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介護のこと(父母のこと)

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個人的な私小説かもしれません。父と母との想いで、介護のことを書いています。これを書くことで少しでも誰かの役に立てたらと思う気持ちも、ちょっぴりあります。
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記事一覧

さくらの咲く頃

さくらの咲く頃

亡き母の誕生日が3月30日だった。
さくらの花の咲く頃、母は生まれ、またさくらの花が大好きだった。
健康な頃、何度も実家の近所の公園へ行って、さくらの花のもと散歩を楽しんでいた。

花見などとは程遠いわたしも、一定の年齢になりさくらの花が大好きになった。
コロナになってからはめっきり行ってないが、何気にさくらの花の開花に合わせて、出掛けるようになった。遠くではなく、近所の公園などがメインだけれど。

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母の最期

母の最期

時として、母の最期を思い出して、考えることがある。

たびたびではないが、記憶の奥に行こうとするのを引っ張り出してきて、考えることがある。母はアルツハイマー型認知症を患っていた。そして大腸癌もあった。

84歳と言う高齢にアルツハイマー型認知症も手伝って、大腸癌の手術はできなかった。それにその頃には、母は殆ど話すこともできなくなっていて、だから母の意思を汲むこともできなくなっていた。そして父の他界

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真夏日

真夏日

梅雨が明けたと思ったら、突然の真夏日。今日がその日。

やはり2016年も2017年も暑い日々が続いていたなぁと思った。父も母もあの暑い夏を超えたくれた。父は大変な夏を過ごさせてしまったと思う。大事な食生活も、入れ歯が出来ず、可哀想なことをしたと思う。

歳をとってからの口腔ケアって非常に大切だと思う。入れ歯の人はぜひ、もうひとつ控えの入れ歯を購入することを勧める。使わないとダメになってしまうもの

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家族

家族

母のこと、父のこと、いろいろ思い出してはみるのだけど、少しずつ思いが生々しいものからそうでないものに変化していくのがわかる。

父は来年で七回忌を迎える。

人間ってそう言うものなのだと言うことに気がつく。いままではまだ両親の死を客観的には見れていなかったことに気がついた。確かに生前、大変な「とき」や「こと」や「思い」もあったけど、6年目を迎えるにあたって、この「視点」は以前のものと変わってきてい

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過去を振り返る

過去を振り返る

子どもの頃の記憶を辿ろうと、ちょっと試みた。

何気に面白いエビソードあるはずなのに、出尽くし感が半端ない。そう言えば、父の臨終間際、病院で何日も昔話をしたっけ。CCUって名ばかりの病室で、長い積もる話をした。そうしたら父は三度生き返った。初めの時は、ものすごく動揺してしまって、涙ながらに父に話をかけた。そうしたら息を吹き返したのである。

そのあと思う存分、父とわたしたち姉弟の昔話をしてしまった

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施設を選択するとき

施設を選択するとき

介護をされている方は、介護施設のことを考えられることがあると思います。私の場は、実家が所謂ゴミ屋敷だったので、とてもヘルパーさんを入れることのできるような状態でなかったので、母の介護が決まった状態で施設一択でした。

カウンセラーの方やケアマネージャーの方に相談し、とてもよくして頂いたおかげで、施設も良いところに入ることができました。初めのうちは従来型と言う、相部屋を使っていましたが、ユニット型と

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母を見舞う。

母を見舞う。

施設に見舞いに行く日があった。自分の体調も不安定になりながらの、見舞い。なんだか情けなくなってしまう。

施設の相談員の人にも言われた。「母が本当に悪くなって起き上がれないくらいになれば、病院で治療もできるのに。」と。あまりにもだと思った。認知症の入った母は、病院でも嫌われて、施設でも嫌われて。なんだかそう言われることに、悲しくなってしまう。

気分はかなり落ちたが、少しの間、母と面会をして、トイ

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母、病院で大騒ぎ

母、病院で大騒ぎ

特養への入所準備と言うこともあり、母を地元の大きな病院へ連れていったことがあった。2016年7月のことである。

全体的な検査は比較的、無事に終わった。そのあと最後の最後になって、輸血をしようと言うことになった。貧血なので、これをしなければ命にも関わるのだ。ことの発端はこれだった。

もちろん処置室には、わたしも弟も入ることになった。看護師さんも普通に輸血を始めようと、針を入れようとした瞬間、母は

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父、家に帰る。

父、家に帰る。

そんな訳で父は家に帰ることとなる。

弟が父の面倒を見て、施設に入っている母の行事関係をわたしがみることになった。弟と役割を交代したのだった。少しの不安も残しながら、そうすることになった。4月の終わりのことだった。

そして5月の声をきくと、わたし自身が憩室炎を拗らせ腹膜炎を起こし具合が悪くなり、入院することになる。ほぼ10日間の入院であった。自宅に帰っても、ゆっくり療養もできず、途中何度か通院も

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父、はじめての家出

父、はじめての家出

昨日から自分の日記を見て確認していたのだが、この事件があったのは入れ歯を壊した後でなく、その前であった。そしてこの夏、いろいろな事件が起こるのであった。父の家出は、2016年4月20日のことだった。この頃は、母の介護先も安定して、わたしも介護のため失職して間もない頃だった。

コロナ渦のいまなら出来なくなっているだろうが、その当時はできてしまったのだ、父の家出。その片棒を担いでしまったわたしではあ

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父、突然の弱音

父、突然の弱音

入れ歯を落とし、歯医者ものびのびになっていたあるとき、父はわたしに「もうここでの生活が嫌になった。」と打ち明けられた。「ここで」とは、「実家」のことである。当時、実家には父と弟が一緒に暮らしていた。そのとき既に母は、老健で暮らしていたので、母の住所が実家になっていたとは言え、実際には父と弟のふたりぐらしだった。

やもめの男所帯のふたり暮らしで、かなりストレスはあったのだと思う。弟も身体の弱い方で

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入れ歯が壊れた

入れ歯が壊れた

時系列で並べていくと、最初に逝去したのは父ではあったが、最初に介護が始まったのは母であった。父は偉丈夫とは程遠く、昔から病気がちなひとであった。戦争から帰り、その後結核にも罹ったことがあるにもかかわらず、その父が、実は母より元気な老後を暮らしていたのだ。でもある日、入れ歯を壊してしまうことがあった。その辺りから父の体調は思わしくなくなってきたのだった。

これを経験に思うのだが、年を取ったら、歯医

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ケ・セラ・セラ

ケ・セラ・セラ

2016年11月わたしは父を亡くした。

いきなりヘビーな展開だが、2016年10月父の具合が悪くなった。正確には突然父が施設に入りたいと言い出したのだ。父と弟の小さな家庭内、いろんなことがあったんだと思う。父の心のうちはどうだったかわからない。でも父は家を離れることを決意した。2度目の施設入所予定の朝、父は自宅のベッドのうえでお漏らしをした。9月に92歳になった父はいままで全くそんなことなかった

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母、アルツハイマーになる

母、アルツハイマーになる

父が逝ったあと、間も無くして(1年くらいだろうか)母も追いかけるように逝った。ずっと母は介護状態だった。アルツハイマー型の認知症だった。早くに手配を始めたおかげか、早いうちから、1ヶ月単位の短期ではあったが施設を度々利用できるようになり、亡くなる4ヶ月前には特養への入所が許された。

経緯は母はアルツハイマー型認知症になる前、椎間板ヘルニアを患っていた。痛みと不自由さに耐えかねて、手術を受けた。そ

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