教育について寄ってたかって考える ー学級崩壊を経験した中堅先生が語る「教育論」
今日のお話は「ひねくれ先生」 ✖️ no name school のクラウドファンディング・オンラインセミナー!!
「ひねくれ先生」とは?
ひねくれ先生は、こんな人です。授業が始まっていきなり「ちょっと難しめの課題」を提示したり、先生が積極的にボケたり。
と、「先生らしからぬ先生」です。
天然なところもあり、修学旅行で「先生暑いです」と言われて、間違えて暖房をつけてしまうほど。
「先生らしからぬ先生」になった理由は?
ひねくれ先生は、はじめから「先生らしからぬ先生」だったのでしょうか?
ひねくれ先生が自分を変えようと思ったきっかけは「学級崩壊」でした!
学級崩壊が起きた原因は「なんでだろう」と考えていたひねくれ先生。
ところが、学級崩壊があった学年が、次の学年に進んだとき、とてもいい表情をしていたそう。
ここで、担任の力量の大事さを痛感したということです。
担任の力量って、なんなのでしょうね?
「先生の力量」は、「先生らしさ」じゃねえ!
教員として働き出した当時は、「先生らしくあろう」としすぎていたようでした。ひねくれ先生は、こんなふうに言っています。
当時の僕は、「先生らしくあろう」として、自分らしさがなかったんじゃないかなと気付きました。子どもの前で、ちゃんとしなきゃ、というのが心の中にありました。
今、大学院で学んでいるんですが、柔軟性を書いた指導が学級崩壊の要因の1つだと言われているのもうなづけます。
子どもたちって、先生が先生であろうとすればするほど、その人のことを超えようとしてくるんですよね。
このことを、当時の先輩の先生に相談したら、
「自分の先生としてのハードルを下げてみたらどう?あなたにしか伝えられないことを伝えてみたらいいんじゃない??」
とアドバイスをもらったひねくれ先生。
こうして、今の「先生らしくない先生」になるきっかけをゲットしました。
ひねくれ先生が大切にしていること
ひねくれ先生が学級経営で大切にしていることは
援助希求能力
言い換えれば「困ったときに助けてほしいと言える力」です。
ひねくれ先生は、ご自身が子どもたちに語るときに、「自分が伝えなくてもいいこと・細かいこと」は、言わないようにしているんだとか。
逆に、こんなことも言っているそう
「苦手なことを頑張ってちゃんとしなくてもいいし、苦手なことは得意なことにならなくていい、他の人に任せればいい」
今、教室ではしばしば、「小石(子どもが困ること)につまづくからと言って、小石を避けてあげることがあります。」
それって本当に支援なの?
学校では、安全に失敗していいことがたくさんあるし、困ることもあるし、悩んで学ぶこともいっぱいありますよね。失敗できる教室を作ることが、子どもにとって最大の学びになる!と、ひねくれ先生は考えました。
そんな学級経営のために、ルールやシステムではなく、教室の文化を作ることで解決ですることに決めました。掃除を一生懸命やる子が多いクラスでは、やらない子にとって過ごしにくいですよね。これが文化です。
(決して、排除したり、悪い意味の同調圧力を加える、という意味じゃないことをご理解ください。)
特にひねくれ先生は、授業で学級作りをすることを中心に据えました。そのために、「生産的失敗」がたくさんある学級を目指すことになります。
そしてそんな学級にするためのとっかかりは、
先生が間違えたら子ども安心して間違えられるでしょ?
でした。
どう答えますか?こんな質問!
あってますか、これはどうすればいいですか?
子どもの学びを妨げているのは、意外と教師だと、ひねくれ先生は話します。きっとこの質問に「あ?これ?えーっとね、これはね・・・」
と答えるのが先生だと思っていたりして。
「授業はきれいに終わらない」という意識をもつひねくれ先生だったら、
「え?それ?ぼくより詳しい人に聞いてみた方がいいよ!みんなの方が説明上手だしね〜( ̄▽ ̄)!」
のような返事をされるんじゃないかな。
「授業はきれいに終わらない」と言うひねくれ先生だからこそ、「言ったらできるように環境を整える」ために、分からないを一旦分からないままにして、自分で解決する方法までさぐらせた、というわけです。
ときには説教も(笑)
失敗すること推奨するひねくれ先生ですが、怒るときもあります。
「〇〇したら怒ります」と宣言することはぼくもよくしてきましたが
それと同じくらい、だれがどこで怒るかを知ることがだいじだよ。
とひねくれ先生。「嫌な気持ちになる基準」って、人によって違いますもんね。子ども同士も子どもと大人も、その基準を知ることは「お互いが大事にしていることを知る」ことですもんね。
何があっても、子どもが楽しいって言ってしまえば大体大丈夫
ここまで読んでくださった方の中には、
「え?そんなことして、大丈夫?大丈夫?」
とお思いになられた方もいるのではないでしょうか?
ひねくれ先生は、「教える」ことは手離したけれど、「子どもが学ぶ姿を見取る」ことは続けているのだと思います。だから、子どもたちが「楽しいって言える状況かどうか」が分かる。
ひねくれ先生から学ぶ大事なことは、「子どもの姿を見る目」が育っているか。そして、自分の目指す姿に一緒に育つためにの「理念」「手立て」「ユーモア」がたくさんあることなのかな。
一般化すると、一気に安っぽくなるな・・・もう1回、この記事を最初から読んで、最後のまとめは忘れてもらえますか?(笑)