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人との出会い

犯罪行為の多い回になりますので、そういった話が嫌いな方はこの記事を読まない事をお勧めします。

また質問箱の話題なのだが、先日の質問で「人生で影響を受けた人物は?」という質問があった。もちろん長く生きていれば影響を受けた人物は数人はいるものだ。私の頭の中にパッと思い浮かんだのは二人の人物だった。

自慢できるような話ではなく、恥ずかしい話なのだが私は若い頃薬物中毒者であった。薬物で逮捕されたこともなかったため、人に知られたくなく、中毒者をサポートするような施設や団体には行かず、自力で中毒症状を克服した。もちろん一人で出来たことではなく、周りの献身的なサポートがあっての事だった。

私が薬物中毒になったのは中学生の頃から最初はシンナーから始まり大麻コカインとどんどんエスカレートしていったのだが、決定的だったのはある人と親しくなり、その人のシノギのため私が末端の売人になった事である。売人は自然と自分でも薬を食ってしまうようになる。目の前に大量の薬物があるのだから仕方がない。そんな生活の中で私はどんどん薬物に依存していった。もしあの人に会っていなかったらと今でも思う事がある。毎日大麻とコカインを食う日々。最初の頃は十代では普通手に出来ないような金を手にして、街を我が物顔で歩いていたものだが、後に売り物の薬を自分たちでほとんど食ってしまい、金を上納できなくなり飛んだ過去もある。

ちなみに私に売っていた薬の元締めは私の三つ上だった反社の人物だった。私との接点がなくなってからの話だが、自分でも薬物の使用がやめられずにその後覚醒剤で数回逮捕された後、出所しても組も解散して無くなり、頼る人物も手を差しのべてくれる人物もいなくなり、全国ネットのニュースを騒がす大きな事件を起こすことになる。関係のない一般人を無差別で複数人刺殺したのである。もし私があのまま薬物に依存したままの状態だったら、私がそんな事件を起こしてしまったかもしれないと思うと背筋が寒くなる思いだ。

もう一人、恩人と言ってもいい人物は暴力団組織には登録していないがそれなりの付き合いがあり若くして様々な事業をしている人物であった。事業と言っても非合法のものが大半を占めていたのだが。その人は悪い事をするのはいいが薬物はやめろと私にきつく言ってくれた。年は十歳ほど上で、私が面接に行った闇カジノを経営していた人物だった。やっていることはアレだが薬物をやめさせることに関しては親身になって世話をしてくれた。一年以上の苦闘の日々だったが無事に薬物依存から回復することが出来た。それから少し私は上京することになるが、地元に戻ってからも面倒をよく見てくれて、三十年近く経った今でも交流をもっていて、いつも気に掛けてくれている。

この二人との出会いがなければ、私はどうなっていたか分からない。薬物中毒になったからこそ恩人に会えたわけだし、若い頃から薬物を使用することをやめられなければ、彼のあのような惨劇を私が起こしてしまっていたかもしれない。今になって思う事だが人との出会いというものは、本当にふとしたことで繋がるもので、それをいい出会いにするのも、悪い出会いにするのも全て自分自身なのだと思った。

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うつ病父さん
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