斎藤佑樹選手と共にある、私の青春時代。
嗚呼、栄光は君に輝く。
日本ハムの斎藤佑樹選手の名前を聞くたびに、私の青春を思い出す。
ハンカチ王子とマーくんで沸いた、あの夏の甲子園に、私もいた。歌い手として。
今はどうなってるのか定かではないが、当時は、甲子園の開閉会式の合唱は、兵庫県下の高校の合唱部が持ち回りで担当しており、ちょうどあの年、私の高校に出番が回ってきた。
私は野球にも甲子園にも全く興味がなかった。
甲子園というお客さんの多い大舞台で歌えるという、ただそれだけを楽しみに練習に明けくれた。
参加校だけに支給されるお揃いの帽子とポロシャツを身につけて、熱中症対策のタオルを巻き、開会式を無事に終えた。
確か特典として、外野席での観覧ができたのだと思う。
開会式終わりに生で見た高校野球の選手たちは、同じ高校生とは思えないほどしっかりしていて大人っぽかった。
高校野球が身近に感じられたのは、そこからだ。
暇があればTVで中継を見て、熱闘甲子園で選手たちのドラマを知り、時には親にバレないように密かに涙する。
気づけば、完全に甲子園に取り憑かれていた。
佑ちゃんの所属する、早稲田実業の応援にも行った。
早実の応援団はえんじ色のユニフォームと応援棒を持っていたと思うが、どうしてもそれを一緒にもって応援したかった。
勇気を出して早実の応援団の方々に声をかけ、お揃いのグッズで応援させてほしいとお願いしたところ、何人目かで、ちょうどキャプテン(後藤くんというお名前だったような)の親御さんと出会った。
その場では余分がなくて、と丁寧に謝っていただいただけで終わらず、後日応援グッズ一式を、なんと手書きのお手紙と共に贈っていただいたのだ。
「こんな普通の高校生にまで心温まる対応をしてもらえるなんて」、私の早実愛は一気に高まった。
応援棒は、今も私の大事な物入れにしまってある。
忘れられない閉会式。
それは決勝戦の後に予定されていた。
そう、甲子園史上稀な、延長15回からの翌日再試合の甲子園だ。
合唱団は試合中は会場の外で待機するのだが、ピッチング練習は近くで見せてもらうことができた。
「どちらが勝っても今日で甲子園が終わってしまう。私の夏も終わってしまう。」
いつの間にか球児たちの家族のような気持ちになって、試合の行く末を灼熱の中、外で待っていた。
まさかの翌日再試合になったとき、合唱団の皆ははどよめいた。
明日もまたこんな暑い中、外で待たされるのか、、、
ただ、私の心はそんなに悲しくなかった。
確かに暑いし試合は見れないし、もうすぐ日が迫っているコンクールの練習日も一日減ってしまう。
でも、試合が終われば球児たちの夏が終わる。
もう一度全力で戦うチャンスなのか試練なのかを与えられた球児たち。
こんなドラマチックな甲子園の場に立ち会える機会なんて、この先あるだろうか。
「このドラマが終わらないでほしい」、という心の声が現実になったあの日。
翌日の再試合も、閉会式に備えて場外で待機のため直接見れなかったが、帰ってニュースを何度も見た。
おんなじニュースを違う番組で何度も何度も。
佑ちゃんが、早実が勝ってくれて嬉しいという思いと、不思議な喪失感。
あれから約15年。
私は大学を卒業し、就職し、結婚し、子どもまで生まれた。
人の人生がこれだけ変わるくらいの長い間、第一線で野球に打ち込み続けてきたなんて、並大抵の努力ではできない。
冷静に考えると信じられないし、それでも活躍し続けてきたことが感慨深い。
私の青春を一瞬でフラッシュバックさせてくれた斎藤選手に、心からの感謝と敬意を表したい。