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le 21 août - Paris, 1994
1994年8月21日
11時半に目が覚めた。そしてバス・ルームへ行き、バス・タブに湯を張ってゆっくりと湯に浸かった。リラックス・タイム。その後は、何をするともなくのんびりと過ごした。
夕方になると、相変わらず「ランデ・ヴー」でハイネケンを飲む。その後ヨシさんをアパルトマンに招き、ライティング・ビューローの完成記念にシャブリのグラン・クリュを開けた。
このワインは、結構きちんとした代物らしい。辛口の白として有名なChablisの畑の中でも、本当に猫の額ほどの土地からしか採れない葡萄にのみ捧げられる、最高級の称号なのだ(ヨシさんの受け売り)。
そんな美味いワインを傾けながら、怪しいキノコ群のソテーをつまむ。これを食べたら皆で笑い出すんじゃないか、と話していたほど派手なキノコだったのだが、見かけによらず美味かった。
ヨシさんが帰った後も、ゼンとふたりで夜中の2時位まで飲んでいた。友達のこと、将来のこと、親との考え方の違いやら何やらについて話しながらバーボン・コークをふたりして吐くまで飲んだ(この泥酔を機に、僕は大好きだったバーボン・コークを飲むのをやめた)。そして胃の中のものを全て吐いた後で、重い頭を抱えてベッドに入った。
編集後記
昼前まで眠り、だらだらと過ごして夕方から飲む。なかなか怠惰な日曜日だったようです。
当時はワインの知識をまったく持ち合わせていなかったもので、ここに書かれているワインがどれくらいのものだったのか見当もつかないのですが……シャブリのグラン・クリュといってもわりと幅がありますし、恐らくそこまで高級なものではなかったんじゃないかと思います。
そして、深夜のバーボン・コーク。
実はパリに着いてすぐの頃、近所のお店でバーボン・コークの350ml缶を発見したんです。確かFour Rosesがベースのやつだったと思います。当時、日本ではそういう缶入りのカクテルって見かけなかったですから(SUNTORYのザ・カクテルバーが発売された翌年です)、「こんなのあるんだ!」と嬉しくてちょこちょこ買って飲んでいたんですね。
そのうちに「バーボンのボトルとコカ・コーラのペットボトルを買って自分で割った方がずいぶん安いよね」という話になり、その結果、際限なく飲んでしまうという事態を招いたわけです。
このときはふたりして代わるがわるバスルームに行って吐き、本当に酷いことになっていました。お酒の趣味が大きく変わったこともあり、このとき以来今でもバーボン・コークは口にしていません。