アポの時間は努力目標
最近は仕事に追われたりして、余裕がないと感じる
子供には笑顔が少ないとか
妻にはもっと楽に生きた方が良いとか言われる始末
正直、身体も悲鳴をあげていてニキビができたり
お尻に不審物ができたり・・
そんな時に本屋である本が目にとまった
「最後はなぜかうまくいくイタリア人」
実は昔からイタリアが好きなのである
昔働いていた雑貨屋で海外出張でどこに行きたい?
と聞かれ、初めて行った海外出張もイタリアだった
初めて行ったイタリアは空気が緩く、居心地がよかった
しかし、食事はどこも美味しく、何を食べても美味しかった
イタリア料理も大好きだ
この本の冒頭に書いてある文章に衝撃を受けた
「アポの時間は努力目標」なのである
元来、自分はとてもゆるい性格なのだ
適当で曖昧なくらいが心地よい
自分にも人にもゆるいのである
しかし、自治体から指定を受けて
国からの支えのあるサービス(正確には利用者さんの利用料が国から支えられているのだが)が仕事になっている
社会的に必要なことなので、そうなってるわけだが
ここにはあまりゆるさが許されない雰囲気がある
でも、この本を読んでいて、それは自分の中にあるのかもしれないと感じた
仕事は「労働」ではなく「人生」である
という一節がある
最近はオンとオフはきっちり分けたいという人が増えている
仕事とプライベートはしっかり分けたい
このような考え方もあって良いと思うが
これは仕事が労働になっている可能性も高い
一昔前のバブル期は「24時間働けますか?」というフレーズが有名だった
この仕事には実は労働ではなく
良い意味で公私混同されていることもあると思う
本の中に駄菓子屋のおばちゃんが例で出てくる
駄菓子屋のおばちゃんはそこが居場所であり
「私の時間」を十分に生きる場所なのだ
知り合いとおしゃべりもするし、子どもと遊ぶし、
時には説教もするし、そのついでに駄菓子やメンコを売る
これは仕事が人生になっているのだ
自分も本来はそっち側の人間なのだと思う
だから、良い意味で境界線がなく
自分にも人にもゆるい
でも、そのバランスが崩れてきていて、
自分の居場所である仕事場が、居場所でなくなっているのかもしれない
居場所を見失う前にこの本に出会ったのは
とても大きな意味を感じる
今の日本、居場所がなく苦しんでいる人が多い
幸福度の低い日本が幸せになるためのヒントは
イタリア人にあるのかもしれない