人はいつかは誰もが死んでゆくものなのに、そんなことを意識して生活している人は多くはないでしょう。ただ歳を重ねて行くにつれ、体力が落ち、健康診断での数値も好ましくないものになってくるとそれほど長くは生きられないだろうと思うことも増えてきます。そして致命的な病気を宣告された日には、いよいよあと何年行きられるだろうと自分の人生の終末を意識するのです。 死んでゆくと言うことは、誰にとっても、とても嫌なことですが、誰も避けて通ることはできない現実なのです。どんなにもがいても、受け入れ
仕事のオリエンテーションを 半年前に行った 笑顔の素敵なひと(女性) 正確には8か月前の11月の雨の日 のことでした もうこの年になったら いつ死んじゃうかわからないんだから って言ったので 何言ってるんですかって 笑ってたのに 先週金曜日に なんの前触れもなく 本当に 亡くなってしまったと 聞いて 今日 ロッカーを開けたら 制服と名札と 子供のような小さな 靴が残されていて まだその人の ぬくもりがそこにあるようで どうしたらいいのか ほんの 数日でしたが いろ
浅草を歩いていたら 前から男がすれ違い間際に 「あの、すみません 僕東京出てきたんだけど仕事うまくいかなくて、これからふるさとの宮城まで歩いて帰ろうと思うんだけど、お金なくて、腹減ってて、500円でいいんで恵んでもらえませんか?」 と話しかけてきた。 男はぼさぼさの頭でひざ下までの短パンにスニーカーを履いていて、見るからにホームレスという風体ではなかったが、このままだと坂を転げ落ちるようにそうなるだろうと思われた。 「別にいいけど、働かないと。東京だったらどんな仕事でもや
虫垂炎の手術をすることになりました。いわゆる盲腸という病気。3月末にお腹の痛みで入院したが、抗生剤で様子をみましょうということで今日まで来たが、やはり回復しないので手術となりました。でもそれでは明日処置しましょうというわけにもいかないようで手術は7月1日。 期待したように回復していなかった盲腸のある右下腹は、そう告げられたせいか、なんとなくしくしくうずいているようで気分は晴れません。ちょうど梅雨の季節ということでもあり降り続く雨の町を歩きながら、大丈夫か?などと思うのです。
30代のころ「深夜特急 沢木耕太郎著 新潮文庫」を読んでいて、当時5巻まで読んでいたが、最終巻の6巻はなぜか読まずに過ぎていた。 そして60代になって、1巻から読み返し5巻まで読み終え6巻がないことに気付いた。 書店に行っても置いていないだろうと、amazon で注文したところ、翌日の日曜日昼には郵便ポストに届けられた。便利な時代になったものだとつくづく思う。そして書店が急激に減っていることに思いいたるのだ。 私の住んでいる町でも、郊外型の大きな書店が昨年閉店し、駅前の蔦
あっという間に父は死んでしまった。さっきまで湯船につかっていたのに、少し目を離していて、今日は風呂が長いなと思い覗いてみたら眠ったように死んでいたのだ。 風呂から上がって、いつものようにビールを飲もうと思っていたのに、救急車を呼んで、心臓マッサージをして病院で心音が停止していること、瞳孔が開いていることを医者が告げ、時刻、死亡が告げられた。 人の生涯は、つくづくはかないものだと思う。それまで生き生きと声を発していたものが、一瞬にしてどこかへ消え去ってしまう。父はどこへ行っ
第五類に格下げされて、コロナもインフル並になった昨今。中央線は通勤通学する人々で嘗てのように混み始めています。 そこには数年振りに経験する「密」空間に慣れない人々がいます。帰りの電車は、奥の方は空いているのに、ドア周りに乗客が多く、もっと奥につめてくれれば乗れるのに、つめない人たち。 人との距離感を詰められない人々がたくさんいるようです。多分その中の一人として自分もいるようで、電車を一本見送ったりします。 三年続いたコロナ生活は、そう易々とは元には戻らない。そんなこと思
梅雨なので、仕方ないのだけれど雨は苦手です。薄曇りの空から、しとしと雨が降る日は、記憶も意識も曖昧になり、何かをする気も失せてしまいます。ぼんやりとただ時間だけが無駄に過ぎてゆくばかりです。 仕事の日は雨が降っていても、いくらか気が張っているのでなんとかするのですが、今日のように休日の雨はどうしようもありません。あくびをして、伸びをして、横になってはベランダの外に出て空を見たり、電線から落ちるしずくを見ています。 いつの間にか窓の外も暗くなり、今日も終わろうとしているよう
このところ、病院に行くことが多い。先週は左目が充血していたので眼科へ。今週は左足の土踏まずが痛くて、整形外科へ。いずれも大したことはなくて安心するが、病院通いが増えているなと思う。年を重ねるということはまさしくこういうことなのだろうと実感する今日この頃。 きっと人はあっという間に老人になり死んでゆくのだ。新聞の最終頁には、毎日のように有名人の死亡記事が掲載されている。それもだんだん自分の年齢に近い人々の記事が多くなってきた。 それでも日常は死者のことなど気にすることなく続