点と点を繋ぐこと
屋号を「テントテン」にしました。
開業以来、しっくりくる屋号が決まらなくて、確定申告のたびに変えてるような気がします。まあ、屋号を人に言う機会はそんなにないですけどね。
テントテンは「点と点を繋ぐこと」を表しています。
スタンフォード大学で2005年に行われた卒業式スピーチにて、Appleのスティーブ・ジョブズが発言した「connecting the dots」という言葉の影響です。
「点と点を繋ぐこと」は3つの話で構成されたスピーチの最初の話です。ざっくりまとめると、以下のような感じです。話の全体を知りたい方は、ぜひ「Stay Hungry. Stay Foolish.」と調べてみてください。
僕は養子で両親の貯蓄のおかげで大学に通ったが、大学の価値や人生で何をしたらいいのかがわからなくなり、退学を決めた。しかし、退学後も大学にはこっそり留まった。
お金や寮の部屋がないのは辛かったが、興味のない授業を受ける代わりに本当に面白そうな授業だけを受けた。興味の赴くままに受けた授業の中で後にかけがえのないものとなった科目が、カリグラフ(書法)だった。伝統的で芸術的な文字の世界にとても魅了された。
当時はカリグラフが将来の役に立つとは考えもしなかった。しかし、最初のマッキントッシュを設計した時にカリグラフの知識が蘇り、その全てを注ぎ込んだマックが生まれた。あの授業を受けなかったら、マックに多様なフォントの機能が搭載されることはなかっただろう。
将来を見据えて点と点を繋ぎ合わせることは決してできない。できることは後から繋ぎ合わせることだけ。だから、今やっていることがいずれ何かと繋がって実を結ぶと、僕たちはただ信じるしかない。(超意訳です)
この話を彼が単に「経験」と表現していたら、僕には響かなかったと思います。「点と点」という言葉の表現と、それらが繋がる感覚に共感を覚えたから、この話を好きになったんです。
「点と点を繋ぐこと」は僕の大切な考え方のひとつとなりました。僕が写真を撮る理由とも重なるので、なぜ大切な考えになったのか紐解いてみます。
点と点は世界を拡張する
「点と点を繋ぐこと」を意識してみると、新しい世界を柔軟に受け入れられる思考になっていきました。興味があることや楽しいことと純粋に向き合う気持ちになれたのです。そして点が増えるほど、他の点と繋がる確率は上がるから、どんどん世界が広がる。これは凄く生きやすくて楽しい。
なんでもかんでも全部試していくわけではなくて、少しでも興味があったら点を増やすためだと思って、将来性や損得を抜きにして受け入れてみる。だって、どの点と繋がるかはわからないから。
将来性や損得を予測して何かを選択することは、僕にとって凄く苦しくて向いてないことだと気付きました。脳のキャパ超えてます。
思えば、仕事と暮らしに欠かせなくなった写真も、最初は純粋な好奇心から始めました。その点が繋がって仕事になり、他の趣味にも派生したんです。
できることは「あとから点と点を繋ぎ合わせること」だと受け入れると、凝り固まっていた頭の力がふっと抜けました。「この先もなんとかなるだろうな」と思えたんです。
選択肢の多さがもたらす悩み
今はあらゆることの選択肢が増えました。増えすぎたぐらいです。色んな人が発信して、色んな選択肢を示してくれていますよね。
でも、選択することって苦しいです。さらに言えば、多くの選択肢にも当てはまらない辛さだってあります。選択肢がわかっているだけ贅沢な悩みだと思います。それでも、「最善の選択肢」を決めるのは、実はとっても苦しくて難しい。
僕は好奇心が強いので、あらゆるモノに興味が湧いてきます。そのわりに疲れやすいので、最善の選択肢に悩んでしまった結果、面倒で後回しにするパターンは多いです。
「最善の選択肢」の基準は人それぞれ違いますが、選択肢が多いと「将来自分にどのようなメリットがあるのか」「一体何の役に立つのか」をつい考えてしまう。だから、そのできない予測に疲弊して、選択を諦めてしまったのだと思います。
「点と点を繋ぐこと」はこの選択の心理的ハードルをグッと下げてくれるんです。
人生における経験はごく狭い範囲でしかない
「点と点を繋ぐこと」の考えは、僕の中で「何でも経験してみること」という結論にはなりませんでした。やってみたいことや楽しいことを将来性や損得抜きで純粋に受け入れてみることこそが、大事だと思ったからです。
僕は経験が全てだとは思いません。経験でマウンティングしてくる話も面白くないから嫌いです。個人が人生で経験できることはごく限られてます。片っ端から全部試すのが楽しい人もいるかもしれないけど、僕には疲れるから全部なんてとてもできない。
でも、自分の中に点という「心の琴線に引っかかるフック」をたくさん持っていれば、誰かの話やアイデアだけで、新たな世界が広がるかもしれない。その可能性の広がりが「点と点を繋ぐこと」にはあると思います。
変化を受け入れると生きやすくなる
最善の選択だけをするのではなく、ただ点を増やしていく。点はいずれ繋がって、違うモノへと変化するかもしれない。そのぐらいの心持ちだと、歳を重ねることが楽しくなってきます。
色々書きましたが、凄くシンプルな考えだと思います。無意識でしている人もいると思います。それでも僕には納得する言語化が必要だった。
同じように選択肢の多さや経験に疲弊している人の何かのきっかけになればと思って書きました。世界を広げることは楽しいです。頑張らず、過度な期待をせずに、点を作っていきましょう。
写真を撮る中で、ステイトメント(動機)はいくつかありますが、「点と点を繋ぐこと」はそのひとつです。こちらについても書いてみます。
写真は万物と時間という点を繋ぐ
写真を撮るとき、撮影した本人と被写体との繋がりが生まれます。被写体は人に限りません。自然や物だってそうです。そして、写真を撮ったあとは、観る人の繋がりも加わります。撮影者、被写体、鑑賞者などの万物の繋がりです。もしかしたら全て同じ人だったり、写っていない協力者もいたりするかもしれません。
写真は現在、過去、未来という時間軸も繋ぐ行為です。たとえば、写真を撮りたくなったとき、それは無意識のうちに未来へ目を向けて、何かを残そうとしている行為です。そして、写真として残るのは必ず過去の姿の被写体です。
ちょっと大袈裟かもですが、写真を取り巻く万物と現在→未来→過去の時間という点が繋がると捉えると、写真って面白いと思いませんか。
写真を残すといっても、観る人は全く知らない誰かかもしれないし、誰にも観せない自分だけの写真として、または消してしまうかもしれない。ただ、今を撮らなければその瞬間はもう訪れなくて、撮ったあとに何を選択したとしても、写真を撮ることで新たな点が生まれて、何かが少しだけ変わる可能性があるんです。
万物と時間をそれぞれ点だとすると、写真は新たな点を作って、ときにはそれらを繋げられると僕は信じてます。
たとえば、キャンプの写真を撮ったとして、その写真を観た人がキャンプを始めてしまうとか。あるいは始めなくても、キャンプという新たな点がその人の内側に生まれたことで、家で作るキャンプ飯にハマるかもしれない。撮った本人も写真を撮ったことで楽しかった記憶が強くなり、新たにキャンプで燻製料理を作り始めるかもしれない。
僕の写真を観て行動を促せたらとは言いません。ただ、写真を撮ることで、自分を含めたどこかの誰かの点となって、いつか何かの点と繋がってくれたら嬉しいと思ってます。変化することで楽しく生きられると思うから。個人ができることはそれくらいの曖昧で小さな祈りです。その機会を創り続けたいです。
蓮池ヒロ / Hiro Hasuike
Instagram:@hiro_hasuike
Portfolio:https://h-hasuike.com