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Photo by
futen_seisuke
「できない。」がなんだか嬉しくなってきちゃう変な病
昨日は仕事中に
英語を使って会話する場面があった。
高校生くらいかな?
中国の女の子と新宿までの行き方について
お互いに英語はほとんど話せないレベル
それでも知っている単語を並べて、
なんとか文章にして会話をしようと試みる。
ただ、やはり限界はあって、
翻訳アプリを使いながら
ぎこちない英語での会話を繰り広げた。
「またできなかったな。」
言いたいことはなんとなくわかる。
それは、時に間違った解釈もあるけれど。
でも1番の問題は、
自分の言いたいことを言えないこと。
これが「圧倒的なできない」を感じさせる。
毎度毎度、悔しさを感じて、
どうやって伝えるべきだったのかを
翻訳アプリや単語を調べて考える。
次はもう少し上手く話せるだろうか??
そして同じく、昨日の夜
こんどはサッカーのトレーニング
ここでも再び、「まだできない」を感じた。
ただこれについては、
もう長いこと上手くできないことを
苦しいほどに感じている。
だからもう慣れっこ。
そこで苦しむのではなく、次はどうしようか?
それを考えられるようになった。
「できない」
それはすごくネガティブでマイナスな思考
でも大事なのはそう思った後なんだと思う。
「できない」を自分の限界にしてしまうのか?
それとも「できない」からその先に進もうとするのか?
今の僕は後者だ。
いやなんだかんだずっとそうだったのかも。
「できない」ことを重く受け止めすぎていたこともあったけれど、その「できない」が自分をここまで連れてきてくれていると思っている。
だから「できない」ことがあったら
なんだか嬉しくなってしまうんだ。
だってここからのやり方次第で
できるようになるかもしれないことだから。
つくづく思う。
変な病を患ってしまったなと……