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就活で「バーテンダーになりたい」と言った人の話。~就活回想記4~
さて、前回の記事から半年後くらいの世界線。
今回もまだバーテンダーは出てきません。
(まだ出てこんのかいっ!ごめんなさいねっ!)
気が付けば大学3年生も終わりに近づいていた。
季節は冬、1月。
もうあと2か月もすれば就活最盛期を迎える。
気合を入れなければならないのに、私は漠然とした不安に苛まれていた。
理由は簡単。
『何がしたいのかわからない。』『何になりたいのかもわからない。』
わかっているのは大学生活があと1年で、大学院に進む気がない私は就活するしかないということだけ。
確かに大学に入ってからそこそこいろいろな企業を見てきたし、説明会だってちょっとだけど参加した。インターンシップだって。
だけど、どれもピンとこなかった。
ただ漠然と「私に就活なんてできるのか。何もしてきていないのに。」と思っていた。
そんなことを思いながらマイナビのWEB EXPOに参加したり、マイナビの就活講座を見ながら夜ご飯を食べるような生活をしていた。
このころ大学はオンラインで研究室は本格的に始まる前だったから相談する友人も身近にはいなかった。
マイナビのweb講座は誰でも無料で視聴できるし、1時間ほどだからPC画面を見続けるのが苦痛の私にとってちょうど良かった。
しかしチャット欄には1月末であるにもかかわらず「内定1個持ってます」とか書かれていて焦った。
私はまだ何もしていない。
マイナビの講座の中で1つ上の先輩方の体験談を聞く会があった。
2名の先輩がそれぞれの就活体験を話してくださる回だった。
『私は70社にエントリーして30社の選考を受けました。そのうち内定を頂けたのが2社です』
一人の先輩が言っていたのを聞いて私は驚愕した。
そんなに多数の選考を受けないと内定をもらえないのか、と。
その方は幅広い業種の選考を受けられていたようだった。
「業種を絞りすぎてはいけない」「いろいろな企業を見たほうがいい」
講座の中で何度も聞いた。
それを踏まえて私は様々な業種を除いたし、ちょっとでも気になれば説明会にも参加してみた。
でも。この不安はなんだ。
幅広く。私はあまり好きじゃない。
私は結構不器用で一つのことしかできない。スケジュール管理も苦手な方だ。
たくさんの企業に。エントリーと選考と…etc.
考えただけで頭がパンクしそうだった。
「就活は大変だけど頑張ってね。」「いいところに決まるといいね。」
「モチベーションを保って」
就活は大変で、頑張らなければならないことなのか。いいところってなんだ。大企業?
就活は受験と違ってみんながみんなするものではない。
モチベーションも自分次第だ。自分が折れたら終わりだ。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…
日々不安だった。本当に。
大学受験のころは、女子高だったこともあり「もうどっかのお金持ちがお嫁にもらってくれないかな」とかふざけて言って笑いあっていた。
しかし就職ともなれば何となく冗談に聞こえなくなるし、私は誰かに養われて生きる気はない。
『○○夫人になってはいけない。』
自分の名前で生きなさい。祖母の言葉だ。
って言ってもどうするよ。
そんな時に大学の就職担当相談窓口があることを思い出した。
HPを見てみると、コロナ禍だったからZOOMでも対応してくれるみたいだ。
2月の頭に1時間、相談の予約を入れた。
そして予約の日。
優しそうな女性の先生だった。
「菜月さんの1番こだわりたいことは何?」「菜月さんはどういう風に生きたい?どれくらい休みが欲しい?場所は?人間関係は?」「逆にやりたくないことって何?」
たくさん質問をしてくれた。
一見就活に関係なさそうなところまで。
最初、「いろいろ聞いてこられて、コメントされるのうざい。」と思っていた。
しかし話していくうちに私は様々なことを思い出し、そして気が付いたのだ。そう、私は企業側に合わせることばかり考えていた。
企業側が、私のような人間を欲しがるだろうか。
こんな思いを持っていたから不安だったのだ。
私は、楽しく生きたい。
『楽しく生きること』は私の人生の目標であり、目的だ。
では具体的に『楽しく』とはどんな風に。
『私が私を好きなままでいられる生き方。』
私は過去の私に思いを馳せた。
私の将来の夢。今までの将来の夢。
小学校2年生の時はフィギュアスケーター。トリノオリンピックの荒川静香選手に魅せられた。
小学校3年生でオーケストラの指揮者。文化祭で学年の演奏の指揮者になり当時の校長先生に褒められたことが嬉しかった。
小学校4年生で舞台女優。やっぱり舞台に立って演じる人になりたい。そう感じた。
小学校5年生から中学校3年生まで宝塚の宙組トップスターになりたかった。
実際に宝塚音楽学校受験の目の前まで行ったことがある。身長が伸びなくてあきらめたけど。
高校に入った後は、小説家、ウェディングプランナー、ウェディングドレスデザイナー。宝塚に入るのは無理そうだから衣裳を作りたいと思った。
でも、特別な人の衣装だけを作るより、普通の人でも一生に一度主役になれる特別な日。結婚式の衣装、ウェディングドレスを作りたいと思った。
しかし、化学に魅せられた。研究者になりたい。でもドレスもあきらめきれない。
そうだ、繊維からデザインする企業を立ち上げよう。
そんなことを考えていた大学1年生。
ここまでずっと夢と目標があった。
でも大学2年生で編入試験に落ちた。そのあと自分が「化学に飽きてる」ことを自覚した。私が愛したのは自分の記憶能力を存分に生かせる高校化学だったのだ。
そして大学3年生。そして今。
そうだ。自分はずっと「誰かの日常を支えるような仕事」ではなく「誰かの特別な非日常を創る仕事」をしたいと思っていたのだ。
その就職担当の先生との面談の後で、そう気がついた。
私は誰かの非日常を彩る仕事がしたい。
やっと、一縷の光が見えた気がした。
一歩進んだ瞬間だった。
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