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#28 学校では教えてくれない走れメロス【深読み】【映画感想】
YouTubeチャンネル「出版区」というチャンネルがあります。
ゲストに登場する様々な芸能人や作家などの著名人が『1万円渡したらで、どんな本を買うか』、思考を覗くような企画があり、
タレントの沖優香さんが、30代になって初めて文学に触れたというエッセイを紹介していました。
そこで「走れメロス」の話題が上がりました。
振り返ると、国語の授業には、深読みが変だという印象を強く抱いていました。
「筆者の気持ちを述べよ」や、「このときの登場人物の感情を述べよ」という問題がありますが、その場に筆者や登場人物は当然いるわけありません。
ただ、メロスでも太宰治さんでもない、どこか得体の知れない大人が決めた解答が正解だなんておかしい。
「答えも聞けやしないのに」と、机に突っ伏していました。
しかし、18歳になったころ、
アニメ映画版「走れメロス」を見ることがありました。
当時アニメーターを目指していたこともあり、ストーリーよりも、関わっていた作画スタッフが、沖浦さんや井上さんをはじめとした、今ではレジェンド(昔もすごい方々ですが)だったため、勉強させていただくつもりでした。
メロス アニメ映画版
ぼんやりとした記憶の断片でも、この場面を見た時、引っ掛かりを覚えました。
メロスが村に急いで帰り、妹の結婚式をあげたあとのこと、
原作に覚えのないシーンが追加されていたのです。
それは、結婚式で賑わって、皆が寝静まった夜のことです。
村の隅では、焚き火が静かに二人を照らしていました。
長老は火種を木の棒で突いて、灯りが消えないようにしていました。
村長「これで肩の荷が降りたな。疲れたろ」
メロス「村長さんこそ」
村長「わしは慣れとる。 村長の勤めだからの」
〜(省略)〜
メロス「村長を辞めたくなったことはある?」
村長「あるな、、何度もある」
メロス「そんなとき、どうする」
村長「辞めたきゃ、いつでも辞められる。そう思うんじゃ。」
「それで気が楽になる。またしばらく続けられる」
二人の間では、硬いものを砕くような音を立てて、絶え間なく、燃える。
メロス「辞めたきゃ、いつでも辞められる」
メロスは深く俯いた。自分に言い聞かせるように呟いた。
村長「その時は、先のことを考えるとつらいだけじゃからな。
目の前だけを見て、一歩ずつ進むようにするんじゃ。」
メロス「一歩ずつか・・・・」
メロスは少し、自分に強く言い聞かせた。
(※字幕がないため、手入力になります。
セリフ以外は、ブログ作者より細くしております。ご了承ください。)
本当に、この作品を手がけた製作陣の中核である演出・監督・作画マンの方々の読解力と想像力の豊かさに圧倒しました。
その原作には書かれない「余白」を、
アニメにインサートや、安易な回想などのカット割としてではなく、
作画として非常に難度の高いリアルな芝居や会話劇、
様々なキャラクターの追加シーンを丹念に、描いたのです。
シェイクスピアの劇にも似た深さがあります。
当然、このシーンは全て、原作「走れメロス」において太宰治さんが書いていません。
本当にメロスが言いたかったことは、感じたことは、
こういうことなのでは?と言わんばかりの場面でした。
昔、おとぎ話は寓話を題材にして、物語を作ってくださいという授業がありました。
題材には、「桃太郎」を選びました。
単にきれいな物や割れ物に触るように、恐る恐るなぞっただけ、
出来上がったものは、美男美女の桃太郎でした。
先生に指摘される私は再度原稿に向かいました。
しかし、再び出来上がったものは、
無邪気な子供が出来上がった積み木を積み木で壊した後、全てが点として繋がらなくなっていました。
私にとっての国語の授業とはなんだったのか、全て覆され、
文学の深さを教えられた映画となりました。
〜(省略)〜
村長「どこへ、なにしにいくのか野暮なこと聞くのはよそう。」
「若いってことは良い」
「シリアでも、レバノンでもどこへでも出かけるが良い」
「体の向いた方に未来がある」
そして、死ぬためか、信じる何かのためか、
なんで走り続けるか、その問いかけのなか、村長の言葉を胸に、
メロスはまた走り出します。
この後も、特にセリヌンティウスのがなぜ、人質になったのか、その心理描写や、王の残虐性とメロスの葛藤を見届けた王の側近など、原作のテーマでもある「信じること」を保管する場面がいくつも見受けられます。
これを超えるほどの、アニメ映画を未だないかもしれないと、今日も考えております。
もし、学校の授業で、国語や道徳をやることがあればです。
万が一でもですが。
この今はVHSかレーザーディスクでしか見れない、このアニメ映画『走れメロス』(1992年、東映)を上映して、もう一度、
『走れメロス』について、答えのない答えを深読みしていきたいなと考えております。
最後に
最後までお読みいただきありがとうございました。
去年、古本屋で、アニメ映画『走れメロス』(1992年、東映)仕様のカバーがついた小説『走れメロス』を見つけ、驚きと喜びを持ってレジに向かいました。
今ではこれも100円で読める文庫本ですが、自分にとっては値段の付け難い作品として本棚に飾っています。