日本に古くからあったSDGs(継続可能な開発目標)の仕組み。時代と共に変化し続けるファミリービジネスと平野権平さんから考えさせられる事。
私が読んだ本の中で大変印象に残った本があります。
司馬遼太郎の短編集の中にある「権平五千石」というお話です。
主人公は、平野権平さんという方で、
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての活躍された武将です。
その方は、豊臣秀吉と同じ出身で、
秀吉のもとで素晴らしい功績をあげました。
その功績をたたえ「賤ヶ岳の七本槍」の一人として名を残しています。
7本槍には、加藤清正、福島正則、加藤嘉明などの超有名な方々がいます。
ちなみに、加藤清正は、後々肥後熊本初代藩主、52万石の大名になります。
他の方々も大名になりました。
(1石=1人1年分暮らしていけるだけの食糧)
しかし、一人だけ平野権平さんだけは、
大名どころか「5千石」しかもらえませんでした。
権平さんの奥さんは、そうとう不満だったでしょうね。
他の7人衆も気になったようで、秀吉に相談したようです。
その相談を受けた秀吉ですが、
はっきりと理由はなく、困りはて・・・
「つまり、権平はそういう奴だ」で片付けられてしまいます。
以降も、それ以上にもそれ以下にもなりませんでした。
それから時は流れました。
秀吉は亡くなり、
7人衆の大半は、徳川家康の方へ移っていきます。
大阪城での戦いがあり、関ヶ原の戦いがおこり、徳川家康の時代になります。
そこから話しが少しづつ動きます。
権平さんは、静かに暮らし70歳で亡くなりました。
5千石は、そのまま長男の長勝さんに引き継がれます。
さて、大名になった他の7人衆ですが、
加藤清正、福島正則、加藤嘉明などは、子の代になったとたん、
徳川幕府は口実を付け、領地没収してしまいます。
強すぎたり、大きくなりすぎたので、つぶされてしまったのです。
一方平野家ですが、相変わらず5千石のまま・・・。
しかし、なんと!
明治まで、250年以上続きました。
しかも、9代目の子孫は、
明治政府で加増され、田原本藩1万石の大名になりました!
その当時、丹波守祥という人が、こう言ったそうです。
「家祖権平様は人のまねの出来ぬことをなされた。
ご自分は半生五千石のすえおき、
子孫も二百年来五千石のすえおき、
しかしこのまねのできぬ芸で、平野家は安全につづいた」
大名として強く大きくなったが、次世代で潰されてしまう方がいいのか、
小さくても長く安全に暮らせるほうがいいのか・・・
果たしてどちらがいいのでしょうか?
司馬遼太郎の小説は、最後こう締めくくられています。
「権平はなるほど、奇妙な男らしい」。
さて、この物語を読んでみて、自身の企業を考えてみました。
弊社は、祖父母が創業し、家族で引き継がれてきた「ファミリービジネス」です。
私達をはじめ全国のファミリービジネスが大切にしている要素の一つに、
“継続する事”があります。
ちなみに、企業の価値観は、
規模や利益率や商品性や継続性など多種多様です。
私も「事業規模を大きくしたい」という時期がありました。
先代の経営陣に話を聞いてみると、
規模を大きくするタイミングは、
旅行形態の変化や消費動向の拡大など「時代」と共にやってきたようです。
まず、その波を捉える事は重要ですが、
その流れは必ず収まります。
そうなると、
今まで当然だと思っていたものが、通用しなくなります。
そして、その流れに合わせて造り込まれた組織や建物は、
無用の長物になります。
その問題を解決できるかが、
企業継続の大きな分かれ目になるようです。
つまり、「時代と共に変化できる事」が大切なのでしょう。
それができるかどうか、日々自問自答の繰り返しです。
今起きている事は、真似されるものではないか?
勝負しなくてもよいものなのか?
より元に近いものなのか?
さて、豊臣秀吉や他の賤ヶ岳の七本槍がなしえなかった平野家が、
その後250年以上に渡り続いた理由は、
はっきり書かれておりませんが、
時代と共に変化する事ができたからでしょう。
平野家をはじめ日本で永続している企業にとって、
SDGs(持続可能な開発目標)という概念は、
日本古来から存在していたのでしょう。