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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第三章「皇女たちの憂鬱」 中編 20

 宝大王は禊を止め、重臣を大殿に集め、百済への対応を協議させた。

 会議は、百済救援を支持する中大兄と、それに反対する中臣鎌子が対立した。

 鎌子は、中大兄の補佐兼監視役ではあったが、有間皇子事件の独善的な振る舞いに警戒感を強めていたのだ。

 また彼は、難波派の最後の重鎮でもある。

 その日の会議は、さらなる情報を収集し、正式な百済の救援要請を待つということで終わった。

 その1ヵ月後、百済から、人質として倭国に派遣した余豊璋(よほうしょう)王子を王として迎え、新百済国を樹立したい旨と、併せて救援を請う使者が派遣されてきた。

 全ては、大王の判断に託された。

 宝大王は悩んだ。

 ―― 中大兄の言うとおり百済を救援すべきか?

    それとも鎌子の言を取るべきか?

「失礼致します。内臣殿が参上しました」

「内臣が?」

 鎌子は大殿に控えていた。

「何の用ですか、内臣?」

「畏れながら、百済救援の件で参上いたしました」

「百済救援の件とは……、そなたに何か良き案があるのですか?」

「はい、大王様、百済救援は我が国にとって好機となるでしょう」

「ほう、それで?」

「はい、宮内はいま、飛鳥派と難波派に分かれております。そして、地方には、未だ大和に従わぬ豪族たちが多くおります。百済救援は、この問題を一気に片付け、なお且つ、倭国を唐のような皇帝を中心にした強力な国家、即ち中央集権国家に変換させる好機になります」

 鎌子の頭には、若き時代に蘇我入鹿とともに描いた国家像があった。

「中央集権国家?」

「この国の全てが、大王の下に集約される。大王の意志が、この国の意志となる国家です」

「公地公民制のことか?」

「はい、確かに改新の詔で発した公地公民制は、近い将来の中央集権国家への基礎として考えていたのですが、15年近く経って、未だに掌握し切れていないのが現状です。しかし、百済救援を口実にすれば、宮内だけでなく、各地の豪族たちを大王の下に終結させることができます。そうすれば、大王は、この国で並ぶ者のない権力者となり、飛鳥への都城建設も十分可能になるかと」

 宝大王の片眉が僅かに上がった。

 都城建設に動かされたのだ。

「しかし、宮内も、豪族たちも纏まっていないのに、どうやって纏めるというのですか?」

「そのための百済救援です。唐・新羅軍が百済の次は我が国を狙っているとなれば、群臣や豪族たちは如何するでしょうか? いままでのように対立していては、百済のように滅ぼされるでしょう。では、この国が滅んで一番困るのは誰でしょうか? 民でしょうか? いえ、誰も、国家財政の基盤となる民を殺したりはいたしません。むしろ必要でなくなるのは、民の上に立ち、奢侈な生活をしていた群臣や豪族たちです。国家に対して何の生産力を持たない彼らは、全て殺されるでしょう。そこを彼らに分からせれば良いのです。彼らも馬鹿ではありません。己の利権を守るためには、例え意見が違おうとも、外部の敵に対して団結して戦うでしょう」

「なるほど、外部の圧力を利用して、国家を纏めようというのか?」

「はい」

「しかし、例え団結したところで、勝ち目はあるのか? 唐・新羅軍に勝つことは難しいと聴いておるぞ」

「勝つ必要はございません。と言うより、戦う必要はないのです。あくまで国を纏めるための口実ですから、百済救援も形だけ。百済が望むように、豊璋王子に僅かな援軍を付けて送り返せば良いのです。そうすれば、大国唐を敵に回すこともせずに済み、百済にも顔が立ちます。万が一にも、百済が復興すれば、恩義を着せて半島に影響力を持つことが可能となるでしょう」

「しかし、それでは、百済も黙っていないでしょう?」

「大王、もはや百済は滅びたのです。その滅びた国家に義理を立てて何になりましょう? 百済の民より、我が国の民です。父親が、知らない国の土となって喜ぶ娘がいましょうか? 息子が、遠い国の雨に打たれて喜ぶ母がいましょうか? 夫が、西海の魚の餌となって喜ぶ妻がいましょうか? 大王、民です、我が国の民を一番にお考えください。百済救援は形だけでよいのです」

 鎌子の言葉は激しい。

「内臣……、そなたの民に対する熱い思いは分かりました。そなたの弁を受けて、百済援軍を派遣します。ただし、あくまで形だけの救援軍ですが」

 宝大王は、百済の要請に対し、援軍を派遣することの詔を発した。

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