母と私といちごジャム
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夜、スーパーに行くと、いちごを見つけた母が
「パンにいちごジャム塗って食べたい」
と言うので、朝食べられるようにと
夜中にいちごジャムを作った。
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いちごジャムと言えば、小学校で毎年恒例だったいちご狩りの日のことを思い出す。
学校から家が遠く、5月の夏日のような暑さの中、2時間近く直射日光に晒されたいちごは、
家に着いた頃にはもうぐっちょり。
「せっかく摘んだ苺が、、」
「もっと家が近ければ、今頃美味しく食べられているのに、、」
と悔しくて悔しくて半べそかきながら帰った。
そして、仕事帰りの母に見せるときには大号泣。
けれど母はそんなとき、ぐちょぐちょのいちごを見て、
「やった!いちごジャム作れるじゃん!」
とウキウキでいちごジャムを作ってくれた。
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これを毎年やった。(計6回)
すぐ忘れちゃう母はきっとこんなこと覚えていないけれど、
あのとき母が私を励ますために作ってくれたように、
今度は私が母のためにいちごジャムを作る番だ。
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すでに就寝中の母は明日の朝、どんな顔して食べてくれるのかな。
いつもみたいに、目をクリクリさせたり、
こちらが引くくらいニマニマしたりするのかな。
そんなことを思いながら、一度閉めた蓋をもう一度開け、ジャムの甘い香りを嗅ぐ。
あ、お先にニマニマしてしまった。
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(次の日)
リビングに向かうと、母はすでにいちごジャムをパンに塗って食べていた。窓の外の景色を眺めながら食べる母は、なんだか大人しい。
「どう?」と聞くと、母は、力の抜けた声でこう発した。
「おいしい、、、」
どうやらこの日は、美味しくて黙るタイプだったようだ。
気分を良くした私は、レモンを買い忘れたせいですっきりした後味に仕上げられなかった後悔を晴らすため、ついさっき摘んできたミントをのせてあげた。
すると母、ミントの香りに1発K.O.
そして私は、朝の支度をしながら母の反応を見ようと思い、母の近くでウロウロしていた。
けれど、母はずっと、ミントが飾られた食べかけの食パンを眺めていた。
今日は一段と大人しい母。
これは、美味しかった結果、黙っているのか?
それとも、まだ食べずにじっと眺めているのか?
母の時間の流れを遮らない程度に、そっと聞いてみる。
「、、た、べた?」
母の答えは、「まだ、。」だった。
「あ、おっけ」と言って微笑む私に、
母は、目を閉じて
「本当にありがとう。本当に幸せ、、。いただきます。」
と言って、ようやく口に運んでくれた。
美味しい美味しいと何度も言ってくれる母は、
少し涙ぐんだような声をしていた。
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私は、そんな母を前にして、ひとつ気が付いた。
「いつも慰めてくれる母を、私はうまく慰めることができない。」
私が泣いたとき、母はいっつも励ましてくれるのに、私は泣きそうになる母に何て声をかけてあげればいいか分からない。
どうすればいいのか考えた挙句、時間だけが過ぎて、気付かないフリで終わってしまう。
どうしてだろう。友達なら何とか言ってあげられる気がするのに、20年以上一緒に過ごしてきた母への慰め方が分からない。
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けれど、食べることが大好きな母のために、私ができる唯一の方法。
それは、美味しいものを作ってあげること、かもしれない。
言葉で慰められないのなら、食べ物で心を満たしてあげればいい。
やっぱり、「美味しい」は正義なんだな。
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(余談)
私も、いちごジャムを塗った食パンにミントをのせて食べてみた。
蜂蜜でつくったいちごジャムの優しい甘さと、鼻に抜けるミントの爽やかさ。
あたたかい陽だまりに春のそよ風が吹く、そんな春の清々しい朝にぴったりだ。
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