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60歳手前になってもまだ自分探しをしている。そしてしばらくは探し続けるだろう。

60年生きているからって、考え方が大人であるわけじゃない。いまだに高校時代と同じようなことを考えていたりする。
英語がペラペラになりたい。毎日単語を5つでいいから覚えよう。
毎日やれば、ひと月で150個覚えられるはず。

お正月になると、一年の計画を立てる。
今年こそはTOEIC900点とる。そのために単語を毎日3つ覚えよう。
今年は身体を柔らかくする。毎晩寝る前にストレッチしよう。
あまり沢山目標を立ててもやりきれないから、この2つだけやりきろう。

毎年計画だけは立てるが、どれも続いていない。

毎日30分、いや10分でいいから、とにかく続けたい。
続けるためには、何かをきっかけにして習慣にしてしまえばいいのだ。

私の場合、今は英会話よりもスクワットが習慣にしたいことの1つ。
2年前に道で歩いていて、転んで肩を打ち、肩の骨にヒビが入ってしまったからだ。
また、甲状腺のガンにより、8年前に甲状腺を全てとったことで、ホルモンの薬とカルシウムを毎日飲んでいるが、骨粗鬆症には十分気をつけなければいけない。
筋肉をつければ、足先も上がりやすくなり、転びにくい。

「意識して続ける」のではなく、「無意識のうちに行動している」。そのレベルを目指したいと思っている。
無意識に行動することが、習慣化している、ということだからだ。

これは前に読んだ「ぼくたちは習慣で、できている」から学んだこと。
たとえば朝起きて歯を磨くのは、意識しなくてもできている。習慣化しているからだ。


どうすれば習慣になるのだろうか。
今読んでいるのはジェームズ・クリアー式「複利で伸びる1つの習慣」。読み始めたばかりだが、大きく引っかかったのは「まず、どのような人になりたいかを決めよう」というところ。

「どのような人になりたいか」

60年近く生きてきて、定年という大きなライフイベントを目の前にしている自分がまさに考えなければいけないことだ。
子供時代は親が道を示してくれた。
社会人になってからは、多くの時間を会社で過ごし、仕事を通じて沢山のことを学び経験した。

色々な感情を味わった。
胃が痛くなる責任の重さ、達成した時の満たされた気持ち、ずるいことをした時の後ろめたさ、後輩が昇進していく悔しさ。まだある。
この先は、レールが無くなる。自分の物差しだけで大丈夫なのか。

「どのような人になり、どう生きていこうか」を考えることは、老後のお金を考えることにもつながる。
定年後収入が無くなったら、お金は足りるのか、という不安がある。
たるみに効く化粧品 とあれば試してみたいし、美容院だって今の表参道にあるお店から変えたくない。

今の生活を続けていたら年金だけではやっていけないことは明白である。
ではどうしたらいいのか。
副業して収入を増やすのか。
節約するのか。
働き続けるのか。
投資してお金を儲けるのか。

お金の本やサイトを見たり、詳しい人に話を聞くと、「どのような人になりたいかを決める」ことだと言う。
「どのような人になるか」を決めると、「どのようなお金の使い方をしていくのか」が決められる。

贅沢したいのか、田舎に引っ越すのか。働き続けるのかどうか。
自分は、老後にどうありたいのか。
そこから、いくら必要なのか、が見えてくる。

「どのような人になりたいか」というのはかなり大きなテーマである。
小学校、中学校や高校で進路を決めるときに考えたことを、60歳近くになっても考えている。

「どのような人になりたいか」を一度決めたら変えられない、という訳ではないし、年ごとにあえて変える、ということだってあっていいと思う。
考え抜いた末に、これだ!と決めたことでも、時間が経つと違和感を感じたりするからだ。
今年はミニマリストを目指してみよう!とか、月に一度ボランティアに参加しよう!とか、興味があることにトライしてから考えるのもいいと思う。

見方を変えれば、この先何十年もの長い人生を、一日2日の短い期間で決めることでもないし、一瞬の出来事で人生が変わることだってある。

時間がかかりそうではあるが、行動を変えることで習慣も変わってくる。そして自分も変わる。
しばらくは自分探しの日々となるだろう。




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