いつのころからかいなくなったトラウマ?
今日はクリスマス・イブですね!
この日は、私にとっては複雑な想いのする日です。
というのも、クリスマス・イブを楽しむ暇もない生活と、仕事をしている仲間を思いながらクリスマス・イブを思い切り楽しんでいた(いや、必死で用意していた?)生活を、まるで正弦曲線のように、周期的に過ごしてきたからです。
あれこれに必死だった母のために?一生懸命に家庭的な家であろうと努力していた若いころもありますし(仕事をして家を離れていた頃、暮れに妹から、早く帰って来て、しっかりしたお料理を作って!と頼まれたこともありました。)、仕事をしていて、2学期が終わり、実家に帰省するクリスマスにフライドチキンを買って帰ろうと思ったら、もうすでに売り切れていて、仕方がなくスモーク・チキンを買って帰ったときの侘しさも覚えています。
それが、彼氏がいて、婚約もしていたのに、私は、なんとまあ、それらしくないクリスマス・イブを過ごしていたのでしょうか(遠距離だったし、下手したら自分の方が忙しかった。)。
もっと若者らしく過ごした記憶があればいいなあ、とも思います。けれど、きっとそれは、自分らしくない過ごし方だったのでしょう。
ある年、同僚が、「クリスマス・イブの晩、僕、授業入ります!」というのを聞いて、ああ、こんな風に仕事をしている人もいるのに・・・、と思ったのを思い出します。
その年は、お昼間は娘のお友達を呼んで、夜は息子のお世話になっている人をお呼びするために、チキンを二羽焼いて、ホール・ケーキを2つ焼いたのでした。なんだか自分がのんきに暮らしているようで、複雑な想いをしていたのを思い出します。
家庭に向いていないと思い詰めていた自分が意外に家庭的だったり、社交性ゼロだと思っていた私が、結構お友達と過ごすだけではなくて、他人と一緒に暮らすこともそうそう苦手ではなかったように、あれこれ、思い込みというものはあるし、もっと言うなら、周りから言葉で定義されて、それを信じてしまうという怖さもあると思います。
人間は利害関係で成り立っていますし、相対的な関係性で生きています。
だから、自分にとって、男性よりの生活をしていたら、自立していて、女性的でない、家庭的でない、と決めつける人もいるし、自分の立場から、家庭的な人、と決めつけられたりもします。
だから、いつのころからか、私は人の言うことを気にしなくなりました。
トラウマ的に、自分が○○だから・・・、というのもなくなったようです。
だって、そんなものは相対的に表現されるものだから。
社交的な人よりも、内向的だけれど、誠実だから信じられる、という場合だってあります。何も、コミュニケーションというのは、言葉だけで成り立つものでもありません。
今日、また、日本史を教えていて、面白いことがありました。
室町文化について触れたとき、
あのさあ、どう見ても私って、華道か茶道か?と言われたら、茶道の方がまだ合ってない?
と訊いてみたのです。先日、ある生徒が先生、お花、って感じがする、と言われて、あまりに意外で、訊いてみたのです。
そしたら、華やかな華道、という感じ。
と言われて、即座に、ああ、地味だから、華やかな華道?
と返したら、
いえ、華やかな雰囲気・・・。
と言われて、またもや???
やっぱり、私って、人が見る自分と、自分が見ている自分が違うのよねー!と言ったのですが、それは誰しもそうなのだろうと思います。
幾分私の場合極端であったとしても。
女子大出身で、専業主婦をずっと続けてきた友達からは、やってることは男じゃない?と言われたこともありますし、でも、あんた、ぽわーんとした人だと思ってたら、勤労意欲が高くて、あんたにはどんだけびっくりさせられたかわからないわ・・・、という友達もいます。
かと言えば、あなたほど専業主婦に向いてる人はいない、という友人。
もう、知らんわ。
勝手に言うといて。
私はその時その時、状況と、自分の気持ちに素直に、生きていたいと思います。
けっこう、みんないい加減なこと言ってくれてるやん!
要するに、私は生活するということも楽しみたいし、指導するということも楽しみたいし、ずっと働いていたいのだと思います。比重がどちらかに偏ることはあったとしても。
それから、あまりに疲れて、3日前にマッサージ屋さんに行ってきました。これも、ファンであるしいたけさんの占いからでした。非日常ー映画を観るとか、カラオケに行くとか、を勧められていたのですが、私はマッサージに行ったのです。それもすぐに予約が取れたので、ほぼ10か月ぶりでした。
担当者は札幌出身の人でした。私が住んでいたところの近くのご出身でした。話が弾んだのもあるのですが・・・。
私の担当をされて、半ば悲鳴をあげておられました。硬くて硬くて、指が入らなくて・・・。なんか、奥にまだ硬いものがある・・・、とのことでした。
次の日、私はこれはいけない、と思い、予約を入れました。途中、仕事での約束があったので、急いで帰りましたが、まだ私は硬いところがある・・・、と実感があり、深夜にまた予約していってきました。
今度は違う人でした。その方は、
スポーツしてました?とおっしゃるのです。
スポーツとは無縁です。
筋肉が、あるのだそうです。それに健康だから、ここまで放っておいても、ほかの筋肉を使ってなんとかやり過ごして来たらしく・・・。
それって、褒めてますか?
と訊くと、半ば褒めていて、半ばいじめてます、とのこと。
要するに、よくもここまで放っておいたな、という話らしかったのです。
私が筋肉を鍛える、というとせいぜいピアノ?でも最近弾いてないな・・・、と思っていました。
ほら、バレリーナも軽やかに踊っているように見えて、鍛えているでしょ?と言われて、
ウソッ!?バレリーナ?と喜んでしまい、そしたら、
今度顔見たら、プリマ!と言いますよ!
と言われたという話を、現在バレエを習っている生徒に言ったら、絶対にウケると思ったのに、
先生、プリマ、なってそう・・・。
と真顔で言われて、エッ!?と訊いたら、
真面目に練習しそう・・・、とのことでした。
ああ、なんていい子たちなんだろう・・・?この土地の真面目さかしらん?
でもさあ、ちょっとは体型とか顔かたちとかも関係あるでしょ?バレリーナには?
と訊くと、
確かに、メイク崩れたから、降りて!と言われて、お母さんに直してもらいに行くことはあります!
って、どこまで真面目やねん!?という話になりました。
ひとときでも、自分がプリマになってる様子を想像させていただいて、笑いしかありませんでしたが、その夜、まだ、身体に何かが残っているような気がして、私は、再度、呆れられながら、マッサージ屋さんに来訪したのでした。
働いているのだから、それくらい許される・・・説の下、私は、贅沢をしている感満載でありながら、明後日から冬期講習という、ハードスケジュールを思い、思い切って行ってきたのでした。
思えば10月の、旅行の折、私が見つけた1000万ドルの夜景が見える温泉の宿で、偶然にも、お部屋にマッサージ機のある部屋で、2泊3日、暇さえあれば、そのマッサージ機に座って、ゴリゴリゴリゴリ、身体をほぐしていたのでした。
これも、しいたけさんの、水に流せ!説に従って、温泉に行ってきたのですが、普通、マッサージ器と言えば、一回150円くらいしながら、それでも体に合わないことが多いし、あっと言う間に終わってしまうものですが、そこのマッサージ機は、まるで私専用ではないか?というほど、痒い所に手が届く、いや、凝ってるところに手が届く優れモノのマッサージ機でした。
買ったら?という説もありながら、あの、大きさと、いざ合わなくなったとき、出費のことを考えると、そうそう思い切ったこともできません。(笑)
あのマッサージ機以来の身体のメンテナンス。
あの、六甲にあった、あのマッサージ機が恋しい・・・。
と思っていたのですが、本当にほぐしていただきました。
もう少しマメにメンテナンスをしなければ、と思っています。
でも、今では仕事のせいにできますが、子育て時代ほど身体が凝っていたことはなく、よく、寝込むほどの肩こりがありました。
緊張型頭痛を起こし、寝込むし、吐くし、大変な思いをしました。それに、今なら、自分で、ああ、疲れてきたかな?とも思うけれど、当時はいつやってくるかわからない凝りでした。
たぶん、人に合わせ切る主婦と、本当に人のスケジュールに合わせ切る生活で、決して人に頭を上げてはいけない生活と、教師という、ときにものを言わなければならない仕事との間の葛藤が今より強かったのだろうなあ、と思い返しています。