女性蔑視はシンプルにダサい。私たちは、 #わきまえない女 である必要さえすでにない
#わきまえない女 が話題ですが、私は今回の件て、もはや男権的な考え方ってものすごくダサいのに、まだ気づいてない人いたんか!っていう問題だと感じたんですよね。
女性蔑視がどうしてダサいか
なぜなら、時代は間違いなくジェンダーギャップを縮小する方向に急速に向かっていて、特に日本は少子化だから、女性を労働力にしないといけないという差し迫った背景から、社会におけるジェンダーギャップとか言ってる場合じゃないということは、既に合理的な考え方ができる方なら男女関係なく当たり前なわけで。
つまり「女性蔑視」という考え方自体が、ものすごくダサい。もう、表参道をヤマンバメイクで歩くくらいダサいので、「ヤマンバメイクしてる人たたいてもしょうがないじゃん、時代遅れなだけだから自分のいたいようにいさせてあげよう」くらいのスタンスに本当は早くなりたいですよね。
私は幸いにも女子校出身なこともあって、人生通して男権的な環境にいたことがないです。なので、たまに「女なんだから」的な環境にとびこんでサラダ取り分けろ的な空気になるとぽかーんとしてしまいます(そんなの今あるの?)。
でも今回 #わきまえない女 でこれだけ声をあげる人が多く、共感する人が多いというのは、いまだにどれだけ多くの女性が抑圧的な空気を感じながら日々生活しているのか、と思い、そのストレスは推し測れないほどだな、と思いました。
人は長くその環境にいると自分を適応させていってしまうので、男権的な価値観の方がスタンダードなんだという風に自分に言い聞かせる部分もでてきてしまうのではないか。それこそ非合理な社会の抑圧だと思います。
でも上述したように、特に日本はもうジェンダーギャップとか言ってる場合じゃないんです。
ジェンダーギャップは急速に縮まっているという明るいファクト
たしかに古代から、生物として男は仕事、オンナは家庭という形が自然で、人類の歴史ではそんな時代の方が数千年レベルで圧倒的に長い。
でも雇用機会均等法ができて40年、女性参政権獲得から70年、70年前までは選挙権すらなかったんですよ。そう考えるとたとえジェンダーギャップ指数が先進国最低でまた下がったと言われようとも、歴史的にも今「ものすごいスピード」でにジェンダーギャップは縮まっていっているという明るいファクトを忘れてはいけないと思います。だからジェンダー格差を強いていることの方が、非合理的でダサいんです。
マクロ視点でそんなに急速に時代が動いていることを思えば、職場で男権的になる人がいたとしてもそれは浸透圧調整みたいなもので、別にその人が悪の権化なわけではない。
敵視するのではなく、ダサいなって思える一歩引いた余裕をもつことが、抑圧から逃れるために自分にできる方法だと思います。
女性蔑視の環境を回避した2つの選択
今まで抑圧的な環境にいたことがないと書きましたが、そんな私も、人生の決断で2回、女性蔑視の抑圧リスクを回避してセーフ、と思っていることがあります。
一つは
・女子大に通ってたけどインカレサークルに入らなかった
うちの大学の近くの有名大学Wの男子と、うちの大学の女子のみで構成されるサークルがものすごくいっぱいあって、周りはみんなそこに入ってたんだけど、
①W大学の男子は同じ大学の女子をサークルにいれないのが当たり前っていう暗黙のルールがあって(学歴が同レベルの女子を嫌厭するからっていう理由ときいた)この仕組が明らかにおかしいなと思った
のと、
②飲み会に言ったら1年の女子だけ好待遇されて、2年以上の女子は年齢があがるごとにお酒ついだりする役割にまわされていた(男子は全員座っている)っていう図がちょっと受け入れられなかった
(もちろん違うサークルもあったと思うけど)ので、サークル自体に入るのをやめました。
もう一つは、
・男女比5:5で採用している企業に入社した
今ってあるのかわからないんですけど、大手の説明会まわってて、男女の採用比率が決まっていて8:2とか7:3が普通だったんですよ。今ってこれあるのかな。
で、当時それすごくおかしく見えたのと、仮にここに入社したら、マジョリティ派の同期男子を抜くためにがんばる、みたいな謎のベクトルはたらく可能性あるなと思って、そういう企業は最終的にうけなかったです。
で、サイバーエージェントは当時から5:5採用でした。他にも惹かれた理由はたくさんありますが、この姿勢にも感銘をうけて最後1本で受けました。ジェンダー関係なく実力評価してくれる環境ではたらけたのは、財産だと思ってます。
権利を主張するより、早くマジョリティにならねば
なにがいいたいかというと、もし女性蔑視に怒りを感じるのであれば、その人は少なからずジェンダーギャップによって抑圧的な環境に身をおいているかもしれないこと。男性もフェアなスタンスで、そうじゃない環境も全然あるということ。
そして、もし選択できるのであれば、小さい単位でもそうでない環境を自ら選んで、マジョリティになっていく波にのったほうがいいと思う、ということです。
権利を主張するよりも、マジョリティになる努力をする方が楽しいし、最終的に権利を獲得できる可能性が高いと私は思います。
なので、森さんの発言には特にびっくりしなかったんですが(今言っちゃったか..というオリンピック開催国視点で残念には思った)、 #わきまえない女 のベクトル・パワーが早くもっと良い方向に向かう社会になるといいし、私にできることをもっと探したいと思っています。
そして、戦う #わきまえない女 には全力のエールを。
うちの会社アタラシイヒでは、新時代の女性に向けたプロデュースブランドや動画制作などを行っていたりします、宣伝です。宣伝です。
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