わたしは「天才てれびくん」の“てれび戦士”になりたかった〜NHK教育テレビが子どもたちに与えた“希望”の一例から〜
1.はじめに
1993年から2024年の現在まで、シリーズを替えながらこれまで31年も放送が続いている「天才てれびくん」。NHK教育テレビ、そして2011年6月1日からは「Eテレ」に改称された後も現在まで放映されています。
私はおよそ2005年度の「天才てれびくんMAX」の頃からこの番組を視聴していました。私が8歳(小学校2年生)のときです。
学校から帰宅し、宿題がだいたい終わった頃(高学年のときは宿題の最中)に番組がリビングのテレビに流れ、食い入るように見つめていました。
これは、その頃の私のお話でもあり、また番組視聴を卒業後に再びその番組の音楽を聴いた高校時代、そして大人になり社会人となってから自分の心の中にあり続けている“希望”から、子どもたちへの教育や自分自身・周りの人々との関わり方についてを書き記したものです。
2.「天才てれびくん」を視聴し、「てれび戦士」の方々に憧れていた時代
学校から帰宅すると、放送されていた「天才てれびくんMAX」
小学校でつらいことがあったとき、もやもやするような理不尽なことがあったとき。そんなときにも、変わらず放映されていたのが「天才てれびくんMAX」でした。
そこでは1年間を通して「ドラマ」が制作され、「てれび戦士」さんたちが役者さんとして、役柄を演じていました。また、番組のオープニングなど、番組オリジナル歌を歌ったり、あるときは運動などのプロジェクトに参加していたりもされていました。
「『てれび戦士』になりたい!」 学校での自分の行動の変化
そんな「てれび戦士」の方々に憧れた私は、「『てれび戦士』になりたい!」という夢を持つようになりまして、その後の学校での生活に変化が現れました。
「『てれび戦士』は、運動もできなくてはいけない……!」
「『てれび戦士』は、歌も上手に歌えるようにならなければいけない……!」
そんなことを考えては、学校の体育の授業を一生懸命に取り組んだり、合唱の授業では自分なりに努力をして臨んでいました。
「何事にも積極的にチャレンジする」。
そんなてれび戦士さん方の姿勢には、この頃も、そしてその後も何度も感銘を受け、自分もできる限り実践していました。
そして、中学時代もしばらく視聴していたものの、高校受検に向けての勉強に追われることになり、その後はあまり見なくなりました。
3.高校に通えなくなった時代に出会った楽曲、「夢のチカラ」
さて、高校受検が佳境を迎えても、YouTubeで「天才てれびくん」の楽曲を探してはリピートをして聞きながら勉強をしていました。
「ダンゼン!未来」、「約束の場所へ〜シークレッツ・ユートピア」、「世界をまわせ!〜ぼくらのカーニバル〜」など……。
そして、充実していた高校生活では、希望や自分の可能性を切り拓いてくれるようなJ-POPをウォークマンやYouTubeで聴いていました。
そんな最中、私は高校3年生の夏に双極性障害(うつ病の一種)を患い、学校に通えなくなりました。
学校に行くことができない毎日。
そしてそのうえ勉強も手につかない。
そんなときに救われたのが、YouTubeにアップロードされていた「天才てれびくん」の「夢のチカラ」という楽曲でした。
こちらは作詞がKiichiさん、作曲が塚田良平さんで、サビの部分はてれび戦士さんの方々が全員で歌っています(なお、コロナ禍の際には、歴代のてれび戦士の方々が、リモートを用いて歌われているバージョンがアップロードされました)。
確かにシンプルな歌詞ですが、普遍的な歌詞にスタンダードなメロディーで作られていたことから、子どもたちにだけでなく、高校生だった自分の心にも強く刺さり、当時もYouTubeのその楽曲を何度もリピートしていました。
そして、私自身は高校を翌年の3月に退学するのですが、その年の8月に高等学校卒業程度認定試験(「高校卒業認定」とも呼ばれる)に合格し、2年後には通信制の大学に進学しました。
4.大学生、そして社会人となってからも「心の支え」となってくれた「天才てれびくん」
さて、大学は精神疾患の悪化等で辞めたものの、自宅で療養と勉学に努め、途中病状の悪化で入院をすることもありましたが、退院から1年後には現在の会社のスーパーで働くようになり、無事社会人となりました。
そして現在は、スーパーでの仕事を極めるべく働き、そして社会人として、また人間として大切な事柄を、仕事の業務や人間関係、それから仕事の外でも学んでいます。
また、大学に在籍していたことで、「大学」という場所のレベルや学問領域を知ることができ、大学を辞めた後も読書や漢字検定、英語をはじめとする語学学習に取り組むなどをして学びを続けています。
もちろん現在の生き方の姿勢は、病状が回復していったことや、自分に合った職場で働くことができるようになったことも大きいです。
ただ、ここに至るまでの学歴や就職、また結婚などに関して周囲との比較したことで、「劣等感」や「焦燥感」などが生まれ、落ち込んだり悩んだりもしました。
そんなときに、「心の支え」となってくれたものが、「天才てれびくん」でした。
人にはみな個性や夢、また生き方があって、どのような人もありのままに認められる世界。そして、みなひとりひとりが世界の“主人公”であること。
それらのことを子どもたちに教えてくれた番組でした。そして大人になった現在でも、その番組が与えた“希望”が私の中には根づいています。
5.むすびにかえて
「子どもへの教育」の答えは、「勉強」だけじゃない
私も、大学時代は「教育とは何ぞや?」というような教育学を学びたくて大学に進学しましたが、実はあまり教育学を学ばずに退学しました。ただ、現在に至るまで、教育学やその他の分野の本を読み続け、自己分析や仕事を日々行ってきました。
そして、その中で思うことのひとつに、「子どもへの教育」は、ただ「勉強を強いる」ことで達成されるものだけではないということがあります。
私の場合、今回のNHK教育テレビの「天才てれびくん」もそのひとつでしたし、まだポピュラーなJ-POPを聴いていたことなども挙げることができます(この音楽のお話も書くことができたらと思っております)。
本当に、人を育てることにおいては、“何が人を成長させることができるか”は、実際のところは分からないものだと考えます。
もちろん、皆が「子どもの頃からの将来の夢」を叶えたり、子ども自身や大人の方々が「理想的だ」というような道に進むということは、子ども自身にとっても、はたまた大人の方々にとっても幸せなことなのかもしれません。
しかし、それではその「将来の夢」が叶わなかった子どもたちは幸せではないのでしょうか? そして「理想的な進路」に進むことができなかった子どもたちも同じなのでしょうか?
そんなとき、その子どもたちの心や人生に寄り添ってくれるものこそが、学校教育のみならず家族や友人、そして社会が子どもたちのために行った「教育」が与えることのできた、本当の“恩恵”だと思うのです。
皆さんにも「大切なもの」や「大事な出来事」はありますか?
さて今回は、私が「天才てれびくん」という番組によって子ども時代から大人になった現在まで人生を救われてきたお話を書きました。
皆さんの中にも、自分自身の形成において「大切なもの」や「大事な出来事」はありますか?
好きな音楽や番組、尊敬していた先生方や仲の良かった友人でも構わないです。「体育祭で優勝できた」、「部活動で活躍できた」「学校や塾・習い事において仲間ができ、会話をした」という思い出もあるかもしれません。
ただ、「忘れられないもの」と言いますと、クラスや先生方などとの間のトラブルや、家族との関係での複雑な悩みや不和などの“ネガティブ”なものもあるかもしれません。
しかし、27年間人生を歩みましたら、“ポジティブ”も“ネガティブ”もどちらも自分の「かけがえのない財産」であると感じるようになりました。
私にとっての「天才てれびくん」のように、人は好きになった物事、夢中になったもの、出会った人々や音楽、そしてテレビ番組などさまざまな事柄や人との出会いによって自分が形成されていくと思います。
そして、それがその人の中に「歴史」のように流れているのではないかと、私は考えます。
ぜひ、皆さんがライフステージを経て生活が落ち着いた際に、自分自身の中の「大切なもの」や自分のルーツを見つめてみて下さい。きっと、自分が他の人とは替えがたい「唯一無二の存在」なのだと気づけるでしょう。
また、皆さんの周りの方々にも目を向けてみて下さい。そうすればきっと、その方々にも「歴史」というものがあることに気づくことができ、その中で、その方々が歩んでこられたであろう人生や、その方々を大切に思っている人の存在にも、思いを馳せることができると思います。
また、それらのことは、これから自分自身もその方々を尊重したり、敬意をもって接しようという姿勢にもつながることでしょう。
よろしければ、ぜひ皆さんも実践してみて下さい。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
新しいスマートフォンの
「ダークモード」が目に優しくて快適でした
自室から、Google Pixel 9より
五十嵐みどり