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私が小学校の教師になった理由、また、子どもの仕事に関わる意味

最近のニュースで、公立の教師が不足しているとの記事が目に止まりました
なんらかの病で休んでいる現役教師が多いそうです。

また、大学生にも公立学校に教師の希望者が少ないとのことでした。

そんな私も現役の小学校教師だった頃、内臓系の病気、精神的な病気で、学校を休んでしまいました。
教師は忙しい仕事です。激務だと言えるでしょう。他の仕事ももちろん激務でしょう。

でも、そんな激務である小学校教師に私がなったのには、小学校、中学校、高校の4人の先生との出会いがあったからです。
今回は、小学校で出会った2人の先生とのエピソードを書きました。

⭐️小学校で出会った2人の先生
 
⚫︎2年生の担任M先生

私は小学校時代とても目立たない、授業中、自ら手を上げて発言すらことのないおとなしい子どもでした。

ある社会のテストをした時間の終わりにM先生が
「みんな、今日のテスト頑張ったね。1番頑張ったのは、H子ちゃんだよ〜どうしてかといと、3番目の問題でね。H子ちゃんは何回も書いては消して書いては消してとてもよく考えて答えを書いたんだよ」

私はびっくりしました。確かに消しゴムで書いて消して悩みに悩んで答えを書いた答えでした。正解だったかは忘れてしまいました。

その姿をM先生が見て褒めてくれるなんて信じられませんでした。
小学校に上がって初めて褒めてもらたのですから、嬉しく嬉しくたまりませんでした。
先生ってすごいなぁよく見てくれてあるなぁ、大好き。

ある日の放課後、先生が何人かの子どもを残して
「みんなともっと勉強したいから残ってもらいました。いいかなぁ」と。
「はーい」
7、8人の子どもだったと思います。
算数の時計の問題だったかな。うっすらと記憶しています。
単純、素直だとも言います。私は信じました。
先生、私たちともっと一緒に勉強したいなんて
私は特別な子の中1人なんだと思いました。

実は時計の問題を理解していない子の居残りで先生は、個別に教えたかったのだと今は、わかります。

3学期の終わりの楽しみ会でのことです。私の学級は女子が16人でした。 
なんとなく人気のある子が中心になって10人のグループが既にできてしまって、私は6人の余った(失礼、でも事実そうだった)女子でできたグループになってしまいました。

人気者のグループA、話し合いが盛り上がってます。一方、余ったちゃんグループ私も入ってるBは、話もなくみんな床をながめてました。

私は、考えました。好きなことをしようと
「ねぇ、わたし、おはなしを作ってくるから
かみしばいにしない」
勇気を出して言いました。
「できるかなぁ」
「絵が上手な〇〇ちゃんと〇〇ちゃんが描くならみんなおどろくよ」
「そうだね」
と1人の子が言ってくれました。
リーダーなんてしたことない私でしたが完璧に、余りものグループBのリーダーになっていました。

話の中身は、白鳥の姿をした王子がある日、池で男の子にいじめられていたら親切な女の子に助けられ、王子様に戻ると言う、童話の寄せ集め、パクリの話でした、

紙芝居だけでなく、最後は王子と、女の子が登場劇の形にして、私の家に咲いていたアネモネや水仙、菜の花などを花束にして王子様が、配るという形にした記憶があります。

拍手喝采、余ったちゃんグループの私たちはみんなで横に並びおじきをしました。
すごく楽しかったし、クラスのみんな、もちろんM先生もニコニコして見てくれました。

「よくできたね。お話しも考えたの?絵も上手だね。それに大きな声でみんなで協力してできてたよ。先生、嬉しいなぁ」
と、言って褒めてくれました。

3学期の私の通知表に、お楽しみ会でお話を作って発表し、グループのリーダーとして活躍しました。と書いてありました。
すごく嬉しかったです。
M先生は、きっと他の子の良い所を見つけていたはずです。
優しくて、クラス1人ひとりの良い面を見つけ出す素晴らしい先生でした。


⚫︎4年生の担任だったS先生

私たちのクラスは当日、1クラス、人数は、40人を超えていたと思います。(ネットで調べたのですがはっきりしなくてすいません)

他の学年はみんな2クラスでした。
私が小学校の教員になってわかることは、人数が多い、1クラス、担任になったS先生は、正直
嫌だったと思います。

S先生は、独身の、30代の優しい感じ、それが第一印象でした。

S先生は、教室で、私たちに
「みんなと出会えてよかったよ。今日からよろしくね」
と笑顔で挨拶してくれました。
(ちょっと緊張してたかも)

そして、机に座っている私たちの所を回って
握手をしてきてくれたのです。
先生は、一人ひとりの目をしっかり見て握手。
その手は温もりが感じられました。

国語の詩を書く時間がありました。
私は習字の時間のことを書きました。
なんて言う課題だったか忘れてしまいましたが、
(大)と言う字が入っていたと思います。

どきどきして書いた。
ふでがふるえて
ドキドキ
最後の大の字の時
もっとドキドキ
あっ
しっぱいしてしてしまった
がにまたの大になってしまった

と言う詩だったような気がします。
S先生は、私に 
「がにまたの大って所面白いね〜H子ちゃん」
と褒めてくれました。

私は習字は失敗したけど、詩は、褒めてもらえた。嬉しいなぁ私って詩を書くの得意かもな。
なんて思ってしまいました。

その「お習字」という私の詩は、市の作品展で
佳作に選ばれました。
信じられませんでした。
後になってみると、M先生と放課後、先生と詩を清書するとき何かアドバイスをもらったような
微かな記憶があるので手直しした所もあったのかもしれません。


S先生はは、掃除の時間、必ず見にきてくれました。サボってないか見にきてたのかもしれませんが、でも、褒めてくれることが多かったです。

特にトイレ掃除をしていた時は、
「3年生も使うから、きれいにしてあげてるね。
お便所がきれいだと気持ちいいよね。ありがとう」
と、単純な私たちはもっときれいにしようと
花を飾ったどうかと先生に言いました。
次の日には、M先生の家のなんの花だったか忘れてしまいましたが、トイレに飾ってくれて
「これなら、3年生も、きれいに使ってくれるね」
と言い喜び合いました。

S先生との記憶て1番の思い出は、4年生が担当で飼っていたウサギが、5匹くらいいたと思います。
1匹、死んでしまいました。


「先生は、みんなが、一生懸命にウサギの世話をしてるの知ってるよ。でもね、なぜ、死んでしまったのか真剣に考えてほしいんだ」

みんな真剣に考えて話し合いの時間もありました。
しかし、ウサギは、1匹、また1匹と死んでしまい、みんな死んでしまいました。
私たちは悲しい気持ちになったけれど泣きませんでした。

でもS先生は、泣いていました。
私たちクラスはウサギのお墓を作っていたと思います。
花を上げてウサギたちが亡くなるたび
サヨナラをしました。
どうしてウサギたちが死んでしまったのかその理由はわかりませんでした。
先生も調べたけど分からなかったのだと思います。


S先生、今ならわかります。
先生は生命の大切さを教えたかったのでしょう。
ウサギだって私たち人間だって同じ命。
もっと真剣に考えればよかったのだ思います。

私は4年生のS先生のおかげで、文章を書くことが好きになりました。
動物の命も、大切、人間は飼う以上責任を持つことがわかりました。

たとえ小学生であっても大人の真剣さは伝わることがわかりました。

小学校の低学年、中学年の時.M先生、S先生と出会ったことが私が小学校の教師になりたいと
思った第1歩だったのかもしれません。

お二人とも80歳過ぎかも。お元気でいてくださることを願っています。

願いが叶うならお会いしたいです。





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