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noteを続ける理由 - わが子への手紙

私はnoteを、わが子への20年越し手紙のつもりで書いている。

順を追って話したい。

まず、人の役に立ちたいという欲求

人材育成の世界にいると本当に日々学びがある。研修やコーチングに参加頂く経営者やその道のプロの皆さんから学ぶことも本当に多く、余談・雑談の中に豊かな学びが含まれていることも多い。

普段有料でサービスを提供している手前、研修内容そのものを無料で発信することはできないが、その周辺情報や私見を発信することで、関連テーマで困っている人の役に立ちたい。

嘘っぽく聞こえるかもしれないが、同じように何らかの形で誰かの役に立てたら嬉しいと思ってnoteを始める人は少なくない気がする。

例に漏れず、私もその一人だ。

自分自身のためでもある

次に、noteは自分の思考整理に役立つ。なので自分自身のために書いている側面がある。アウトプットすることで着実に自分の引き出しが増えていく。

乾燥機に入っている多種多様の洗濯物をTシャツ、下着、タオルと分別し、いつでも迷わず取り出せるように決められた場所に収納していく。そういう感覚に近い。

そしてそれ以外に私が明確な読み手として設定している相手がいる。

それが自分の子供達である。

わが子への20年越しの手紙

私は大学4年の時に父を癌で亡くしている。

そのため私にとっての父は、大学生の自分が理解できる範囲で止まっている。

残念ながら、親の偉大さは自分が親になって初めてわかるし、親の経営者としての凄さは自分がその立場になった時に初めてわかる。

昔大人が「大人になればわかる」と言うと私はそれに辟易したものだが、今は一理あると思う。その立場にならないと分からないことはある。その立場を経験しないと、会話にすらならないのだ。

やっと父が経験したようなことを経験し、「今仕事でこんなことがあるんだけど、父さんの時はどんな感じだった?」とか、「今こんな事で迷ってるんだけど」とか聞こうと思っても、聞くことはできない。私と父との時計は大学生の時に止まったままだ。

人生100年時代と言えど、自分の子供達が成人し社会に出て色々な課題に直面した時、残念ながら私がこの世にいる保証はない。かろうじて生きていたとしても、違う国で離れて生活している可能性は十分にある。遠くで見守り、励まし、求められればアドバイスをする。そんな親として普通の事ができない可能性も十分にある。

これを書いているダイニングテーブルで、長女はおしり探偵を読んでいる。私が土曜の朝に20年後の自分に向けた手紙を書いているとは夢にも思っていないだろう。

正直今自分が書き残していることが、20年後の未来にどれだけ役に立つかは分からない。時代が大きく変わり、文脈が大きく変わってしまっている内容の方が多いだろう。

しかしnote上に残した自分の経験が、この子達の人生に少しでも役に立てば、親としてこんなに嬉しいことは無い。

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