壊れた窓理論、子育て、リーダーシップ
靴箱の上の荷物
我が家の玄関にある靴箱の上には、ちょっとした季節の飾りものと家族写真が置いてある。
ハロウィンならミニチュアのカボチャ、クリスマスにはトナカイが座っている。
妻も私も比較的家の中をスッキリさせておきたいタイプなので、意図した飾り以外は極力物を置かない様にしている。
が、現実はそんなに甘くはない。
財布、帽子、子供の水筒、折り畳み傘など、気が付いたら靴箱の上が物置き状態になってくる。
定期的に片付けるが、気が付いたらまた同じ状態だ。
あと5分
我が家の子供達には、8時以降テレビやiPadといった電子機器の利用を禁止している。
理由はシンプルで、寝る時間や睡眠の質に影響するからだ。
一方で、こういうルールの決め方をすると何が起きるかというと、「あと5分でこの映画が終わるから8時5分まで待って!」という子供とのやり取りだ。
こういう時の対応は家庭によって分かれるのではないだろうか?
私はどちらかというと、ルールとは本来その背後にある目的を達成するものであり、状況によってルールが変化することはあり得ると考えているため、5分くらいならいんじゃない?という対応をする事が多い。
それは映画の最後の5分をお預けされるモヤモヤはわかるし、5分程度の睡眠の質や睡眠時間に大きな影響はないという判断からくる。
もっというと、その5分のために子供と戦う事になれば寝る時間は5分以上後ろ倒しになるリスクすらあるため、条件を飲むことで寝るまでのルーティンをスムーズに進めることを意図的に選択する。
但し、その弊害もある。
ある日家族で朝から外出し、帰宅が20時25分頃になった。
すると娘が、
「今日は朝からテレビを見ていないから20時30分までの5分間だけ何か見ていい?」
と聞いてきた。
この場合、みなさんはどうするだろうか?
ちなみにこの日の午前中に娘は習い事に行っており、午後の予定の中でも確かにデジタルデバイスに触る機会はほぼなかった。
私はどう判断するかと言うと、直感的には無し。
但し、前述の映画のケースが良くてこのケースがダメな論理的な説明も難しい。
例えば、寝る時間により近いとか、まだお風呂も入っていないとか、いくらでも理由を作る事は出来るが、若干「ああ言えば、こう言う」的な印象は拭えない。
小学生にもなれば、ダメな理由を探す親という風に見抜くだろう。
壊れた窓理論で治安を改善したニューヨーク
1990年頃、治安が悪い街の代名詞だったニューヨークは、今ではアメリカの中でも比較的治安のいい街として、多くの観光客を魅了している。
その過程で犯罪率の低下に大きく貢献したのが、当時のジュリアーニ市長だ。
彼は治安向上施策に「Broken Windows Theory (壊れた窓理論)」を取り入れたと言われている。
これはアメリカの犯罪学者であるジョージ・ケリングが提唱した理論で、以下の様なロジックになっている。(以下、Wikipediaから引用)
ルール違反は軽微でも無し
ルールだから守る、という思考停止やルールの目的化に対しては強い違和感がある。
但し壊れた窓理論を踏まえると、軽微であっても違反は取り締まるという強い姿勢が規律ある社会を作り上げる事がわかる。
元々犯罪学から生まれた理論だが、前述の子育てのケースにも当てはまる気がしてならない。
綺麗に片付けられた靴箱の上に何かを置くと目立ってしまうため、多くの人はそこに何かを置いてはいけないと思う。
但し、そこに一つだけ無造作に誰かの荷物が置かれていたら?
2人目にその場に来た人は、ここは荷物を置いてもいい場所であると認知するだろう。
3人目がどうするかは想像に難くない。
この悪循環を防ぐためには、1人目が荷物を置いた時点で、断固たる態度を取る必要がある。
テレビのケースも一緒だ。
5分を認めると、ルールを破っても軽微なら許されるという認識を与えてしまう。
さらに10分でもいけるのでは?という期待も与え、どんどん悪循環に陥っていき、親としても5分を認めた手前、説明が難しくなっていく。
極端な話、1ドルなら他人のお金を盗んでいいという解釈に繋がる可能性すらあり、良かれと思ってやっていた自分自身のこれまでの対応を少し反省した。
職場での軽微な規律違反
ビジネスシーンでも似た様な場面に出くわす。
もし会議に2分遅れてきたメンバーがいたら?
文化の違いとして諦める?
これは企業文化の話なので、どちらが正しいという話ではない。
但し、時間を守るというルールがあるのであれば軽微でもルールを違反しているという認識を持たせる様なコミュニケーションが必要になるだろう。
そうしないと、この程度は許されるんだという共通認識が生まれ、その影響が雪だるま式に広がっていく。
みんな時間を守らない、と嘆くマネジメントにたまにお会いするが、もしかするとその原因の一つはそれを黙認してしまっているマネジメントにあるのかもしれない。