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私が小学校の教師になった理由、こどもと関わる仕事にこだわる意味3

私が、小学校や教師になったわけは、中学2年の時の担任の先生との思い出が忘れられません。

でも、もうひとり忘れない先生がいます。

K先生は、私の中学1年の2学期から3学期まで担任をしてくれた先生です。

私たちの住んでいた市は、その当時3つの中学校がありました。

夏休みが終わり2学期、市の中心に3つの中学校を合わせた統合中学校ができました。

各学年10クラスもある大規模校です。
私は、1年10組、担任の先生は、ちょっと太った優しい40代くらいの男の先生で理科を教えてくれるK先生です。

40年前、(また歳がわかってしまう)にできた
統合中学校の校舎は、その当時では、珍しい生徒たちが、休み時間ゆったり話せる談話室、アナライザー室(一人ひとりが仕切られた机に座り、答えを、ボタンで押して先生に知らせる)、空中に浮かんでいるような図書室、小さな噴水のでる池を囲んだベンチでは、生徒たちが放課後を楽しめる夢のような建物でした。


キラキラした中1の10月か11月のある朝。 


K先生が真っ赤な目をして、朝のホームルームに現れました。

クラスのみんなが、先生の異変に気づき、黙って話を聞きはじめました。

「昨晩、U君が亡くなった。自転車で夕方、国道を走っていて車と事故にあい、亡くなったんだ」

一瞬、私は誰が亡くなったのかわかりませんでした。まだ10組の子の名前と顔が一致してないかったからです。

「先生、なんで」
「どんな事故?」
彼と仲の良かった生徒たちが言いました。

K先生は、嗚咽していました。
真っ赤な目をして、真っ赤な顔をしていました。
普段、温和な感じの先生がとても苦しいような
、悔しいような、そんな気持ちが伝わってきました。

教室が悲しみに溢れていました。
私も自然と涙が溢れてきました。

お葬式に、クラスみんなで参列しました。
彼のお父さん、お母さん、みんな涙、涙で
U君は、新しい校舎で、
ほんの少しの時間だけ過ごし、
逝ってしまいました。

担任しての教え子の死、
K先生は、つらかったと思います。
今も、
先生の、U君の死を知らせた朝の光景は忘れられません。

その後、担任が中2のI先生に代わって
U君の亡くなった日には、クラス全員で
お墓まいりをしていました。

卒業式の後
U君のお墓にみんなで挨拶に行きました。

ヤンチャで、不良な男子生徒たちが
「U、お前も一緒に卒業式だぞー」
って泣いてました。

私と同年代の人なら金八先生のワンシーン
若い方々なら菅田将暉が先生役を演じた
ワンシーンのような
本当にそんなことがありました。

ほんとかどうか男子生徒が言ってたのですが、
U君と事故を起こした相手は、
飲酒運転だったらしいとのこと。

K先生の真っ赤な目で、真っ赤な顔の姿、
悔しいさ、悲しさがそこにあったのかも
知れません。

飲酒運転は、やめて下さい。
今も飲酒運転の事故、
仕方なく老齢になっても運転されてる方
生命を奪うこともあることを忘れないでください。

事故にあった家族、事故を起こしてしまった家族 
みんな、みんな苦しむのです。

私も運転免許証を持っていますので
気をつけていきたいです。






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