故郷に帰りたい
大雨に地震・・・どうしたんでしょうね、今日は夫と喧嘩もしてしまって・・・夫もメンタル不調。あ~ヤダヤダ!おセンチメンタルよ~と見上げた雨上がりの空が綺麗でしたので載せますね。
「あ~、故郷に帰りたい!」
きっと同じような気持ちの方も多いかと思い、今日のお題を書きます。
私が次に故郷に帰れるのは、いつになるのでしょう・・・?
大型連休の移動自粛要請が出ましたが、帰る段階ではないですよね・・・!
周りを見ると、結構「奥様と子供」が疎開しているパターンが多いですね。夫側の故郷に帰省していて、今度は自分の故郷へ羽田を経由せずに帰る方法を画策している方もいます。逃げたいのは分かるので、ここで非難する気はないです。
東京なんてほとんど田舎者の集まりですからね。都知事も兵庫の人。非常時は地方に散らばります。私も本当に大変になったら、インドの方のように歩いて帰るかもしれないです。人間、何をするやら・・・。
まず、移動手段が止まっていないですからね・・・。石垣島のようなことになるのも当然・・・。石垣島の場合は旅行者ですけれども・・・。
・・・親が居たらいたで、面倒くさいところもありますが、馴染みのある場所でほっとすることで英気を養ってきました。帰る場所、待っていてくれる人がいるというのは有り難いです。
両親も、犬も老いました。しかも父は病気。あと何回会えるのか・・・?
仮に両親が100歳まで生きるとし、年に3回帰省すると考えた場合、単純計算で数えても、残り60~80回程度です。貴重だと思いませんか。
どんなことがあったとしても、自分をこの世に生んでくれた存在です。
実家の書棚の奥には「毒になる親」が鎮座していますし、専業主夫であった父への違和感を抱え続け、悩んでいたのも事実です。しかし、病気になったとき、自分の命を捨ててでも良いから治って欲しいと言ってくれたのは、両親と祖母だけでした。
当時、「パニック障害になったのは父のせいだ!」と、責めたのを思い出します。情けないことに、何かのせいにしたかったのですね。過去の私のように、他責をしているうちは、立ち上がるのが難しいです。
病気になったのも、自分の運命だと受け容れ、「自分の人生に責任をとる」と考えられるようになってから、人生が好転しました。
もし、周りのせい、環境のせいにして、鬱々と過ごしていたら、今も引きこもったままかもしれないな・・・と時折、思います。
Twitterのフォロワーさん達も、他責をしている方が多く、「分かる、分かるよ~」と思いながらも、そこから脱出して欲しいという気持ちになることも・・・。勝手なことを言ってごめんなさい。
以前、クライアント様に「嫌われ松子の一生」のような人生だとおっしゃっている方がいらして、実際に気の毒すぎたのですが、上司が「どうして不幸ばかり選んでしまうんだろうね、幸せになりたくないのね」と、ミーティングで仰っていたのが印象的でした。
私は上司に返しました。「幸せになりたくない人はいないです」と。
その方も、最初にお会いしたときは環境のせいばかりにしていたけれど、「自分の人生を見直してもう一度生きたい」と仰るようになってから、目に力が戻ってきたというか、表現が難しいのですけれど・・・他人軸ではなく、自分軸になったのですね。
みんな、幸せになりたいんです。でも、運命はときに残酷です。
だから死にたい(生きたい)のです。
ああん、生きたい・・・!おうちに帰りたい~!!