十牛図風エッセイ(2/10)~見跡
このエッセイは2月に出版した哲学の本について、本出版の経緯や哲学で得られた気づきを十牛図風に綴っています。十牛図って何?という方は前のエッセイを参照ください。
≪バックナンバー≫
二、見跡について
牛(ほんとうの自分)を探しにでかけた牧人(いまの自分)は、第二図で牛の足跡を見つけます。この足跡をたどれば、牛が見つかるということ。ここでいう足跡はお釈迦様の教えを記した仏典であり、その教えに従えば、ほんとうの自分に出会えるということをこの絵は語っています。
本では学びを得ようとする姿勢が西洋と東洋でどのように異なるのか、本質的に変わらないのは何なのかについて触れました。
ふりかえり(学びを与えてくださった方々について)
自分が何かを学ぶとき、師匠について取り組むのが上達の早道であることはいうまでもありません。「哲学を語る会」を主催してましたが、さまざまな視点でコメントしてもらえる会のメンバーと、西洋哲学と東洋哲学の両方の視点からコメントいただく指南役の松波龍源先生からは毎回大きな気づきを得られました。
このふりかえりでは、会のメンバーと松波龍源先生について触れたいと思います。
哲学を語る会のメンバーとの出会いについて
哲学科出身の同僚や友人に会の主旨を話して参加してもらいました。哲学の会社を立ち上げている方や、熊野古道で語り部をなりわいとしている方などがあつまり、なんとも個性あふれるメンバーで語り合うことができました。
アリストテレスやレヴィナスやベルクソンなど、それぞれが専門とする領域の知見を織り込みながら、善・他者・直観といったテーマについて資料を時間かけて準備してプレゼンし、プレゼンした内容をもとに、それぞれの哲学を語り合う。そこに面白さを見いだす奇特な面々は、自分の人生を生きており、多くの刺激をもらってます。
通常はオンラインで会を開催していますが、一度リアルで集まったとき、飲みにも行ったのですが、本当に楽しい時間でした。
松波龍源先生との出会いについて
哲学を語る会のメンバーは西洋哲学のバックグラウンドを持ったメンバーだったため、僧侶にも入ってもらいたいと思ってました。京都を旅行していたときに、京都の友人に知り合いに僧侶がいないか相談したところ、寳幢寺(ほうどうじ)の松波龍源先生を紹介してもらい、連絡をとってもらい会いにいきました。(寳幢寺がどんなお寺かは、次のリンクを参照ください。)
会いにいって少し話しをしただけで「なんかすごい方」のオーラが伝わってきたので指南役で入ってくださいとお願いしました。飛び込みで会いにいって、指南役をお願いし、よく引き受けてもらったなと振り返ってみて思いますが、毎回、とても深い内容のコメントをいただきました。
龍源先生のコメントの内容をまとめるだけでも自分の思考が整理されていく感覚があり、龍源先生に出会えたことは幸運だったと思っています。
Podcastでも龍源先生のお話は聞けますので、仏教について知りたい方は是非聞いていただけたらと思います。
次回「三、見牛」について
自分の内側(こころ)を見るということについて、まとめたいと思います。