電脳虚構#7|善意の都市(下)
Chapter.4 足音
残業で遅くなり、早足で駅からマンションまで帰る。
今日もまた背中に視線を感じる、この街で誰かにつけられるなんて、ありはしないはずなのに。
家のドアの前。コンビニの袋がぶら下がっている。
ゾクっと、背中にイヤな汗を感じた。あの日のデジャブだ。
「この街にアイツがいるはずなんかない!」と、自分に言い聞かせ、精一杯の強がりで平静をよそおって袋を手にとろうとした・・。
・・着替えをして、洗顔、、自動でお風呂にお湯がたまっていく。
陽気なバラエティ番組が大音量でかかった、チップが不安定になっている私の脳波を検知して、そうしてくれたのだろう。
・・結局、袋をそのままにして、家に逃げ込んでしまった。
気になって、気になってしかたがないのに、あの緑のかすれた文字がフラッシュバックする。
いまもドアの向こうに、その何かがぶらさがっている。
毎日感じる、背中の視線の元凶がそこにあるのだと、直感的に感じていた。
助けて・・・助けて・・・。
彼に連絡をして、すがるように状況を伝えた。
「気にしすぎじゃないかな?
この都市は悪意を持って他者にかかわることはできないし。
いずれにしても、その袋の中身は好意的な何かだよ。」
彼だけじゃない、この都市で生きる人々は「悪意のない社会」にすっかり順応してしまっている。
他者を疑うことも、己の身の危険を察知することも希薄になっているのだ。
それでも私の普通じゃない空気を察したのか、彼が家に来てくれることになった。
あの袋の中身、、彼に確認してもらおう。それなら安心だ。
電話を切って、数分。
家中の窓、扉、カーテンを全てシャットアウトして、ベッドにもぐり彼の到着を待った。
早くきて、、、早く。
リビングでは相変わらず、陽気なバラエティ番組の笑い声が響いている。
その音にまぎれて・・遠くからかすかに
カツン・・カツン・・・
なにやら足音が聴こえてきた。
耳を澄ますそうとすると、テレビの音量が自動でミュートになった。
静まり返った部屋。
カツン・・カツン・・・カツン・・・・
足音が大きくなってくる。
彼の家からは、車で20分はかかる。彼であるはずがない。
いや、他の住人の可能性だってあるし、きっと私が敏感になっているだけだ。
カツン・・カツン・・・・
カツン・・カツン・・・・カ
足音は扉の前でとまった。そしてガサガサと妙な音を立て・・
息をころして、耳を澄ます。
ボソボソとなにか低い声で呟いている声がする。
そして物音と声が静かになるとまた
カツン・・カツン・・・
と、足音が通り過ぎて行った。
放心状態のまま、しばらく動けないでいたが「お風呂のお湯が沸きました」という音に我に返った。
それとほぼ同時に彼がやってきた。
周囲にはあやしい人影もなく、ドアにあったはずのあの袋ももうなかったという。
「やっぱり気のせいだったんじゃない?
あ、そんなことより、結婚式場の話なんだけど」
彼の態度が冷たいわけでも、おかしいわけでもない。
この街では、誰もが悪意に対する恐怖心が麻痺しているだけだった。
彼はもろもろの話が終わるとすぐに帰ってしまった。
気のせいだと思いたくて、気分を変えるためにお風呂に入った。
お風呂から上がると、少し気持ちを持ち直していた。
きっと最近、気にしすぎて疲れていたんだろう。
本当に気のせいだったんじゃないかと思い始めていた。
つかれはてその日はそのまま眠りについた。
・・カタン
朝、玄関の方で物音がした。とてもイヤな予感に目が覚めた。
恐るおそるそっちをみると、見覚えのある「あの紙」がドアの隙間に挟まっていた。
Chapter.5 ホヌの指輪
チラシを無造作にちぎった紙に、かすれた緑のマジックの汚い文字で書き殴られていた。
ガサガサ・・・ガサガサ
ドアの向こうの気配。まちがいない、アイツの気配だった。。
ふるえる手で彼に電話をかけた、この時間ならまだ自宅にいるはずだ。
叫ぶように彼の名前を呼んだ。
はやく、、はやく電話にでて。
彼は電話にでなかった。なんどかけても応答しない。
そのときドアの隙間からまたあの紙が差し込まれた。
ガシャン!
キッチンの窓が割れ、コンビニの袋が投げ込まれた。
袋から半分顔出した「それ」は、キッチンの床に這いつくばっているように見えた。
血で赤く染まった手。薬指にはホヌの指輪が光っていた。
部屋の中で警報機が鳴った。
生体反応や、脳波がいちじるしくみだれると、都市の管理センターから連絡が入る。
「どうしました?体調の急変ですか?どうしました?」
パニックになりながらも、ドアの向こうのアイツにきこえないようにできるだけ小声で状況を話した。
玄関ではドアをなにか強い力で、ドゴンドゴンと叩く音が響いた。
「ストーカー?そんな事例は一度もきいたことはない。
ましてや、人間の手だなんて、そんな犯罪は起きないんですよ、この街では」
救援をお願いするために、どうにか食い下がったが、最後は警報は誤報だと処理されてしまった。
ドアをたたく音はさらに強くなる。きっと扉をたたき破るつもりだ。
彼ももうきっといない、誰も助けてくれない・・。
私は意を決して、ベランダから隣の家に飛び移った。
窓を叩き、隣人に助けを呼ぶ。
ぐしゃぐしゃの顔で、状況を説明し助けをもとめた。しかし
「そんなこと言われてもねぇ。いまいちピンと来ないわ。
きっとその人、いい人なのよ。あなたのためをおもってなんじゃない?
きちんと話し合ったらわかりあえるんじゃないかしら。」
やはり、この状況でもまるで危機を感じとってはくれない。
そのとき、私の部屋でドアを蹴破る音がした。
耳を澄ますと、私の部屋に確実に侵入している気配があった。
その隙をねらって隣人の家からとびだし、マンションの階段をかけ下りた。
Last Chapter 善意の都市
マンションの前の公園、休日の朝は人でにぎわっていた。
目についた人を見つけては、助けを求めた。
が、しかし
「そうなんだ、大変ね。でも大丈夫。この街には悪い人はいないわ」
「ストーカー?そんなはずはない、きっとあなたのこと心配しているんだよ」
誰にきいても、そんなノンキな答えしか返ってこなかった。
悪意のない街、、人の心はこうもかわってしまうのかと、愕然とした。
「・・・・大丈夫?」
背中で声がした。得体のしれない不穏な汗・・。
ゆっくり振り返ると、黒いパーカーのフードを深くかぶった大きな男が立っていた。
そして男の手には「彼の手」が握られていた。
「彼もうっかりさんだよね。
この指輪、ボクに託してくれたのにチップで認証されてて外れないんだ。
ボクのチップじゃ、認証が解除できなくてね。
死んじゃう前にちゃんと外してもらえばよかったよ。」
もう片方の手にはナイフが握られていた、その手は真赤に染まっていた。
「急にいなくなっちゃってさ、半年もさがしたんだよ。
せっかく会えたのになんで逃げるの?キミが心配なんだ。
ごめんね、ボクがいけないんだよね、ひとりにさせちゃったから」
私は大声で助けを求めた。
この血まみれの殺人鬼から守ってほしいと。
晴れた日のおがやかな公園、その人々はにこやかにほほ笑みこちらをみている。
そして、ちょうど通りかかったご婦人は私にこう言った。
「大丈夫、彼には悪意はないわ。
話し合ったらきっと誤解もとけるんじゃないか、し・・ら・・」
その瞬間に血まみれのナイフは、ご婦人の喉をつき刺した。
「ごめんね、いまちょっと彼女と大事なお話してるんだ。
ごめんね、ちょっと待っててね」
白昼の惨劇。血しぶきが、青い空に向かって高くふき出した。
真新しい公園の白いタイルがみるみる赤く染まった。
それをみても、街の人々は「あらあら・・」「うふふ・・」と笑っていた。
誰も助けてくれないと、私は無心で男を突き飛ばし、公園を抜け全力逃げた。
「なんで逃げるの?ボクがキミを守るから
キミのしあわせしか願ってないんだよ、ボクは」
そう叫びながら、私を追いかける間にも
「ごめんね、いま急いでるんだ。ちょっとどいててね。ごめんね。」
そういって、通りにいる人々を次々とナイフで斬りつけた。
誰も逃げないし、声もあげない、人々にはこの惨劇はどうみえているの?
私とあの男以外、まるで街の時間が止まっているかのようだった。
公園を抜けた先、噴水の前。待ち合わせの人々であふれかえっていた。
私は走る力も尽きて、噴水の前についに倒れ込んだ。
見上げると「彼の手」があった。薬指は引きちぎられていた。
「ほら、指輪。外れたんだよ。これで一緒になれるね。」
それをみたとき、私は反射的に指輪を手で払った。
「なにをするんだよ、怒っているんだね。それとも悲しいのかな?
キミにはつらい思いをさせてしまったね。ほんとうにごめんね。」
男はナイフを私に突きつけた。
「一緒に死んじゃえば、もう悲しくはないよね?
一緒に死んじゃえば、仲よくできるんだよね?」
周囲にいる人々、、街はそれを見向きもない。
悪意のない社会、それは人の感情を壊していたのだと知った。
私はとっさにナイフをうばい、男に突きつけた。
そして無我夢中で、ナイフを振りかぶった・・・
しかしその瞬間、脳にチクっと痛みがはしった。
「悪意」の検知だった。
その途端、全身の力が入らなくなり、ナイフを地面に落してしまった。
「いけない子だな。大丈夫。こわがらなくていいから。
キミのしあわせだけが、大事なんだボクは」
抵抗しようとなんどもこころみた。
でもそのたびに「悪意」と検知され、抵抗がキャンセルされてしまう。
じゃあなんで?
なんで?この男の「悪意」はキャンセルされないの??
ダメだ・・力が入らない。
抵抗もできず、私の左胸に冷たい金属が入っていくのがスローモーションで見えた。
そのとき、男のフードの中の目を初めて間近でみた。
「ごめんね、キミのこと。必ずしあわせにするからね。」
男の目は、純粋な一点のくもりもない・・善意の目をしていた。
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