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執着という病はやっかいだ(菜根譚)

こんばんは📚
今日は菜根譚から珠玉の言葉をお届けします。

(今日の言葉)

縦欲しょうよくの病はいやすべし、
而して執理の病はいやし難し。
菜根譚

(意味)

私利私欲がこじれた病は治すことができる。
しかし、理屈や思い込みに執着して凝り固まった病は治りにくい。

今回も2つのケースが対比して表現されています。

「欲」も「執着」も、人生の中で必要な要素であります。いずれも人生のアクセントです。

「欲」

 前者は、欲という病です。若いころは、血の気が多く、アグレッシブな特に若いころは欲を持ちますし、歳を重ねると、また別の欲が生じます。欲こそが生きる源の一つであったりもします。決して悪いものではありません。
 しかし、欲に溺れると足元をすくわれて人生を台無しにしてしまいます。
 溺れぬようにあるところでセーブする、溺れてしまっても、岸に泳ぎ着くことは可能だ、と言います。

「執着」

 それに比較して執着心は、厄介なものだといいます。
 先ほど述べたとおり、執着も決してそれ自体は悪いことではありません。こだわりを持つことは成長においても、成功においても大変重要な要素です。

 しかし、これがこじれると、大変厄介な代物に変わってしまいます。何か、理屈に執着したり、さらには思い込みへの執着、こういったものは強固で、なかなか治らない、ということです。

 自分勝手な理屈に染まらず、周囲の意見も取り入れることで、誤った方向で執着することは減るでしょう。

 私も40代後半を迎え、人生もいよいよ後半戦。人の意見を意識的に聴く姿勢がないと、誤りをだんだん周囲が指摘してくれなくなるでしょう。

 だからこそ、仁徳のような普遍的な核心、古から伝えられてきた人間的な教訓は信じますが、それ以外の枝葉はこだわることなく、フラットに、周囲の意見を取り入れる姿勢を忘れないようにしたいものです。

ではまた!


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