ヤドカリ放浪記2015〜飯塚宿ー内野宿編〜
5月11日
AM6:09
秘密の駐車場
いつもより早く目覚めてしまった北Qでの朝
前日の放浪の記録を纏めて過ごすプチ放浪二日目
この日は快晴、ネコも長閑に過ごしてます
AM9:00
明石石油井堀SS
北Qならココ
レギュラーリッター125円
もちろん税別(*´ω`*)
満タンにします♪
AM9:16
戸畑けんわ病院
新しい週が始まったので診察に訪れます
ココは北Q時代の掛かり付けの病院
数ヶ月振りに診察に来たら知ってる顔が全然居ませんでした…
AM10:13
ふれあい薬局戸畑店
薬を処方してもらったので貰いに来ました
少し風邪気味なので風邪薬も処方してもらいました
ココも知ってる顔が全然居ない…
AM10:35
くまくまン家
預けていたSDカードを引き取りに訪問
留守でした( ̄□ ̄;)!!
連絡してたのに〜
AM10:44
スナックShien
そんなくまくまン店
此方に居ました
多分一年ぶり以上
再会五分
例のブツを受け取ってバイバイw
今度ユックリと呑みに来ますね♪
AM10:54
洞海湾
その昔、工業廃棄物により死の海とまで呼ばれた海
現在では元の姿に甦り海中生物も帰って来ている
戸畑と若松を結ぶポンポン船は北Qの名物
そんな昭和の匂いがまだ残るエリアから若戸大橋を見渡す
さて北Qタイムも此処迄
チョイと食べに行きますか
PM0:16
Bepperz
新屋ちゃんが営む飯塚にある別府冷麺の店
店に入るなり俺を抱きしめる情熱的な新屋ちゃん
そりゃ〜予告も無く、突然現れたら嬉しいでしょう
とにかく別府冷麺を注文
冷麺が運ばれて来るまでの間もずっとトーク
そしていよいよ別府冷麺ver,新屋ちゃんを食す
カツオベースのスープ…
うん、ボチボチ
キムチを混ぜてスープを一口
うんカツオスープとキムチの相性が良い
麺を啜る
うん、普通(´・ω・`)
お次にチャーシュー
肉厚で歯応えがあり味も中々
トータル的に旨い♪
胡月や六盛より全然美味しいよ
そこに別府からのカヨさんなる人物登場
見覚えはあるが会話はした事ないな
とりあえず同じテーブルで和気藹々とする
隣に座った初来店の客とも和気藹々する
そんなふれあいの別府冷麺
ご馳走さまでした♪
PM1:45
旧伊藤邸
旧伊藤伝右衛門邸
筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門と歌人柳原白蓮が過ごした邸宅
アールヌーヴォー調のマントルピース・イギリス製の菱形のステンドグラスのある応接間・一畳畳みを敷き詰めた長い廊下等様々な芸術的技法を取り入れた伝右衛門が妻の為にと改築を続けた歴史的建造物
外観と庭だけを一寸だけ見学する
PM2:06
飯塚宿
江戸時代に整備された脇街道の一つ長崎街道
全二十五の宿場町で構成され筑前では六つの宿場があったその一つ
現在では当時の面影は無く本町商店街として賑わっている
とりあえず散策だ
PM2:08
下茶屋
脇本陣の役目を果たしていた薩摩屋跡
全国を測量し地図を作成した伊能忠敬も宿泊したらしい
PM2:11
問屋場跡
継ぎ所とも言い,木瀬屋宿と内野宿までの人足・馬・荷物の引き継ぎを行う場所
馬立場とも呼び常備馬や宿駅・助郷制度によって飯塚宿や嘉麻・穂波両郡から臨時に借り出された人馬も集まっていた
現在は石碑が立つのみである
PM2:17
福岡銀行飯塚本町支店
その前に設置されている郵政の夜明け黒ポスト
近代郵便が東京ー大阪間明治四年三月に開通
九ケ月後の十二月に小倉ー長崎間(長崎街道)に近代郵便が開通
長崎に郵便所(現郵便局)が開所し街道筋の「十六」宿駅に郵便取扱所が開業
この黒ポストは書状集箱(当時は木製)を再現し歴史の再認識と地域活性化を計り、平成十一年四月二〇日逓信記念日に縁のあるこの地(飯塚宿本町)に設置
そんな黒ポスト
PM2:18
冨久荘旅館
商店街の一画に突如現れる大燈籠
その奥に旅館が建っている
その佇まいには歴史を感じる
併し宿場町時代からの歴史では無さそうだな
PM2:19
森鴎外文学碑
小倉第12師団へ着任後、各所に足跡を残す
福岡日日新聞に「我をして九州の富人たらしめば」を寄せ九州の企業家へ社会貢献せよと述べたらしい
文学碑には小倉日記より抜粋された一文が刻まれている
PM2:27
勢屯り跡
参勤交代の大名が宿泊した際出発に先立ち先触・ひげ奴・槍た所
一七二九年には八代将軍徳川吉宗に献上された象が飯塚宿を通った記録が残っている
現在は明正寺
PM2:33
御茶屋
本陣跡
福岡藩主の別館でもあり代官が管理していた
一六四〇年二代藩主黒田忠之の時にこの場所に設けられた
長崎奉行や参勤交代の大名が宿泊
南に飯塚川を望み、東に宿場の家並みを見おろす要衝の地で有事の際は城郭の役目も兼ねていた
すぐ北側には宿場代官の御屋敷が続いていた
明治になってからは茶屋の建物を使用して、飯塚小学校が置かれたが、現在は面影は一切無く飯塚公民館として利用されている
PM2:35
飯の山
飯塚の地名発祥の場所
聖光上人が明星寺開堂供養を行った際、当時この地にあった太養院に人足の賄いを依頼
併し炊いたご飯が沢山あまりこの地に塚のように高く積み上げたので飯の塚と呼び転じて飯塚となった
そんな由来のある山
PM2:40
嘉穂劇場
一九三一年に設置された木造三階建ての国の登録有形文化財
筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者やその家族が中心で大衆演劇等の公演などで賑わっていた
度重なる災害により再々建された劇場は現在でも芝居や落語等で利用されている現役
空いている時は見学のみも出来る
今度の日曜に桂文枝独演会があるらしい
観てみたい(≧ω≦)
PM2:46
藍ありまつ
柳原白蓮展示館・歌人白蓮想開催店
白蓮自筆の短歌短冊や色紙を始め書簡・墨跡等が多数展示されている
別府もこんなのすれば良いのに…
PM3:02
曩祖八幡宮
御祭神に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・武内宿禰及び天神地祇を祀っている飯塚の鎮守
延文四年には神殿が建立され、官兵衛・長政が筑前入りの際に参拝してと伝えられる官兵衛縁の神社
なんか良い気が流れてます♪
PM3:24
ナフコ飯塚南店
今まで使っていたmy湯舟は穴が開いたので新しい簡易湯舟を探しに立ち寄る
なかなか良い子供用プールが無い…
最近の子供用プールは大き過ぎて携帯には向かない…
なので以前から目を付けていたワンタッチ蛇腹バケツを購入する
PM3:37
垂れ湯
飯塚に湧く上質な温泉
近くに入浴施設は有れど使われず、ただただ垂れ流されているだけの勿体無い湯
なので新しいmy湯舟で頂きます♪
贅沢なほどにかけ流し(*´ω`*)
やっぱりこんな温泉が好きだ♡
ちなみに近くの店の事務所下からも温かい鉄分豊富な湯が流れている…
この店は温泉付きなのだろうか?
PM4:30
内野宿
江戸時代に整備された脇街道の一つ長崎街道
全二十五の宿場町で構成され筑前六宿の一つの内野宿は、その建設について福岡藩記録に「一六一二年、毛利但馬被命内野被建」とある
現在の内野宿は国道200号線から外れてはいるが江戸時代当時の道が残り僅かに宿場町の面影を留めている
次の宿場町・山家宿側の西構口から前の宿場町・飯塚宿側の東構口まで約600メートルあり、そのほぼ中央で逆T字に本陣へ道は延びている
大名の参勤交代・オランダ商館長・長崎奉行・幕府高官等の往来など交通煩雑で宿場として非常に栄えていた内野宿
僅かな名残を観る為に散策開始である
PM4:38
内野宿大いちょう
樹齢約400年の福岡県指定天然記念物
1935年までは本陣屋敷内にあった銀杏と内野の夫婦銀杏と言われていた
横には十三体の石仏が祀られている
遠目から観ると圧巻する大銀杏だ
PM4:42
小路薬師堂
大銀杏の裏には小屋があり、内部には木造の薬師如来像・十二神将像が祀られている
でも福部神社っても刻まれている
福部とは瓢箪の古語
で災厄や難を除ける開運につながる霊力や御利益があると言う
横には猿田彦大神と刻まれた石碑は猿田彦は神を導びく者として旅人の道中安全を祈願して道祖神として祀られています
神社なのかお寺なのか?
PM4:44
御茶屋跡
本陣屋敷跡
福岡藩の宿駅では藩主の別館である御茶屋を本陣にあてていた
長崎奉行日田郡代等幕府役人参勤交代の諸大名が宿泊に利用
歴代藩主はココを本拠に内野周辺で猪などを狩したという
明治期には御茶屋としての役割を終え建物の一部を西光寺の庫裏として移築された
併し意外と街道から外れて山手の方に本陣を造っているのは東海道や中仙道には見られない配置だ
PM4:51
庄屋屋敷跡
山内家跡
内野宿観光客用の駐車場として開放している
PM4:53
駕籠屋跡
吉井屋伊六が営んでいた一般客が利用していた旅館
塀には内野宿全景図やなんやら資料が…
そのまま子孫が住まわれている御様子
PM4:55
宗賢寺
冷水越の建設を当たった内野太郎左衛門重信は藩主黒田長政が没すると小庵を結んでその菩提を弔った
重信は長政の戒名の一字を贈られ卜祐宗賢と号した
一六三九年、六十二歳で重信没した後,碓井の永泉寺の和尚はその霊を祀り一寺を開き宗賢寺として歴史を刻んでいる
線路沿いに石碑のみ
本堂はその先にあるらしい
PM5:02
肥前屋
旅籠跡現在は長崎街道内野宿展示館として利用されている
100円で利用出来るが十七時までだったので入れなかった…
残念(≧ω≦)
PM5:03
小倉屋
元禄の頃から現在地に居住して地主で両替商等を営んでいた
質屋も兼ねていたらしい
伊能忠敬がこの地を測量した時、その一行の内三人がココに宿泊している
現在の建物は明治13年に建て替えられご土蔵に使われていた慶長元年作の瓦が保存されている
建物は蔦でグルグル巻かれていた
その前には三辻屋なる酒屋跡がある
PM5:07
長崎屋
脇本陣に使われていた町茶屋
シーボルトが休憩に利用したとか
現在の建物は明治末期の物
大きな建物で庭も見学した
こんな家に住みたい
その右隣には博多屋の屋号の旅籠跡がある
PM5:10
大庭家
江戸時代の前期以来この地に居住
主家は一七七九年の大火後新築されているが二百年以上の歴史を誇る
左側座敷は明治43年に増築したらしい
ここもまた子孫が住まわれている様だ
PM5:13
大黒屋
旅籠跡
面影は無い
少し下手に川が流れていて階段がある
昔の情緒が残っているって感じだ
PM5:14
恵美須屋
旅籠跡
その左手の建物に『私は伊藤家にパア出て行けと言われる』『伊藤家は立入禁止ばかあほより』『ホームレス縁側二帖えいじ』と書いてある
意味不明だ(´・ω・`)
折角の歴史の街を御近所トラブルなんて起こして欲しくないな〜
PM5:17
伊藤家
そんな伊藤家
酒造業を営んでいた茶菓や跡
明治末期の建築物
PM5:19
西構口跡
構口は宿場の出入りを固める役目を担っていたスポット
位置的には南側だが京都や大阪は上方や江戸方面に近い方を東,遠い方を西と呼んでいた
塀石垣の一部を残すのみでその姿は留めていません。
現在は防火そう・消火栓スポットとなっている
PM5:23
内野関屋
関所の番小屋跡
現在は梅の木で覆われている
PM5:24
内野老松神社
一二四八年、太宰府神領の縁から菅原道真公の神霊を勧請して古宮山創建
一五七三年、現在地に遷った
緑と水に囲まれた良い気張り巡らされている神社だと思う
ユックリと参拝する時間が無いのが悔やまれる
PM5:29
大門跡
内野宿西口
東海道や中仙道で言えば木戸みたいなもんだろう
とどのつまり内野宿は此処迄
Uターンする
PM5:37
えびす碑
石造りの道標
太宰府天満宮米山越道と刻まれている石柱と共に恵比寿さまが三差路に祀られている
栄梅講や玉梅講が関係して建立された
内野宿の太宰府天満宮信仰の中,宿場の繁栄と旅人の安全を祈願したと考えられる
PM5:41
人馬継所跡
宿場業務の宿役人として運輸部門に年寄りと問屋がいた
人足や馬を提供する施設が人馬継所で問屋場とも呼ばれ、太い丸柱か幾本も並んでいて明治初期まで伯楽の牛馬継ぎでもあった
PM5:43
油屋跡
屋号からして油を売っていたお店かと思いきや荒物屋さんだったとか…
意外と屋号が油屋で油屋さんじゃないのが多いよな
かの有名な油屋事件の油屋も遊郭だったし…
PM5:45
薩摩茶屋
脇本陣
高級武士等が宿泊していた
長崎街道では六宿とも脇本陣は中茶屋と下茶屋の二軒だけで屋号も黒崎宿を除いて長崎屋と薩摩屋に統一されていたとか…
現在はJA
PM5:49
甘木屋
島原藩御用の物資運送に携わっていた御家
隣奥には正圓寺
因みに戦国時代、大友宗麟の異母弟八郎は家督争いに巻き込まれた為、1550年、この地に潜伏
1656年に内野宿に一寺を開き御本尊阿弥陀如来像の下付を受け、浄土真宗本願寺に帰したのが正圓寺の起源
PM5:51
松屋
酒屋跡
牛丼屋ではない
主屋は江戸時代後期の建築
作っていた酒は松浦川と言い昭和初期まで酒造業を営んでいた
格子が良い感じに宿場町風情を醸し出している
向かい側には白壁造りの麹屋
お酒や味噌·醤油などを作る為の麹を製造していた御家
PM5:55
郡屋
村役人等の集会所
大名その他の通行の際,郡内の大庄屋や庄屋その他の村役人が出張会合し運輸業務にあたる施設が郡屋
その管理者が郡屋の守
内野ではグニヤと呼んでいた
PM5:58
若松屋
旅籠跡
長崎街道の出発点が小倉だからか旅籠系の御家には北九州の地域の名前が多く使われている気がする
PM5:59
東構口跡
構口は宿場の出入りを固める役目を担っていた
此処下町にあった飯塚宿側の構口は東構口
実際には北口なんだけど…
山家宿側の西構口までは約六百m
PM6:00
内野小学校
飯塚市立
文部大臣表彰学校給食優秀校に輝いた小学校
門の横に記念碑が建っている
PM6:03
藤井政太郎君頌徳碑徳碑
一八五五年〜一九二〇年
内野村の人で郡会議員や村長等の要職を長年務め村政に尽くした人物
冷水県道開通に二十年奔走し1920年に完成
林業にも力を入れ村の財政基盤を作り学校の改築·電信局や病院の設置を実現した
その多大な功績を讃え1914年に建立
PM6:09
内野葛
幕府献上御用であった内野葛は筑前内野の名品として有名だった
ここ荒巻家が販売していた
PM6:11
筑前内野駅
九州旅客鉄道筑豊本線の駅の一つ
名所案内に『大根地神社南へ6km徒歩二時間』と書かれていた…
最寄りの観光名所がどんだけ遠いねんw
てか内野宿が観光スポットじゃんよ
さて宿場町巡りも此処まで
本来の目的である地を目指そう
PM7:15
佐賀県突入
九州北西部にあたる県
唐津·伊万里·有田など古くから陶磁器の産地として有名
令制国の肥前国東部に相当する
明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の二県として分立
県名は肥前国風土記に伝えられる楠の木が生え盛るこの地を指して日本武尊が言った「栄の国」に由来するらしい
そんな佐賀に久し振りに足を踏み入れる
PM7:53
吉野ヶ里モール
スーパーマーケットモリナガ吉野ヶ里店で買い物
オードブルセットが半額だったので購入
このセットにはワインだろうと、つい白ワインを購入
晩酌が楽しみだ♪
ちなみに屋号通り吉野ヶ里遺跡が近い
PM8:42
道の駅大和
久し振りに道の駅泊
久し振りの今宵の寝床♪
早速晩酌開始
う〜んやっぱり酒が旨い
テレビ電波を受信しないからお気に入りのDVDを視る
何度視てもフレンズは面白い(*´ω`*)
そんなフレンズナイト
そんな予定にはしていなかった急遽始めた宿場町巡りな一日
あ〜今度長崎街道巡りしなきゃだな〜