見出し画像

January 2015年も熱く生きたい

どうもこんばんは。

ワンマンライブをやってきたバンドのドラムです。

今日のnoteの記事では2015年の新年明けてますが、今の僕もバンドの21周年を無事に初ライブのメンバーと、ホームのライブハウスで祝えたのでスーパー整ってて、いつもここから状態です。

おめでとうございます。そして、ありがとうございます。

日々の生活の中にもしまりを入れて、新しく始まっていきたいもんです。

って2015年!! いつの話してんだと言いたいお気持ち、お察ししてます。

ところでお伺いしたい。

2015年みなさんは、一体どこで何をしていましたか?


もう少し遡ってもいい。2012年は何をしてた? 

その時どんな気持ちでした? 色は? においは覚えてる? 


2009年は? ほら、2006年は? 2003年はどうよ?


どうしてた? 2000年とかさ。思い出せることはあるかしら?

繰り返していることってありませんか?

俺で言うとバンドのライブ、そして夏の友達と行く旅行とか。

お盆休みとか年末年始で地元の友達と集まったり。

そういうサイクルありませんか? 

ある方も、ない方も、ここはひとつ旅の人の過ごした瞬間を覗いていってみてはいかがでしょうか。

シドニーで年越しをしよう!! 

旅の青年はオーストラリアで年越し花火を見たかったって話です。

January 2015年も熱く生きたい

僕達は抱き合って、ハイタッチで写真も撮って、大賑わい。超めでたい瞬間。世界中のどこでもこの瞬間が訪れてる、場所によって時間はずれてるけど、その子達とも繋がってる。

画像1

花火が鳴ってる、夜空に咲いてる。火の粉が落ちて、ふわっと夜空に消える。日本を出なかったらこんなに儚い時間を過ごせただろうか。
花火はあがり続ける。休みなく僕等の胸を震わす。網膜に光が反射する。

港に浮かぶ船を映す水面にも花火は輝く。音も、光も、水も空もシドニーの至る所で花火が輝く。

画像2

2015年の始まりだ。キラキラとした時間が始まるんだ。さらに激熱な年にする。

もう止められない。俺は青春の人みたいに燃えてた。

今まで見た花火の中で一番綺麗だった。量も勢いも音楽もかっこよかった。なによりこれにかけてた思いものっかってると思うけど。いろいろあったなぁ。

花火は何万発打ち上げられて、何分やってたんだろう。記憶の中ではやっぱり一瞬で、いつもこれからを楽しみたいって思うんだけど、まぁそれの連続で。いつもうまくいくわけじゃなくて。でもこういう思い出が背中を押してくれてるんだ。
花火は終わる。終わりがくるって、みんな気付いてる。

花火が終わったらシャオはなお君とタスマニアへ一週間の旅に出てしまうという。それからすぐに台湾に帰っちゃう。

俺は新しい所で働きだし、家も引っ越す。2月になったらまた旅に出ちゃう。今度は、バイロンベイ、ブリスベン、そして大陸の中に入って行き、アリススプリングス、そしてウルルを目指す。

正直この段階では道は決まってなかった、ただヒッチハイクかなんかしていこうと思ってた。その後はまだわかってなかった。

ヨーロッパにはもうこの頃には行くもんだと思ってた。不思議なもんだろ。どっからこの強気が湧いて出てきてたんだか、金も減って行くっていうのに。

画像4

花火が咲いては消え、咲いては消え、クライマックスが近づく。

ハーバーブリッジから、海に向かって花火が噴き出す。まるで大きな滝だ。幻想的な年明け。今年もいい年になりそうだ。花火は打ちあがり終わった。煙があたりに漂う。同じようにみんなも立ち上がり帰り支度をし始める。

一瞬の出来事。もう、明けてんだ。

画像4

新しい日々の始まり、月が変わればきっと何か新しいことが起こって、新しい未来が描けるはず。始まろう。いつだって今からじゃんか。俺達生きてるんだ。

帰り道は電車に乗ろうとする人達で激込みだった。みんな一斉に帰るからパンク状態。そんな中、電車に乗ってシドニー中心地へようやく帰ってこれた。シャオと、なお君はこのまま飛行機でタスマニアへ行くから、車内で別れた。

俺はセントラル駅の近くへ、そしてまい子に連絡を取る。どうやらチアちゃん達とも合流してオペラハウスの方から歩いて帰って来てるらしい。
「わかった俺も街の中心地向かうよ」
僕等はニューイヤーに浮かれた人々でごった返すシドニーの街をそれぞれ手探りで歩いてたんだ。一人じゃない、きっと誰かいる。人生の醍醐味ってそこだよ。人との出会いがすべてだよ。

俺と出会ったすべての人、幸せであれよ。頼むからさ。

あの子らはどこのバーで飲んでるんだろうなぁ。会いたい人がいるっていう幸せ。
バーでチアちゃんと、ノラちゃんと、まさくんとまい子と俺で飲んだ後、みんなで「初日の出」を観に行くことになった。タクシーに乗ってボンダイビーチへ。

画像5

真っ暗闇の中、浜辺に佇む。新しい年が始まってまだ数時間。

ビーチから見渡す街にはちらほらと明かりが灯ってる。

画像6

水平線の向こう側から、やんわりと色づいてくる。快晴の空の下ゆっくりと太陽がやってくるのを感じる。今までこんなにはっきりと日の出を見たことは無かったかもしれない。あったとしても僕はまだ小さくてそのことをよく覚えてないんだ。水平線の少し上の辺りから白い光があたり一面を覆いだす。浜に打ち寄せる波も今でははっきりと見えている。

画像14

さっきまでは良く見えなかった浜辺の建物も今では目で確認できるくらいになった。ハンバーガーのお店や、日本食レストラン、バス停にもみんな同じように光は射す。浜には思った以上に人がいた。いや、これからの日の出に合わせて人が増えたんだな。

画像8

俺達は素っ裸になってはしゃいでいたイタリア人と打ち解け、一緒に写真を撮って遊んでた。彼らも初日の出を楽しみにしているみたいだ。だんだん空が、さっきよりも明るくなってきた。イタリアンの彼らとはしゃいでるうちに空は白けてきた。
まい子もチアちゃんもモテてる。そうさ、ジャパニーズも、タイワニーズもいい子達なんだから。

もうすぐ日が昇りそうだ。空は今ピンク色をしている。砂浜には、大きな車のタイヤの跡が残ってた。素っ裸のまま日の出を待つイタリアン。しかし絵になる男だ。

夜明けは近い。波打ち際に転がる誰かが置き忘れてったボード。その脇には英語で泳ぐな危険の看板が出てる。
少し向こうでアジアンな雰囲気をした四人組が楽しそうに遊んでる。波を追っかけたり逃げたり。それにつられて裸足になると、砂浜はひんやりとしてた。あの温度を忘れたくない。

画像9

波がひいて、また打ち寄せてくる間のその数秒間、波打ち際の砂浜の表面の海水に反射して光る街の明かりが妙にせつない。そこには何もない。
白く砕けて波は浜に辿り着いてくる。何回もやむことは無い。

繰り返す毎日。砂浜に大きく「2015」って書いてみた。

画像10

そんな約一年と八ヵ月前。そういえば今日は東京に面接に行ったのだけれど、なんと偶然にも大きな病院の前で退院してくるしむけんをみたよ。生きててよかったぜ。

画像11

太陽はまだ出てないけど、もうこれって朝だってくらい明るいや。

まい子もチアちゃんも海辺まで走って行って、走って帰ってきた。「やばいやばい海入れる。入ろう」なんて言ってる。あの子ら元気良すぎる。
まさ君は俺のドラゴンボールのタオル羽織って地べたに座り込んでる。眠いんだってさ。そうだよ。今日はむちゃくちゃ密度の濃い時間を過ごしてる。

カップルがあちこちにいて、砂浜にてんてんといい感じの距離保って座ってんのさ。

画像12

ほら、初日の出。昇ってきたよ。ゆっくりと。見てごらん。いい感じだね。まだ眩しくない。少し薄く雲がかかってる。ゆっくり、でも確実に昇ってくる。
太陽が沈んでいく時もいつも思うんだけど、どうしてあんなに早く感じるんだろう、昼間とかまだ太陽が空の上に出てる時はあいつが動いているっていう感じは全くないってのに、際になるとスピードでも早めるとでもいうのかよ。
あぁ。だから際っていうのかな。

なぁ。おい。昇ってくるときもそう。もうあっという間。

画像13

まん丸いのが全部出た。頭の方が輝きだす。さっきから歓声がやまない。みんなから息が漏れてる。嬉しいんだよ。この場に居られることが。
きっといつだってここから。今からなんだ。太陽は明るくなってくる。いつまでも抱き合ってるカップルもいたなぁ。

画像14

そんなこんなで僕等はタクシーを捕まえて街に戻った。
僕はボンダイジャンクションのコリアンの家に戻ってシャワーを浴びて、眠りに着いた深い深い眠りの中へ。2015年。初眠り。幸せだったよ。

新しい場所で仕事が始まるまで一週間くらいあった。だから起きてからは今年の計画を練ることにしたんだ。バイロンベイとか、アリススプリングスまで飛ぶ飛行機は本当に安かったんだ。新年早々だけ。あれはきっとサービスだったんだな。俺も飛行機のチケット買っとけばよかったんだけど、ちょっと怯んでる隙に値上がりしちゃったんだ。

画像23

年明けの街はみんな地元に帰って街から出てるのか、がらんとしててバスキングは流行らなそうだし、シャオはタスマニアに旅に出ちゃったし、まい子もチアちゃんもメルボルンへ帰っちゃったし、何してたっけなぁ。あさみともあんまり連絡とってなかったしなぁ。
この日はずっと勉強してたっぽいな。いやいや必要、休養。最近ずっとばたばた動いてたから。今年の計画もゆっくりたてられたし。

バンダバーグで一緒に働いてたアランがニュージーランドの旅を終えて一度ヨーロッパに帰ってまたオーストラリアに来るっていうんでキングスクロスの駅で会うことになった。

それでその前に俺は街に出て、シェアハウスをいくつか見てきたんだけど、汚いし、色気ないしなんか嫌でさ。でも、移動する日も迫ってるから、まぁ何とかなるかなとは思ってるんだけど。
アランとは結局ボンダイビーチに行って、海に入って来た。暑くて最高に気持ちよかったなぁ。

画像15

そんでもって翌日もシドニーセントラルに部屋を観に行った。そこもはまらなくて、どうしようかって考えてる時、セントラルの駅前のベンチで座ってたのね。そしたらさ、年末年始の花火の時一緒にみてたジョンと、ハンと偶然再会した。それで、「俺いま部屋を探してるんだ」って言ったら。

「俺たちの家に来いよ」って誘ってくれて、そこってシャオと一緒に旅してるなお君が住んでた所らしくて、ベッドがちょうど一つ空いててさ、汚かったんだけど安かった。コリアンの家を出る日も決まってたから、勢いものっかってそこに決めてきたんだよ! 本当俺ってラッキーだったぜ。ツイてるぜのってるぜな年初め。そこでもいろんな奴と出会うことになる。

画像16

それから、アランがオーストラリア一周の旅に出る前に、また一緒に会ってオペラハウス見に行って、俺は遂に「ニュージーランドの地図」を手に入れたんだ。これはイメージって奴。旅してた奴に話を聞くのが一番早くて、俺もアランが体験したイメージってのが頭にすーって入ってきたんだよね。それでなんか俺でも行けるかもって気持ちになったんだ。

画像17

新しい職場、アゴラっていうギリシャレストランで働くことになった。シェフはヤンとマーク、二人は兄弟で働いている人もみんな東ヨーロッパ系の人達だった。ここは落ち着いていて働きやすい所だった。

新しい風が僕の人生に吹いてきた。

画像18

そんな時、あるメッセージが僕の下に届いた。実家の母ちゃんからだ。こういう事って、書くとまた思い出しちゃうから。さっぱりいくよ。実家で飼ってた猫のハックルベリィ・フィンが亡くなったってメールが入ってきた。いっつも親からメールが来るときは誰かが倒れたんじゃないかって覚悟してたんだけど、まさかハックが。いい奴だったのに。一番愛しい猫を失くした。高校生のバンドやってる頃からいっつも家に帰ったらお前はいたのになぁ。シドニーのその頃住んでたコリアンのアパートの庭で空見上げながら泣いてた。

画像19

今実家にいるけど、お前は骨だけ、小さく収まってる。9月になったぞ。あれから一年と九ヵ月、早いもんだな。悲しかったけど、いつまでも悲しいといけないから、俺も頑張るよ。

夜はアゴラで働きながら昼は勉強したり、シドニーを観光したりして過ごしてた。アゴラでの仕事はバイクで配達するだけの本当に割のいい仕事だったから、体も楽だった。

画像21

アランは中古の車を買って、オーストラリア一周の旅に出たんだ。若さってのは本当にかっこいい。

新しい家に移動する日が来て、僕は荷物をまとめて引っ越ししたんだ。

出会ったのはジョンと、ハンと、あと濃い感じのメンツが何人もいた。

画像21

タスマニアからシャオが帰ってきた。また変わらずにオペラハウスを観に行ったり、一緒にカフェ行ったりして過ごしてた。そういえば一緒にハイドパークでやってたフェスティバルにも行った。マークも呼んでさ。あいつもまたいい奴で何回もビリヤード一緒にやりに行った。カラオケにもいったなぁ。夜遅くまで遊んでた。街に住むのは楽しかった。友達がいればなおさらだ。

画像22

シャオも台湾に帰っちゃったし、なんか寂しい、勉強して仕事してっていう毎日。

何か物事が停滞してしまった時、僕は旅に出て今まで感じた事のない風を感じることにしている。この時もそうだった。

編集後記

こうやって書いておくと思い出せますね。

実家にあるバンドノートひっぱりだしてきて、フェイスブックページに載せてるお知らせと照らし合せたらSSIZEのライブの足跡辿れます。

たぶんね、450回くらいライブやってるかな。

2009年以降は年に数回、ドラムが旅に出てからは帰国したタイミングでライブ出来てたから、一度もライブしてない年はなかった気がするぜ。


っとおいおい。ここは旅の話をお伝えしよう。

もうこんがらがっちゃって混ざっていこうぜで、お届けしています。

夏の旅行で無事に小笠原に行けるように祈ってます。

ほらでてる!! 頼むぜ。

はい。ここまで。

それでは、そうだな。あいつ初めっからオーストラリアでシドニーの年越し花火見たがってたらしいぜ。

マジで? 全部うまく行ってたから書いてんだべ。

もうわかんねぇ。

まい子もチアちゃんもメルボルンで会ってるんだよね。

明るくて良い子達ですねー。華がある。

そんなメルボルンでの生活はこちらで書いていました。

アランとも再会してるじゃん。

旅の醍醐味ってこういう事さ。

今まで書いていた旅の物語もなかなか味があってよいですよ。

オーストラリアにワーキングホリデーに行きたい方々へお伝えしてあげてください。今とは全く状況変わってるけれども!!


さて、次回はシドニーでの生活にも慣れて来たようですので、仕事の休みに気楽な旅に出てるお話です。

次回はやっとさらっと終われそうな短い話です。

noteで先月から宣伝させていただいた僕等のバンドの21周年ワンマンライブも無事に祝うことが出来ました。ありがとうございました。

落ち着いたらYoutubeで何曲か公開するので、その時はどうぞまた遊びに来てください。

スキもフォローも、たくさんしちゃってくれると嬉しいです。

よろしくお願いします。

それでは、ごきげんよう。

よろしければサポートをお願いします。 頂いたエネルギーを変換して今後の活動に活かしていきます。 たくさんいただいたら、ボランティア&寄付させていただきます。