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#5 ツールで子育て対話~親のためのシステム思考~
家に入るとき「靴を脱ぐ?」「靴を脱がない?」
多様なルーツを持つ人たちが住む米国で暮らしていると、「みんな異なる」がいろいろな営みの土台になっているなあと感じることがよくあります。
家に入るときに「靴を脱ぐ・脱がない」というのも家庭によって異なります。そのため、誰かの家に行くと、玄関で「靴は脱いだほうがいい?」と聞くことになります(玄関部分に靴を脱ぐことを想定した段差がありません)。
もちろん、その家の住人の足元を見て分かれば聞く必要もないのです。でも、迎えてくれた人が、外履きのようにも、室内履きのようにも見える判定不可能な履物を履いていることも多いのです。質問に対する答えは、家によってまちまちで、「脱いでほしい」と言われることもあれば、「履いたままでいいよ」と言われることもあります。
そして、何より驚いたことには、「if you want」と言われることも結構な確率であります。つまり、あなたが脱ぎたいなら脱げばいいし、履いたままがいいなら履いていていいよ、ということです。靴を履いた人と、靴を履いていない人が混じることが私にとって最も好ましくない状態(衛生的な側面で)なのですが、この点においても主体性を重んじる人がいることにびっくりしました。
「みんな違う」からスタートすると想像しても分からないから、直接尋ねることになり、コミュニケーションが生まれます。相手のやり方を受け入れる寛容さも必要になります。
米国と比較すると、日本は「みんな同じ」がいろいろなことの出発点になっているように感じます。日本で誰かの家に行って「靴は脱いだほうがいい?」と聞いた経験はありません。家に入るときは「靴は脱ぐべきもの」と認識しているので改めて聞きません。
「みんな同じ」が前提の場合は、行動する前に誰かに「聞く」ことよりも、ほかの人の行動を見たり、みんなが考えていることを想像したりすることが増えるような気がします。
顔の見えない「なにか」に影響される自分のふるまい
前回、自分の中に新たに生じた「〇〇すべき」がさらなる息苦しさを生んでしまうこともある、と書きました。「〇〇すべき」をひもとくと、外部にある評価や、世間からの圧力が影響していることがあります。
「ツールで子育て対話~親のためのシステム思考」(システム思考実践家の江口潤さんと立ち上げたオンライン対話の場)の5回目では、システム原型をアレンジしたもの(望まない衝動)を作って、この構造について対話しました(ご参加くださった皆様ありがとうございました!)。
本当はそうしたいわけではないのに、外部にある評価、世間からの圧力の影響を受けて行動してしまうことは、子育てでも子育て以外でもよくあると思います。その結果、短期的にはうまくいっても、長期的には本当に望んでいない作用が起きることがあります。
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今回は参加者のみなさんで、これに当てはまるような状況についてそれぞれ考えてシェアしました。
【例】米国在住・米国現地校に子どもが通っている。勉強だけでなく、今の年齢でここでしかできないやりたいことを経験したり、思うままに思考をいろいろめぐらせたりする余白時間を子どもが持てるほうがいいと考えている。
〈ふるまい〉いずれ日本に帰国するときに備え、米国現地校の勉強に加えて、日本の学年の進度に合わせて並行して子どもに日本の勉強をさせなきゃと行動する
〈望まない作用〉勉強に充てる時間が増える→勉強以外のことをする時間がなくなる→余白時間がとれなくなる→学びの動機も下がる
〈望まない結果〉望んでいた状態(余白時間を子どもが持つ)とは異なる結果になり続ける
〈ふるまい〉に影響をしているのは何か。一つは、「同じ年齢の子どもたちは、同じタイミングで、決められた学習内容を習得すべき」という「外部にある評価、世間からの圧力」でしょう。このケースでは、それに影響されている限り、並行して勉強時間を確保し続ける必要があり、余白時間が生まれることはありません。
親自身は、年齢で分けられた学年に所属し、学年に割り当てられた「同じ勉強」を習得するという構造の中で人生を歩んできたのだから、影響を受けるのは当然とも言えます。行動する前に、「現況において、自分の子に本当に最適か」という問いを自分自身に「聞く」という状況に至りにくいわけです。
「世間が考える幸せのレールから外れたら?」という不安
参加者が抱えている状況はそれぞれ異なります。でも、構造が似ているので、お互いの話がシンクロし合い、ほかの方の話を聞きながら、ハッとするポイントがいくつもありました。
外部にある評価、世間からの圧力の影響を受けて行動しているうちに、いつしかそれが自分と一体化してくることもあります。その結果、「関係性の悪化」につながる可能性も見えてきました。
親は常に子どもの幸せを願っています。だからこそ「子どもが幸せにならなかったらどうしよう」と不安になります。でも、外部からの影響を大きく受けすぎると、子ども本人がうまく見えなくなって、「世間が考える幸せのレールから外れてしまったらどうしよう」という別の不安にするりと変化してしまうのかもしれません。
「ツールで子育て対話~親のためのシステム思考」イベントの次回案内ページはこちらです。
システム思考実践研究家の江口潤さんのnote