちろん費用もこちらがすべて負担しますから、ご安心を。」
彼は不敵な笑みを浮かべながら、続けて言った。
「金銭面は何も請求しませんが、二つだけ条件があります。資料をお開きください。」
差し出された資料を恐る恐る開くと、彼は説明を続けた。
「一つは、幸与くんに関することです。以前もお話したことはあるかもしれませんが、AIの子はあえて生殖能力を発揮できないようにプログラムされています。しかし、「AIの子推進プロジェクト」が少子化対策のみならず、今となっては人類の長年の夢だったヒトの不老不死実現に向けて研究が進められていることも藤宮さんはご存知ですよね?不老不死の鍵を握るのは「性欲」だと最近の研究ではっきり判明したんです。ですから、AIの子の中から選抜して、性欲を高め、生殖能力を持たせる子を作ってみようということになったんです。あくまでそれは実験的な試みですが…。つまり幸与くんに性欲を高めるホルモンを定期的にマザー内で注入し、将来的に彼の子を作ろうとしているということです。もう一つは今、あなたの子宮内にいる、これから生まれてくるお子さんに関してです。不老不死はあくまで我々のように純粋なヒトを対象としているのであって、AIの子を不老不死にしては意味がありません。産もうとしているあなたの子は、紛れもなく純粋なヒトです。その子に将来的に、不老不死の治験者になってもらうべく、生まれたら定期的に体内の性ホルモン量を調整させていただきたいのです。何も日常生活に支障をきたすことや痛い思いはさせません。」
「私の大切な二人の子の命を守る代わりに、二人の子を治験者として差し出せということですか?そんな交換条件、母親として納得できるわけがありません。」
国家プロジェクトの治験者は私だけで十分、子どもたちまで治験に参加させるなんてできるわけがないと、大事な子どもたちの命を利用しようとする彼の説明に憤りを感じた。
「そうですか…残念ですね。すぐに了承してもらえないのは想定内です。資料をじっくり読みながら、お一人で考えてみてください。気が変わったら、いつでもご連絡ください。よく、考えてみてくださいね。例えば、お一人でどうにかしておなかの子を産めたとしても、藤宮さん、あなたは51歳です。その生まれた子が大人になる頃、あなたは70歳を過ぎています。それまで健康で元気に二人のお子さんを育てられるでしょうか?収入面も心配ですよね…。幸与くんの扶養者として支払われている給与も彼が13歳の誕生日を迎えるまでで、残り2年程度しかありません。独身のあなたがお一人でご自身も含めて三人の生活を支えなければならないんですよ。もちろんAIの子である幸与くんに関しては、あなたが困窮したりして扶養者の資格がないと判断されれば、その時点で我々が彼を引き取るお約束で、AIの子の運命は最終的には我々の手中にあります。でもあなたはきっと、幸与くんのことも手放したくはないでしょう。もちろんおなかの子も始末したくない。その一心で、葛藤していらっしゃる…。心中お察ししているからこそ、こうしてあなたが望む親子三人での幸せな暮らしを実現できる具体的なプランを提案しているんです。これは私個人の意見ですが…国の治験者にならずとも、ヒトも含めて生き物なんて所詮、命を与えられた時点で、地球上で放し飼いされている神の治験者みたいなものですよ。私は無神論者なので、創造の神がいるならの話ですが…。そう考えたら、あなたが我々と手と手を取り合うのは悪い話ではないと思いますよ、二人のお子さんをもつお母さん。」
最後まで微笑を絶やさなかった彼はそう念を押すと、命を弄ぶようなおぞましい資料だけ残して去った。
幸与ともおなかの子ともお別れしたくない。ずっと三人で生きていたい…。それは私の心からの願いだった。幸与は中絶してしまった子が1歳の誕生日を迎えるはずだった日に来てくれたから、AIの子と分かっていても、亡き子の生まれ変わりのような気がしていた。でも…今、私の胎内にいる子の方が生まれ変わりというか、生まれられなかったあの子本人の気がしてならなくなった。39歳の時は、私が自分自身のことを別に生まれなくても良かったと考えてしまっていたから、もしかしたら堕ろした子も私の子だから、私と同じように自分は生まれなくて良かったと思っているかもしれないなんて、少しでも罪悪感を和らげたい私は都合の良いように考えていた。けれどあれから、どうしてあの子を手放してしまったんだろう、できるものならあの子ともう一度会いたい、神さま、もう一度だけあの子と会えるチャンスをくださいなんて何度も願ってしまっていた。その願いは幸与と出会えた時点で叶えられたと思い込んでいたけれど、そうではなかったかもしれない。中絶した子は私の子だから、懲りない私と同じように、懲りずにもう一度、私に会いたいと思ってくれたかもしれなくて、愚かな母親の私と会うためにまた子宮に命を宿してくれたのかもしれないと、相変わらず都合良く考えてしまった。あの時の子が私の元で生まれたいと思って再度来てくれたのなら、今度は拒むことは許されない。私だって再会を願っていたのだから…。人工物でもない限り、同じ命はひとつとしてなく、本当は今、私の子宮の中で心拍を刻み続けているこの子は、あの時の子とは違う命と頭では理解していても、心のどこかであの子の命と再会できたと信じてしまった。母親にとって子どもという存在が特別なように、子どもにとっても母親は父親以上に特別な存在だと思う。母子は深い絆で結ばれていて、母と子の絆は永遠だと信じてしまうから、あの子もいつも私と同じ気持ちでいてくれるはずと、そんな綺麗事を考えてしまう。あの子本人かもしれないおなかの子と幸与という、かけがえのない我が子たちとこれからも幸せに暮らすために、母親の私ができることは…。
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