父、家に帰る。
そんな訳で父は家に帰ることとなる。
弟が父の面倒を見て、施設に入っている母の行事関係をわたしがみることになった。弟と役割を交代したのだった。少しの不安も残しながら、そうすることになった。4月の終わりのことだった。
そして5月の声をきくと、わたし自身が憩室炎を拗らせ腹膜炎を起こし具合が悪くなり、入院することになる。ほぼ10日間の入院であった。自宅に帰っても、ゆっくり療養もできず、途中何度か通院もあり、5月は時間が過ぎてしまった。
母の面倒を見なければならず。また父の世話も見ないで済む訳ではなく、買い物を中心に手伝いをすることになっていた。母は当時月に1回退所して、翌日入所すると言う形態を続けていた。これは弟の意向で、ジェネリックでないお薬を貰うためにしていた自主的な退所だった。母と弟と父の為にお弁当を買って持っていったりしていた。
この頃母は、自分でご飯も食べることができていて、ある程度、固形物でも食べられたような覚えがある。母は7月に入って、貧血症状が現れ、鉄剤を飲まなければならなくなる。老健の看護師さんの話だと、かなり酷いらしい。母に特養の入所の話が持ち上がったのも、この時期である。
ただのちになって、母の体調が思うように優れず。一旦流れてしまうのである。
このとき同時に父には、お弁当を買って持っていったり、着替えを買ったりと言う生活も続けていた。両親ともに介護となってしまった。そのためかわたし自身7月に入ってから、憩室炎を再発し、入院はしなかったが通院を余儀なくされる。
世間ではリオオリンピックが開催されていた。
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