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ヤドカリ放浪記2024~天草-牛深編~

1月12日
5:19
南公園
早めの就寝だったのでこんな時間に目が覚めてしまった天草での朝
外に出て市街を一望
まだ真っ暗だ(^ω^;
5:37
ホテルアレグリアガーデンズ天草

くまモンクイズの対象施設③と思いきや④!?
どっか飛ばしちゃったか?
問題はモニュメントの名称がクイズ
三択でやり直しが出来るけど、現地に行かないと問題を受信出来ないからね…

せめて観光地にしてくれ〜
この為だけに来ても観るところがないやんけ
5:49
ペルラの湯舟

ホテルアレグリアガーデン天草の敷地内に併設している天然温泉施設
朝六時から利用できるヌルスベの湯だ
泉質は単純泉の上、循環ろ過湯だが湯触りは悪くない

塩素臭もあまり気にならなかった
そして何より有明海に面している為、眺望は最高だ
真っ暗だったけど…
そのうち徐々に空が明けてきたので、景色もそこそこ楽しめた

ただ朝日は黒い雲が覆ってて観れそうに無かったので諦めて上がる
それにしても天草って本当に温泉が沢山湧いてるのね
ホンマ弓ヶ浜だけと思ってたのよw
7:17
芳證寺

1645年建立
開祖は中華珪法
代官 鈴木重成の両親の菩提寺として、その戒名をとり、月圭山芳證寺と名づけられる
寺領十二石を受く
芳證寺文書によると、この芳證寺は中世城跡
御領城跡であり、後にキリシタン教会が建ち、鈴木重成時代には茶屋が置かれた

その後に芳證寺が建立されたと記されている
1700年に一度焼失し、1720年再建
大門の山号の文字は鈴木重成代官の筆跡である
城跡と言う事で訪れたらお寺だったからちょっとビックリした
そんなお寺をチョイと見学
そのまま車を置いて来た道を戻り、散策する
7:26
観月橋
つきみ橋
1951年のルース台風によって御領湾内の護岸は壊滅的な被害を被った
その復旧工事として現在の国道四差路付近まで海岸道路が出来た
その後、埋め立てられて排水溝のみ残っているがその時架設された木橋が観月橋である
その当時はここから東方へ向かって視界を遮るものは何一つなくコッパ(切干甘藷) 干しの棚が作られ、夕涼みのメッカであった
上島から登る月光が海に照映され、黒崎の黒松がシルエットとなった
現代と違い自然の中に人々が溶け込み、 人々が集い、今昔話に花を咲かせた良き時代の名残である
現在の観月橋は二代目のコンクリート製
馬場川に架かる橋である
もう少し温泉に浸かっとけば朝陽を眺められてたな…
良い天気になってきやがったぜ
7:46
鬼の城公園

鬼の城切支丹公園
いつも海岸沿いを走るからたまには山道と思ったのが失敗
離合できないヤバい道を走らされ、なんか人工物が見えたと思いきや、デッカイ十字架
その周りには小さな十字架群…
開けた場所に出たと思ったらこんな感じ…
やばいわ〜
絶対に憑いたと思う
高熱出るかもよ
ちなみにこの公園一帯は古くからの信仰の場であり、高さ三mの弘法大師の石像をはじめ、大蛇が巻いてできたといわれる地層のくぼみに寄進安置された百数十体の石仏群や町内から集められた百数基のキリシタン墓碑群等がある
とりあえず観光と思ってグーグル地図に観光名所って打って出て来たスポットだから寄ってみたけど、思ってた場所とちゃう
7:50
鬼の城

本来の目的地は此方
鬼の見晴し台的な遊具?
頂上には座れない小さな椅子と机
鬼になった気分を味わって貰う演出だろう
この施設は鬼のテーマゾーンらしく、鬼の角をイメージした先ほども紹介したシンボリックタワー鬼の城展望台をはじめ、ギリシャ神殿を思わせるような鬼の回廊、直径3.6mの巨大鬼面から水を吹き上げる鬼の泉、様々なイベントか可能な機能を持つ鬼の広場等、兎瓦をモ チーフに取り入れたユニークな施設で構成されている
うん…此処だけで良かったのにな…
8:17
下内野の六地蔵

天草・島原の乱の折り、富岡を覗う一揆軍と富岡城へ援軍として送られてきた唐津軍との間ではげしい戦が交わされた
その時の戦死者を里の百姓たちは、敵味方なく、この地に集め、手厚く葬った
後年になり、その霊を慰めるためにこの六地蔵を建立し祀ったという
たまたま走ってた道路沿いに案内板があったから急遽立寄ったけど、此処もヤバいスポットだった
なんだなんだ〜
天草に呼ばれたのはそういう事なのか?
8:27
道の駅天草市イルカセンター

くまモンクイズの第五チェックポイント
これで最終目的地の場所が分かってしまった
てかまた戻るんかい
牛深からフェリーで鹿児島に移動しようと思ってたのに
ホンマ阿呆な企画やな〜
来年はもうしないよ
で折角の道の駅なので情報収集
ユメールなる温泉施設の存在を知る
十一時開店迄待てないな
9:01
おっぱい岩

国道389号線をを走ってると海の中に建つ鳥居が見えてきた
海が御神体〜と感心して車内から見てると看板におっぱい岩と書かれていたのが目に入ってきた
あ〜彼処に有名なおっぱい岩があるんだね…
満潮で観れないけど、急に興味が薄れて、そのまま通過する
9:06
天草四郎乗船之地

天草に戻ってきた天草四郎率いる一揆軍は天草を治めていた富岡城城代・三宅藤兵衛らを倒し、その敗残兵が立て籠った富岡城(現在の苓北町)を攻撃
堅固な富岡城は中々落ちず、やむなくキリシタン一揆軍は富岡城攻撃を諦めて、再度この地から島原に向かったといわれている
デッカい十字架だからつい寄った
朝のヤバい所と違って何も感じなかった♪
9:22
吉丸稲荷

急遽決めた目的地に向かう途中に見付けた神社
詳細・由来は不明
富岡稲荷神社とは違う
まぁ〜どうでも良い
俺が此処に寄ったのはネコと遊ぶ為
一軒の家の前にネコが屯ってたので戯れに寄ったのだ
何匹かは遊んでくれた♪
落葉で遊んでる子ネコが可愛い♡
9:29
袋池神社

富岡城の直下にあって、広く溜池の名で知られている袋池の畔に佇む小さな社
この袋池は深い木々に囲まれていますが不思議と木の葉が一枚も落ちていません
それには深い訳があるのです
昔、あるお米屋さんに美しい娘がいました
その父親がお米を仕入れる時は大きな枡で買い、売る時には小さな枡で売っていました
娘はやめてくれるよう何回も頼みましたが止めてくれません
悲しんだ娘はこの池に身を投じて龍となり、この池の主になりました
それからというもの毎朝早く未だ暗い頃、娘の姿になり、水面 掃除しているということです
9:39
富岡城

富岡城は別名・臥竜城と呼ばれ、1604年天草統治の本拠地として肥前唐津の城主・寺沢志摩守広高によって築城
三方を海に囲まれ、一方だけが街に通じている天然の要害である
天草四郎が率いる一揆勢の二度にわたる猛攻撃にも落城せず、やむなく一揆勢は島原へと渡った
そんな難攻不落の城
急遽寄ってみたけど石垣が素晴しい
9:43
二の丸石垣

天草は関ヶ原の戦いの後、唐津の寺沢広高の領地となる
寺沢氏は天草統治の為1602年から富岡残を築く
1637年に天草島原の乱が勃発
富岡残は一揆軍から攻撃を受けたが寺沢氏の必死の守りによって落城は免れたが天草島原の乱後、山崎家治の領地となる
この時、幕府は資金を与えて富岡残の修後を命じ、約三年をかけて新たに大手門や百間土手を築き、大修復を行った
その後、鈴木代官の天領時代を経て、1670年に当地に城は必要ないという事で富岡残は破残された
町では富岡残の復元整備の際、面側の石垣部分で三重の石垣が発掘され、寺沢氏・山崎氏の築いた石垣を確認
一番奥の石垣が寺沢氏の築いた石垣で、一揆車との攻防戦の跡が石垣表面に残っている
二番目の石垣はこの石垣を隠す為に急造されたものらしく、途中で壊れたと考えられる
手前の石垣は天草島原の乱後の領主である山崎氏が城の修復を行った際に築いたもの
その為、富岡城の石垣は三重の構造となっている
凄く見応えのある石垣だ♪
9:50
出丸

二の丸前に設けられた郭
白壁には狭間
二の丸・本丸を守る防衛郭だった事が想像できる
それにしても広い
もう少しすれば桜も咲いて綺麗だろう
ピクニックに良いエリアかもね
9:53
二の丸

本丸を守る最重要郭
現在は整備されて公園として活用されている
展望所に遊歩道・広場が設けられており、日本宝くじ協会の助成を受けて鈴木重成・鈴木正三・勝海舟頼・山陽の銅像が設置されている
又ワーキングスペースもある
9:54
東角櫓

その名称の通り、東の角に建つ櫓
二の丸に入って直ぐの所に建っている
昨年五月にワーキングスペースとしてリニューアルしたらしい
9:55
西角櫓

その名称の通り、西の角に建つ櫓
お城まつりの絵画・写真コンテスト応募作品が展示されている
9:57
天草回天之碑

鈴木正三・鈴木重成の鈴木兄弟の像
兄・正三は関ヶ原の戦い等で活躍し、旗本に取り立てられてたが42歳の時に弟の重成に家督を譲って出家
その後、代官となった重成の依頼によって63歳に天草の地に赴いて三年間滞在し、
政策顧問として補佐をした
乱で荒廃した神社仏閣の復旧を重成に勧め、晩年は江戸に住み 1655年に77歳で生涯を閉じる
弟・重成は天草島原の乱後、寺沢堅高の後を継いだ山崎家治が富岡城の立て直しを終えると1641年に天草は天領となり、初代代官として赴任
農村の行政組織を整備し、正三の助言を得て、寺社を復興して民衆教化を図り、荒地を開拓して各藩から住民の受け入れを促進した
天草の石高四万二千石が過大で乱の一因であった事を痛感し、幕府に半減を再三、上申したが容認されず、抗議の意味で江戸駿河台の自邸で切腹
その後、重成の願いは幕府に認められ、重辰代官時代の1659年に半減された
なお重成は天草に赴任するに際し、三河国足助から一仏二十五菩薩を円通寺に祀り、島民の心の拠り所にした
天草の人々は重成・正三・重辰の遺徳を偲んで島内の各地に鈴木大明神、鈴木塚を祀り鈴木神社も造営されている
そんな像を観てるとサイレン鳴る
何事かと思ったら火災が起きたらしい
9:59
日本の恩人像

頼山陽と勝海舟の像が建つ
幕末の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えた日本外史の著者・頼山陽
戦国大名武田氏と上杉氏の天下分け目の合戦・不識庵撃機山図を詠んだ詩人としても知られている人物らしい
1818年8月、頼山陽は西遊の途中、長崎から茂木を経て、当時富岡の城下に開塾していた儒者の渋江龍淵を訪ねた
その時、西海天草灘の展望を吟じたのが泊天草洋
この名吟で世に名を知らしめたらしい
勝海舟は言わずと知れた坂本龍馬の師
西郷隆盛と会見して江戸城の無血開城を果たした人物としても知られる
そんな勝、1856年10月に長崎海軍伝習所の訓練中に観光丸で富岡に来航
鈴木兄弟像を共々東南方面に向って建っている
10:02
苓北町歴史資料館

難攻不落の富岡城二の丸に長屋を復元し、平成27年に開館
館内には富岡城の城絵図を始め、様々な展示資料で苓北の歴史を紹介している
別にいいかな(´・ω・`)
10:06
門跡

二の丸虎口になるのかな?
降りれば帯曲輪に出る
そこには稲荷社が祀られている
でも降りない
10:07
下櫓

本丸下に設けられた櫓
用途は不明
現在は資料館的な利用がされている
此方は無料だったので少し見学させてもらった
10:13
高麗門

日本における門の形式の一つ
富岡城では本丸入口に設けられており、上櫓と共に設置されていた
現在のは勿論再建された門である
そしてその門を潜ると〜
10:15
本丸

かつて苓北町は数百年に渡り、天草の中心として栄えた
1205年からおよそ四百年もの間、志岐氏が統治する時代が続き、戦国時代末期には志岐麟泉が領主となって全盛期を迎えた
その後、徳川時代には唐津藩によって統治され、肥前唐津藩の寺沢志摩守広高によってこの城が築かれたのは先述通り
1天草島原の乱で富岡城は幕府側の拠点として一揆軍から攻撃を受けた
必死の守りで落城を免れた事が乱の早期終結と後の徳川幕府の安定をもたらしたといわれている
乱後、山崎甲斐守家治の領地となり、築城の名手と謳われた山崎氏は大規模な修築及び拡張を行い、現在見られる富岡城の形が完成
山崎氏の後に天草は天領となり、初代代官・鈴木重成の時代を迎える
後に再び私領となり戸田忠昌が城主となるものの、戸田氏の領地替えの際に富岡城は破城
再び天領となって天草の行政の中心となった
10:16
富岡の股のぞき台

股を覗いて見ると上下が逆さまになる事から前後の距離感を失い、ものの大きさも変わって見える事から、あたかも異世界に飛び込んだ様な気持ちになるかもしれません
ぜひ富岡の股のぞき台に立ち、通常の景色と上下逆の景色を比べてみてください
との事
一応覗いてみる

が…
キツイだけだった
10:19
熊本県富岡ビジターセンター

本丸跡に設けられた施設
様々な天草の資料が展示されている
中には本物の甲冑も寄贈されて展示

又奥のシアタールームにはでは、あまくさパノラマダイブと天草西海岸海中世界なる映像も楽しめる
少し観賞する

さて降りますか…
10:39
アダム荒川殉教公園

キリシタン禁教令により志岐教会からガルシア神父が追放され、代わりに教会を守っていた アダム荒川は三ヶ月にも渡る迫害を受けるが信仰を守り通す態度を取り続けたた為、1614年6月5日に斬首の刑に 処された
時を経て2007年6月1日、ローマ法王ベネディクト十六世により、アダム荒川を含む日本人殉教者188人を名誉ある福者に列せられた
ここは天草で唯一福者に列せられたアダム荒川を顕彰する広場である
余り近付かない方が良さげだったので敷地内までは入らなかった
10:44
五足の靴一行上陸地点

1907年夏、与謝野鉄幹・木下杢太郎・北原白秋・吉井勇・平野万里らが当時の富岡町長松本氏から天草の乱、ペーロン等の事を聞き、翌日八里の難路を歩いて大江の教会堂にガルニエ神父を訪ね、南蛮文化について話を聞く
その時の紀行文を五足の靴という題名で東京の二六新聞に発表し、日本の文学に異国情緒の新しい息吹を与えた
ここはそんな五人の青年詩人達が長崎県茂木から富岡に来た時に上陸した場所である
10:46
上町・下町・勢溜

寺澤志摩守広高が富岡城を築城した後、城下町として袋町・さこ町・寺町・上町・下町・舟津町等ができた
道の上町と呼び、海岸沿いのこの辺りを下町と呼びました
下町には船蔵や船頭屋敷が造られ、船の出入りが賑やかで料亭や貸座敷もあった
また兵を集める為に広場を柵で仕切り、一つの仕切りに人が一杯になると何人だと分かる勢溜という場所もあった
…との事
ふ〜ん(´・ω・`)
10:53
頼山陽宿泊の跡

父・春水の三回忌法要が済むと九州の旅に出かけた頼山陽
1818年3月、頼山陽が 39歳の時、長崎・天草・鹿児島・大分を訪れる
その途中、富岡に開塾していた儒者・渋江渚灘を訪ね、天草灘の美しさに感動する
そして、天草洋に泊すの詩が生まれた
ここはその時に頼山陽が宿泊した泉屋が建っていた跡地
泉屋は1832年年富岡の大火で焼失
1969年にこの地にこの碑が建立された
煉瓦造の立派な碑である
うん、頼山陽って良く聞くよね
大分の耶馬渓にも縁ある人だよね
10:54
大神宮

社号は不明
とにかく大神宮としか扁額に刻まれていない
境内には入らなかったが隣の田中家なる古い家屋が味があって良い佇まいだった(*´ω`*)

10:56
富岡城大手門跡

天草島原の乱後の1638年に天草へ赴任した築城の名手・山崎家治が城改修の一環として設置
有事の際、陸路からの攻撃に備えて二丁目と三丁目の間の冬切に堀切を造り、石垣を築いて大手門を二丁目迄前進
そして堀切には橋桁が上下する跳橋を架けた
富岡城の最後の城主となった戸田忠昌は1670年に江戸幕府へ願い出て、本丸と二の丸を破却
以後天草の地は天領になったが大手門の石垣はそのまま残った
うむ、立派な石垣だ(*´ω`*)
11:00
ちゃんぽん明月

腹が減ったので近くで飯が食べれる所を検索して見付けたちゃんぽん屋
その外観に店内
メッチャ通好み
それもその筈、創業百余年の老舗
メニューはちゃんぽん・ライス・ビール・焼酎のみ
ちゃんぽんしかないじゃない(*´ω`*)
なのでちゃんぽん頼んだらメッチャ旨ッ!

スープが違う
豚骨のコクがあるのにクドくない
マイルドな味
麺もモッチリでペロッと平らげてしまった 大盛りにすれば良かったと後悔する
はぁ〜満足な一杯
何ご馳走様でした♪
11:31
苓北町温泉センター

麟泉の湯
くまモンポイント使って無料で入浴と思ったら百円引きのみ
それでもなかなか来る所じゃないから百円引きで入浴
アル単36.5℃の加温温泉で富岡城登城の汗を流す
うん、悪く無い

天草の温泉って良いね♡
因みに施設名は中世の頃に天草を支配した豪族天草五人衆の一人、志岐氏の領主である志岐鎮経が入道して麟泉と名乗っていた事から由来する
12:20
苓北町温泉スタンド

麟泉の湯下に設置された温泉スタンド
十㍑十円
一回に八十㍑迄購入可能
普通なら此処でプール出して浴びるのが一番だったね
飲用にも適しているらしい
12:24
国照寺

1648年、鈴木重成の保護の下に創建され、長崎皓台寺の住職一庭融頓禅師を開山として迎え、天草四ヶ本寺の一つとなり、末寺・末庵を持った寺院
ここの庭園は広大な寺域の中に自然の美を巧みに生かした禅庭園で1838年に完成
庭園は町指定文化財である
本堂に入ると荘厳

阿弥陀仏如来像と二十五菩薩の一佛二十五菩薩が立ち並ぶ姿は実に神々しかったです♡
12:48
味の店ふじ

どれでも500円の旗に惹かれて入店する
うどんに蕎麦にラーメン、牛丼・カレーの全てが500円だ
迷うことなくカレーを注文

予想外にお洒落じゃん
味はと云うと…うん…(^ω^;
でも嫌いじゃないですこういう店
しかも土産に缶珈琲と蜜柑迄貰っちゃった
実質300円位のカレーになったなw
13:39
とどろき公園

とどろき万太郎村なる廃止になったキャンプ場が広がる公園
森林浴や散策、川遊びが楽しめ、涼やかな渓流の安らぎの里として知られる
園内には長さ三十㍍の吊り橋を初め、遊歩道等も整備されており、天草の森の自然を満喫する事が出来る
更に付近には名水百選に選ばれた福連木の官山の水等の名所も多く、天草有数の広域観光エリアとして整備が進められている
そんな公園脇の階段を降りて行くと〜
13:42
轟の滝

轟渕と轟滝からなっており、滝の長さは十㍍
渕の周囲は百㍍ある
春は満開の桜、夏には川で水遊び、秋は紅葉の名所等色々な顔を持つ渓流らしい
メッチャ良い滝だ
滝水に触れてみる
ジンジンする冷たさ
はぁ〜飛び込みたい
でも止めとく
深い滝壺には入らないと決めたのだ∑m(`・ω・´ )
13:56
下田温泉

1963年に国民保養温泉地に登録された天草を代表する温泉地
大正時代迄は河原に自然湧出があり、白鷺が飛来して傷を癒した事から白鷺温泉 とも呼ばれている
泉質はPH.7.84、泉温 51.3℃のNa炭酸水素塩・塩化物泉であふ
何年か振りに訪れたわ
毎回、温泉に入るだけなので温泉街をちゃんと散策していなかったので今回初めて温泉街を散策するとしよう
14:01
五足の湯

明治40年に天草を訪れた五人の詩人・五足の靴に因み名付けられた足湯
温度は約42℃

無料で出来るのは当たり前の事、駐車場も無料だ
少し遊ばせて貰う
14:06
温泉改築記念碑

その昔、温泉に入る時は自然湧き出しを利用して川の中に1坪程の湯船を造り、ムシロで区切り、夜はランプの灯りで入浴していた
それを大正2年に建坪30坪瓦葺平屋で現在の温泉神社の場所に下津深江村営の公衆浴場として建設
この改築記念として湯の本橋の横に記念碑が建立された碑である
14:07
湯の本橋

下津深江川に初めて橋が架けられた橋
明治13年迄は下津深江川に橋はなく、対岸に行くには飛び石伝いの徒歩渡り
大雨で増水した時は学校にも行けない時もあった
明治44年に初めて木製の湯の本橋が架けられたが洪水で3~4回流されている
現在の湯の本橋は欄干もあって風情ある造り
14:08
垂れ湯

湯の本橋の袂に掛け捨てられている垂れ湯
激アツである
下津深江川に垂れ流されているので適温を探したが無理そう
へぇ〜下田ってこんなに面白かったんだ
14:13
温泉神社

下田温泉センター白鷺館の隣にある神社
温泉に感謝する思いを込めて少彦名神と薬師如来を祭神として祀る
毎年五月上旬に下田温泉祭があり、名物のお湯かけ女みこしが町中を練り歩くらしい
境内には湧く温泉は飲泉にも適している様で女性の方が何本ものボトルに汲んでいた
14:16
おにたこ

天草地ダコ使用のたこ焼きの店
白鷺館の横に店舗を構えていた
でも開いてなかった
食べたかったな…
14:22
下田温泉ふれあい館ぷらっと

五足の湯の前にある観光案内所
情報収集に立寄る
特に何にも得られなかった
さて下田温泉を脱出します
14:30
鬼海ヶ浦

天草西海岸
特に此処から妙見浦、十三仏崎にかけては海食崖・奇岩・海食洞が連なり、美しい天草の中でも指折りの絶景地
天気の良い日には長崎の野母崎半島が望め、天草灘に沈む美しい夕日を眺める事が出来る
鬼海ヶ浦には海辺に下る遊歩道があり、気軽に散策や磯遊びを楽しむ事も出来るらしい
そんな此処は日本の夕陽百選に選ばれている天草の夕陽展望スポットの一つ

ただただ太陽が眩しいだけだったw
でもそんな風景に黄昏れるオヤジが三人もいたのには笑った(笑)
14:43
妙見浦

次に訪れた夕陽スポット
天草西海岸の代表的な風景地で海岸一帯は高さ20mから100mに及び、断崖が相接して連なり、付近の島々が松の緑を添えている様子はさながら絵の様な風光であるとの事
ほとんどが第三紀始新統の砂岩礫岩の累積より形成されている妙見崎には妙見洞門及び妙見洞くつがある

洞門には大小の鍾乳石が垂れ、奇観を呈しているらしい
無論まだまだ夕陽を拝むには早い時間である
サクッと撮影だけ済まして先に進む
14:53
十三仏崎

この高台から天草西海岸の代表的な自然景観が一望できるとの事
眼前には紺青の天草灘が果てしなく広がり、南には大ヶ瀬小ヶ瀬の奇勝、北には、 名勝及び天然記念物妙見浦の奇岩の連なり、更に左手後方には白き優美な白鶴浜、そして足下をのぞけば引き込まれそうな断崖
いずれも海の優しさと逞しさに満ちあふれた県内屈指の海岸美
また付近には四国八十八ヶ所の札所でもあり、多くの人々の信仰が絶えない十三仏の御堂があるとの事だったがいまいちよく解らなかった
14:59
与謝野夫妻歌碑

先述した断崖の地に建っている歌碑
この場で歌人与謝野寛・晶子夫妻は壮大な落日と素晴らしい磯の風情をそれぞれ讃えた
その時に詠んだとされるその歌を刻んだ碑だと思われる
15:04
ヤドカリ帰還

景色も良いけど、神戸から家売ってずっと旅してるおっちゃんとの出会いが楽しかった
連れてた犬が、昔飼っていた愛犬ドンにソックリで癒やされたひと時
三十分ほど立ち話してたw
15:28
白鶴浜

先述した砂浜
熊本県内でも数少ない日本の快水浴場百選の指定を受けている海水浴場
1.3㎞にも及ぶ白浜のビーチが鶴がその翼を広げた様に見える事からその名がついた
透明度も抜群でサーフィンなども満喫できるスポットで人気らしい
十三仏崎から下りてくる最中に車内からも見て感動したが、少し夕陽っぽくなってきたので立寄って撮影タイム

楽しいなぁ〜♡
15:54
大ヶ瀬

違うところを目的として訪れたら天草夕陽八景に着いた
大ヶ瀬は海上11mにあり、塔状の岩礁が10余り集まって成り立っている
小ヶ瀬は大ヶ瀬よりも南方828㎞に位置し、此方は二つの岩礁からなる
地質はどちらも概ね同じであり、緑泥片岩・石英片岩・砂岩ホルンフェルスなどに より構成されている
それぞれ岩礁付近の海中では多様なサンゴ類や色鮮やかなウミトサカ など熱帯系の生物が見られ、海上・海中共に壮観らしい
大ヶ瀬周辺は特に海水の透明度が高く、海中の景観が優れているとして妙見浦と共に天草海中公園にも指定されてる
ふ〜ん…とりあえず軽く撮影して目的地へ向う
15:59
西平椿公園

日本の夕陽百選の一つで園内は名称通り山の斜面を覆う程のヤブツバキが咲き乱れる
まだシーズンじゃないのでそれ程でもないがソコソコ綺麗に咲いていた
でも目的は椿ではない
16:01
あこうの木

ここが目的のスポット
大きな岩を根っこで覆う、通称・天草のラピュタ
あこうの木は海岸付近で見られる半常緑高木でクワ科に属し、大地に力強く根を張り、枝や幹から多数の気根を垂らしている南国ならではの植物である
天草では昔から防風樹として役立っており、天草市のシンボルとして市の木に指定されている
うんまさにラピュタ
色んな角度から撮影した
今回、天草に来て一番感動したな〜
嗚呼、沖縄を彷徨いたい♡
16:07
大岩さま

カメリアハウスの裏山に鎮座する周囲三十㍍もある巨大な岩
この巨岩は岩体としては高浜変成岩類にあたるもので天草では最も古い岩石の部類らしい
緑の真ん中にヒョッコリと岩肌を出し、注連縄を締められている
何故に大岩様と呼ばれているのかは説明は無いんだね…
16:20
大江天主堂

真っ白い教会で沈む夕陽に染められ、美しく映え、白亜の教会と呼ばれるキリスト教教会
キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で現在の建物は1933年、天草への伝道に生涯を捧げたフランス人宣教師・ガルニエ神父が地元信者と協力して建立
丘の上に建つロマネスク様式の教会である
ガルニエ神父は村人からパーテルさんと呼ばれ慕われていた
明治40年には五足の靴の五人がパーテルさんに会う為に天草に訪れたらしい
五足の靴とパーテルさんとの出会いは彼らにとって新鮮な驚きと感動そのもので、その体験がのちに異国情緒と浪漫溢れる南蛮文と呼ばれる新しい日本文学を展開する事になったらしい
そんな事は後で知る事になるのだがとりあえずは教会内へ
綺麗だね
心落ち着きますね
16:25
ルルドの聖母

ルルドとはフランスのピレネー山脈の麓にあり1858年に聖母マリアと思われる女性のお告げにしたがって地面を掘ったところ泉が湧出
その水を飲んだ人の病気が次々といやされるという奇跡から付いた名称
此処は天主堂横の岩場に祀られたマリア像とそれを拝む少女像が佇むスポット
泉を見立てた物はない
16:30
天草ロザリオ館

大江天主堂がある丘の下に隠れキリシタンの貴重な遺物などを展示した施設
キリスト教の伝来から禁教、そして弾圧を受けた時代の歴史や信者たちが聖母子像に見立てて礼拝したマリア観音等の資料が展示されているらしい
流石にもう閉められていた
十七時までなのに…
まぁ〜どっちみち入んないけどね
有料だから(´・ω・`)
16:41
マリア像の夕陽

海上に向かって佇むマリア像
静かな時・荒天の日ここを行き来する船人、漁人達に海の道しるべ、心の灯となるように多くの人々の協力を得て建てられてマリア像である
地元の漁師たちが今も航海の安全と豊漁を願って祈る信仰のシンボルで、海を見つめながら漁船の往来を見守っている
夕陽に佇むマリア像である
しかし…これじゃマリア像って判らない…
いや肉眼じゃなんとなく判るけど…これじゃ納得イカない
また危険をかえりみず、画像に収めてに行った

たまたまこの日に此処で夕陽を撮ってたのが俺だけだったから良かったものの
俺が撮影スポットで撮影してる時にこんな奴いたらムカついてたな絶対
お陰でこんな良い画像が撮れました♪
16:58
崎津集落

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産の一つで禁教期において仏教・神道・キリスト教が共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ集落
キリスト教布教の時代、崎津は1569年イエズス会修道士アルメイダによって布教が開始され、殆どの村人がキリスト教徒となったと言われている
集落内には潜伏キリシタンが日常的に祈りを唱えていた神社やゴシック様式の教会、岬の突端に祀られた海上マリア像等が点在し、この土地が独自に歩んだ祈りの歴史を静かに伝えている
そんな集落
素通りしようかと思ったが出来なかった
ちょいと駆け足で散策する
17:00
旧木賃宿

吉村家は大正期に建てられた安宿
構築材には朱の残る椀木と桁が確認できる
当時は漁業や木炭の交易拠点として栄え、中心となる教会と諏訪神社を繋ぐ道沿いには多くの旅館や木賃宿が建てられた
此処はそんな当時の姿を残す貴重な建造物である
17:01
崎津教会

長崎の建築家・鉄川与助によって設計されたゴシック様式の教会で現在の教会は1934年にフランス人宣教師ハルブ神父の時代に再建されたもの
教会が建てられた土地はハルブ神父の強い希望で弾圧の象徴である絵踏みが行われた吉田庄屋役宅跡が選ばれた
この禁教時代に厳しい絵踏みが行われた場所に現在の祭壇が配置されたと言われている
1569年、ルイス・デ・アルメイダ神父によってキリスト教の布教が行われたこの地では1638年の禁教令以後店激しい弾圧を受けながらも240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰が守られてきた
海の天主堂とも呼ばれている
見学時間を終えたばかりみたいで教会内は拝観出来ず
関係者が丁度帰ろうとしていた…
17:04
紋付屋旅館跡

江戸時代から風待ち潮待ちの港として賑わった崎津には、かつて数多くの旅館があ った
紋付屋もその一つで海に面した玄関と船着き場を持つ海の宿であった
海へと突き出た石段に、その名残りが伺えるとの事
この宿には作家司馬遼太郎を始め、野口雨情・菊池寛・林芙美子ら多くの文化人も宿泊した
現在は履歴を踏まえた憩いの広場として整備されている
17:06
崎津諏訪神社

崎津村の鎮守
天草崩れの取り調べで提出された口述書・文化二年四月二日 津村ヨリ差出候書付写によると「何方江参詣仕候而も矢張りあんめんりゆす (アーメンデウス)と唱申候」とあり、神社へキリシタン信者が信仰の枠を越えて参詣していた共生を示す場所である
崎津集落の高台にあり、参拝を終え、振り返ると集落の屋根からポツンと崎津教会が顔を覗かせてる
こういう風景好きだな
17:09
ハルブ神父の墓

崎津神社の参道脇を入った所にある一基の墓
1883年に建てられた教会を現在のゴシック建築様式で立て直した人物の墓である
墓に隣接して修道女が暮らした木造家屋が残っている
17:12
道の駅崎津

朝九時以来の本来の目的である謎解き
もう今日は此処で一泊と思ったけど、飲食店がまったく開いていない
コンビニない
南下しますか(´・ω・`)
最後の夕陽ポイントの黒石に行こうと思ったけど、太陽が雲の陰に隠れてるので最高の夕陽は望めないと判断
真っ直ぐ今日の最終地へ向かいますか
17:51
道の駅うしぶか海彩館

牛深港に隣接する天草の最南端に位置する道の駅
最後の謎解きポイントである
そしてピースはすべて揃った
最後の問題出題地が判明した
まぁ〜朝に答えは解ってたけどね
さて飲みに出ますか♪
18:10
お食事処とん

飲みに出たのは良いが、静かな牛深な夜
メインストリートと思える通りが静まり返っている
えっ…今日って金曜日じゃなかったっけか?
淋しい街だな〜と思い、やっと見つけた此方の店に入店する
ニンニクの芽炒めの単品にさつま美人

うん、美味しい
一軒目はまずまずだ♪
19:03
あかね

牛深町では唯一のお好み焼き専門店
二十三時までの筈なのに閉めてやがった💢
ネコが玄関で待ってた
19:10
わいもおいも母家

路地裏にポツンと灯る牛深の食材を頂ける居酒屋
店内に入ると地元の常連さんで賑わっていた
当たりだな此の店♪
一粒牡蠣の網焼きと焼酎を注文する

焼き過ぎずの良い塩梅のレア加減♪
旨い(*´ω`*)
焼酎が余ったので牛深産の蒲鉾を注文
さつま揚げ的な奴だった

揚げたて熱々
旨い
焼酎によく合う♡
すると大将、後輩さんを紹介してくれて一緒に乾杯
メッチャ楽しい時間を過ごさせて貰う

そして閉店時間
お代は御一緒させて貰った野上さんが支払ってくれていた上、女将からポンカン貰う

なんやかんやと三時間
この店は楽しいし、美味しかった
22:45
ヤドカリ帰還

充分楽しんだので真直ぐ帰還
ていうか何処も開いてなかったので二軒でフィニッシュ
花金なのに淋しいのは田舎だからではなく、正月休みだと母家の大将が教えてくれました
普通飲食店て、そうだよな〜
別府よ…見習って欲しいものだ…(*´ω`*)

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松川紘己
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