椹木野衣『後美術論』を対象に、批評の貧困について
『後美術論』が吉田秀和賞を受賞したと知ったとき、僕は仰天した。というのも『後美術論』は一読して論理構造の破綻が明白であり、その構成的破綻を過剰な細部の装飾によって言わば大規模に陽動し読者の目を逸らさんとし続けるあまり汲々とした著作であると見做していたからだ。そして該当の賞について調べてみると「音楽を中心に芸術評論に多大な功績のあった吉田秀和氏の名を冠し、1990年に創設された吉田秀和賞は、芸術文化を振興することを目的として、優れた芸術評論に対して賞を贈呈しております」とある。なるほど。これはどうやら音楽をその対象の一部としていることが賞の文脈と合致し、かつ大著であることが他の音楽評論を圧倒、音楽を含む芸術評論として評価されたらしい、と思われた。
つまり、まず音楽評論の貧困が状況として先行してあるのではないか。そして次に芸術評論・美術評論の貧困が『後美術論』の受賞というかたちで現出したのではないかと推察する。僕にとって、いや僕自身のなかで今回の受賞劇は「批評の貧困」の象徴として前景化しつつあるように感じられる。
ここで『後美術論』に関して僕なりの観点から評しておこう。制作側の説明にある通り「後美術」を「美術や音楽といった既成のジャンルの破壊を行うことで、ジャンルが産み落とされる前の起源の混沌から、新しい芸術の批評を探り当てる試み」であると前提すると、これはまず「新しい芸術の批評を探り当てる試み」であってこれそのものが新しい批評なのでは決してない。そして「探り当てる」ために用意された場所は「ジャンルが産み落とされる前の起源の混沌」であるから、ジャンル化される以前の未分類・未整理な状態が推測されるが、そこへのアプローチはジャンルの再生産、あるいは再ジャンル化の欲望とでも言うべきものに囚われているのではないか(「音楽と美術の結婚」というフレーズはそのような予感を誘うに十分であろう)。またその場を用意するための方法が「既成のジャンルの破壊を行うこと」とあるのだが、一読した限りでは、美術批評の視座から音楽を批評することでジャンルが破壊できる、という思い込みが著者にあるように思える。もし他ジャンルの批評的視座から他ジャンルの作品を批評することでジャンル破壊が達成されるのであれば、散々文芸批評の視座から論じられてきた映画というジャンルはとっくに跡形もなく壊滅しているはずであるが、映画というジャンルは歴然と屹立している。
つまり、著者の方法論ではジャンル破壊は達成されず、起源の混沌へと回帰することはできず、よって試みる場さえ整えることができないまま、「探り当てる」という目的は(企画段階で)頓挫(が確定)する(何故こんなクオリティで『美術手帖』での連載が許可されたのか理解に苦しむが、後述)。『後美術論』で実際に行われていることは「音楽と美術の結婚」ではなく、ひとりの美術批評家が美術による音楽の吸収合併を画策した「美術主導による音楽との政略結婚」ではないだろうか。そしてそれはやはり再ジャンル化の欲望ではないのか。
著者の椹木は学芸員的な点では十分以上に優秀だと僕は思う。ゆえにその優秀さを存分に振るうことで、上述した構造破綻を豊富な調査資料による陽動で読者の意識から逸らし、読者の認識を弱めることで露見しにくい状況を構築しなければならなかったのではないか(そのような著作は結果的に大著となるだろう)。僕は『後美術論』に対しそのような感想を抱いていたので、受賞の報を受け仰天した次第である。
詐術的と称しても過言ではなかろうと思っていた著作が受賞してしまうという事態は、僕にとってみれば一種の危機を感じさせるものであるが、同時に批評全体の問題でもありうる。それだけでなく、今回の受賞に関して美術批評側から一切の反発、指摘の類がないとするのであれば、それは美術批評の貧困の顕れと思わざるを得ない。予想できなくはないことではあるが、そのような状況は既定のものとして長期化しており、いまさらになって僕が感知したにすぎないということもありうるし、そうであるとすれば美術批評の長期的貧困ゆえに『美術手帖』の水準も低下を余儀なくされたと判断する方が実態に近しいのかもしれない。商業的に厳しい出版状況はスタープレーヤーを欲しても不思議ではない上、批評プロパーに対する批評であれば(吉田秀和賞審査委員である磯崎新が選評で述べているように)ニッチな「好み」による記述をも「誰も真似できないプロジェクト」として評価されようし、またよく言ってロマン、悪く言えば妄言にすぎない内容も(もうひとりの審査委員である片山杜秀も指摘するように)「純粋な欲望の発露」「無限=夢幻への果てしない飛翔」として肯定的に読解されることになるのだから、商業メディアとしての判断軸がそうした方向に向かったとしても無理もないと言えるだろう。
そうなると、(たとえば片山が述べるような)「変革の可能性に賭けようとする」姿勢を判定するに、「賭け」に負けた際に何を失うのか、という視点が生じうることになるのだが、そのとき、著者自身は雑誌連載というステイタスやそれによる影響力や稿料や単行本化による印税を得て「賭け」に挑んだ結果吉田秀和賞の栄誉と副賞賞金200万円を勝ち取ったがもし「賭け」に負けていたとしても雑誌連載も稿料も印税も失うことなく得るものの方が多かったはずなので(批評の貧困の一端としての美術批評の貧困が既に「内容面の批判を留意する必要がない」段階に達しているとすれば批判による評判の悪化は発生しないか考慮する必要がない)「賭け」ではない負けのない
「堅実な事業計画」であったと言うしかなくなるのである(「変革の可能性に賭け」た結果失敗したとしても何も失わないだけでなく得るものばかりなのだから{そもそも「賭け」なのだから失敗の責を問うものではない、むしろ勇気ある「賭け」に臨んだことを讃えるべきだ、という擁護さえ想定しうる状況でリスクある「賭け」など成立するのだろうか})。
批評の貧困の一端がはたしてこのようなかたちで美術批評の貧困として発現しているのだろうか。本稿での「批評の貧困」とは「批評プロパーのための批評」「批評の読者のための批評」ばかりがまかり通る記述内容上の貧困を指しているのだが、椹木ひとりの批評を以て美術批評全体を代表させるわけには当然いかない。『後美術論』や『美術手帖』における内容的貧困は批評家個人や一雑誌の貧困であり、それらを批判できない状態に陥ってはじめて美術批評の貧困と言えるのだ。僕はすべての美術批評をカバーしてはいないのでこの問題に明確な結論を出すことはできない(音楽評論・批評に関しては美術以上に詳しくはないので判断できない)。
近年、批評再生や批評再起動を謳う集団がいるが、どうにも「批評的試み」に見せかけた「堅実な事業計画」に思えてならない。現代社会において、あらゆる活動は経済なしに継続することはできないが、だからといって経済に主軸を移してしまえば批評は内容上の貧困を甘受するしかなくなるのではないか(しかしながらこれが一個人、一集団の貧困である限り「批評の貧困」と呼ぶべきではないのは「美術批評の貧困」の場合同様である)。
より内容に富んだ批評を。それが僕の志向する批評であり批評全体の未来として思い描いているヴィジョンでもある。であればこそ『後美術論』の受賞は衝撃であったし、この件は美術批評全体に「論理破綻は不問に付されるはず」という風潮を呼びかねないだけでなく、そもそも『後美術論』そのものを「破綻のない論」として基準化してしまう危険まで感じたのであった。
この受賞劇とそれを軸に語るべきことはもはや尽きた。僕はこのあたりで「批評の貧困」について叫ぶことをやめ、「より内容に富んだ批評」に取り組む姿勢へと立ち返ることにしよう。それがいつか実を結ぶと信じて。
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