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ひらめきをください、読書の秋。

【失われたひらめき】

年を重ねると、かつてのような感性やひらめきが失われる。

アイディアとかが、なーんにも思いつかないこともあるし、ひらめきによる謎のドキドキ感を味わう機会も少ない。

脳の衰えなのか、ひらめきそのものに対する飽きや諦念なのか、よくわからんけど、ひらめきによるワクワク感のない日々は、けっこうさみしい。

私の世代(アラフォーぐらい)ではシェアハウスとかでおなじみのphaさんも、中年になるとひらめきがなくなると嘆いている。

 何かを思いつくたびに、脳にしびれるような快感が走る。すべてがキラキラと光って見える。その瞬間が、生きている中で一番好きだった。
 それ以外の時間は、すべてどうでもいい、と思っていた。

 だけど最近、そうしたひらめきがあまり起きなくなっているような気がする。
 歩いていてもあまり何も思いつかない。そもそも散歩自体がそれほど楽しくない。

引用:『パーティーが終わって、中年が始まる』(幻冬舎)

このphaさんの感覚、すごくよくわかる。散歩のような機械的な、あるいは非常にシンプルな運動でも、ひらめきが訪れるから楽しかった。

では、どうすれば、かつてのようなひらめきを取り戻せるだろう?

毎日楽しく生きていきたいから、ひらめきが欲しい。

【ひらめきを取り戻す方法】

ひらめきを取り戻す方法は、きっと、「天才」と呼ばれていた人たちの日課にある。

天才は、ある種、ひらめきを売りにしている人だから。天才の日課には、ひらめきを取り戻すヒントがあるに違いない。

そう思って手に取ってのがこの本。

『天才たちの日課』(フィルムアート社)では、さまざまなジャンルの天才たちの日課がまとめられているのだが、私が注目したのは、天才たちの散歩時間。

フィルムアート社が、この本で紹介している天才たちの散歩時間をまとめている。

オッケー、わかった。

ひらめきを取り戻す方法。

それは、長時間の散歩かも。

1日3時間散歩をしていた英国の文豪、チャールズディケンズは、散歩についてこう語る。

 二時になるとさっさと机を離れ、三時間の活動的な散歩に出かける。ロンドン郊外の田舎道や市街の通りを、いま書いている物語のことを考えながら歩くのだ。ディケンズはそれを「物語の土台になりそうな光景を探して歩く」といっていた。

引用: 『天才たちの日課』(フィルムアート社)

うーんと、ディケンズは、素晴らしい小説を作るという夢や目標のために、ひらめきを求めていたんだな。ディケンズの小説は長いのが多いので、ひらめきを求める散歩の時間も長くなるのかも。

まぁなんていうか、夢や目標がなければ、ひらめきは訪れない。夢を叶えるために、ひらめきが必要なのだから

では、夢を探すしかない。

夢があれば、ひらめきが自動生成される。

中年のビッグドリームってなんだろうな。

今日も、おやつの柿の種がすごくうまいよ。

(了)

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