電脳虚構#4 | リトライ
「死ね!死ね!この裏切り者!!」
私は夫にまたがり、何度も包丁で刺した。
「うわぁぁぁぁ〜〜!!死ね!はぁはぁ、死ね死ね!!!」
もうとっくに絶命していたのだろう、それでも我を忘れて刺しづづけた。
「カラン」
私の血だらけの手、その血のりでぬるっとすっぽ抜け床に転がった包丁。
その冷たい金属音で、ようやく我に返った。
壁・床・冷蔵庫・シンク。あちこちに飛び散った血と肉片。
赤く染まったキッチンには、さっきまで「夫」だった物体が無残な姿で横たわっていた。
「またやってしまった・・・。」
端末を外すと、私は寝室にいた。
何度、シミュレーションをしても結果は同じだった。
どの会話の選択肢、行動パターン、など詳細にデータ変えても結末は変わらない。仮想空間の中で、何度も夫を惨殺している。
いまや国民の義務、生後数日で「生体チップ」というものを脳に埋め込む。脳波、行動記録、ライフログ、様々な個人の認証・特定に使われる必須ツールだ。
そのデータは自由に使用が可能で、仮想空間上に「未来予測シミュレーション」を作ることができる。
夫は浮気をしていた、もう何年もずっと。
知らないふりするのも、もう限界だった。
私の直感だが、浮気相手は妊娠している。
そして夫は離婚を切り出すそのタイミングを今か今かと計っている、そんな雰囲気をここ最近はずっと感じている。
捨てられるくらいなら、浮気相手に負けるくらいなら、せめてこっちから捨ててやると決意をした。
離婚届けを今夜突きつけて、言いたいこと全部言って終りにしようと思った。
VR端末に、夫の生体データを国のサーバーからダウンロード、そして私のデータ、家の環境データ。
ありとあらゆる詳細なデータを統合し、仮想空間を構築していく。
その個人の「生まれて、現在まで脳波、行動パターン」の全データを解析し、AIで「未来」を算出しているため、この未来予測の正確さは98.58%と公表されている。
「今夜」の話し合いに向けて、事前にシミュレーションをしておこうと、数日前から何度も条件を変更しながらリトライを続けている。
しかし、結局は口論になり、私が逆上して夫を殺してしまうのだ。この未来は変えられないのか、と落胆しながらも、それでも何度もリトライをした。
もうかれこれ、30回以上は夫を殺している。
そのせいか落胆を通り越して、不思議と清々しい気分にもなっていた。
仮想空間と言えど、裏切り者にさんざん復讐しているのだ。
もうそれで充分に満たされてしまった。
「なんてばかばかしいのかしら..もうやめよう、こんなこと」
その気持ちの変化も、未来予測に正確に反映され、再計算される。
「きっと今度こそ、よい結果になるわ」
そしてこれが最後と、仮想空間に飛び込んだ。
■ □ ■ □ ■ □ ■
何度もくりかえした「今夜」。
仮想の扉が開くといつものキッチンにいた。
夕食の支度をしていると、夫が帰ってきた。
「お、今日はローストビーフか。そんな気がしてコレ、買ってきたんだ」
夫は赤ワインを買ってきた。二人の思い出のワインだった。きっと今夜が最後になるかもしれないと、夫も予感がしていたのかもしれない。
そつなく他愛のない話をしながら、夕食を終えた。
チーズとワインをもって、ソファに二人座る。
とても穏やかな気持ちだった。
夫に対して憎悪も何もない、むしろ「いままで愛してくれてありがとう」とさえ思っていた。
今回のシミュレーションはうまくいきそうだ。
「浮気、、全部わかってたから。
でももういいの。きっとそういう運命だったのね。」
少しの沈黙のあと、そう切り出したのは私。
判を押した離婚届を夫にそっと差し出した。
「うん、ごめん。」
夫はただそれだけ言って、なにも言い訳はしなかった。
「じゃあ今日が最後の晩餐ね。
思い出のワイン、買ってきてくれてありがとう。」
「こちらこそ、君のローストビーフはやっぱり絶品だね。」
あの何度もリトライした悲惨な結末など、嘘のように二人は穏やかだった。
「あ、チーズもうないわね。ちょっと持ってくるわ」
「ありがとう、僕はレコードでもかけるね」
ふたり、席を立って、またもとのソファへ、ふたり、戻ってくる。
この当たり前の日常もこれで終わり。
次にここを立ったらもう「ふたりのソファ」に戻ってくることは二度とない。
「僕たちの最後の夜に乾杯」
「うん、、私たちの最後の夜に乾杯」
その笑顔に、この人を好きになってよかったと心から思った。
「ほんと、、不思議だね。」
そして夫がぼそっと呟いた。
「うん...ほんと、不思議」
夫は小さな声でつづけた。
「ほんと不思議だ。
・・・・こんなにシミュレーション通りになるなんて。」
その言葉を全て聴き終わる前に、私は血を吐き床に突っ伏した。
全身の血液が逆流しているかの苦しみ。
内臓の全てにマグマを流され、内側から焼かれるように熱い。
視界が赤や白、黒、青、パチパチと閃光のように火花を散らし、目を開けていられない。
「な、、なんで・・・こ・・こん・・なこと」
夫はニヤっと笑った。
「僕は今夜のこと、たくさんシミュレーションしたんだ。
仮想空間で僕は君に何度も殺された、厭なもんだったよ、現実じゃないってわかっててもさ。
それで君が僕にただならぬ殺意を抱いていることを知ったんだ。
その決行が今夜だってこともね、だから毒を盛ったのさ、やられるまえにね。
先手必勝ってやつだ。」
殺意を知られていた?
夫もシミュレーションしていただなんて・・・。
こんな結末もあるなんて、予想外だった。
やはり事前にシミュレーションをしておいてよかった。
毒を盛られたのは、きっとワイン。
私がチーズを取りにキッチンへ、夫がレコードをかけに行った、きっとそのタイミングで盛ったのだろう。
本番では、どう警戒すればいい?
それどころか、夫の殺意を知って穏やかに話せるだろうか。
まずはもう一度、データを修正してリトライしなければ。
一からシミュレーションのやり直しだ。
まずはリトライ、、リトライしないと!
■ □ ■ □ ■ □ ■
そして端末を外そうと手をかけたとき、ぬるっとした感触に手が滑った。
「カラン」
私の血だらけの手、その血のりでぬるっとすっぽ抜け、床に転がった端末。
その冷たい金属音で、ようやく我に返った。
私はキッチンにいた。そして
・・・夫にまたがり、包丁をもっていた。
壁・床・冷蔵庫・シンク。あちこちに飛び散った血と肉片。
赤く染まったキッチンには、さっきまで「夫」だった物体が無残な姿で横たわっていた。
それはまぎれもない現実だった。