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【オーダーメイド物語】瑠璃の鏡に己を問いて

――近く遠く囁くような『声』がする。

魂へと染み込むようにやわらかく優しく温かく語りかけてくる声に、私はまどろみから顔を上げた。
そこは見慣れぬ紺青に染まった塔の内部。
手に掲げたランプが、ラピスラズリの欠片を燃やして道を照らす。
いつの間にといぶかしみつつも、耳元で囁くように届いた儚い泡沫の音に誘われ、胸の奥にわだかまる重苦しさはそのままに、私はひとり、螺旋階段を降りていく。
降りて降りて降りて、永遠に続くと思われた螺旋が不意に終わり、ひとつの扉が浮かび上がった。
オリーブの意匠が彫り込まれ、美しくも不可解な紋様が浮かぶセラフィナイトの扉だ。
刹那、記憶がひとつ弾けてひらめく。

ああ、そうだ。
思い出した。
今宵は《月渡りの儀》――夢幻図書館が開く特別な夜なのだ。
 私はこの日をこの瞬間をずっと待っていた、焦がれていた、望んでいた、求めていたのだと、焦燥に駆られながら『扉』に手をかければ。

「……あ……」

 意識が浮遊感とともに閉ざされる。

 *
 *

 遠く近くひそやかにして澄み渡る旋律により再びの目覚めを得た私は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
 瑠璃と翡翠がとけあう視界の中で、水の泡が下から上へと昇り、上から下へと降りる月の光に星々は瞬き、上も下も存在しないほどに果てしなく螺旋を描きそびえる半透明の本棚が、深海の如く静寂を生み出しながら道を作る。
 幽玄にして夢幻。
光の粒をこぼしながら頭上をゆるりと泳いでいく大きな影――アレは常世に棲まう星鯨だろうか。
 現実感からはほど遠い、位相を違えたこの世ならざる美しさに身を浸し、私は思考する。
 夢幻図書館は『世界』が見ている『夢』であり、生きとし生けるすべての『存在』が積み重ねた『記憶』だと聴く。

伝えず飲まれた言葉は泡に。
叶わず砕けた願いは魚に。
埋葬された想いはすべて、真珠を宿す貝の内に。

 それらは永すぎる時を経て、やがて本のひとつに形を取り、誰かが手に取るのを待ちながら、海に沈んだ書の迷宮で眠り続けるのだ。
 この手を伸ばせば、私は届かなかった先人の記憶に、想いに、願いに、理想に、触れることができるのだろう、識ることができるのだろう。
 けれど、私が求めるものはそれではない。
視界の端にかすかな誘惑を覚えながらも、深海へと潜っていくように、世界の見る夢と記憶を宿した幻影を歩む。
切ないほどにいとおしい旋律を遠くに感じながら、一歩進むたびに浮かんでは消えていくのは、私の中の私の想い、記憶、言葉、切なさ、問いかけ、悔恨、懺悔、哀切、悲哀、不安、痛み、苦しみ、愛、欲、願い、重責、怒り、憤り――
それらがふつりとよみがえり、ぐるりと巡っては小さな魚となって泳ぎ出し、混ざり合いながら溶けていく。
 とりとめもなく、けれど確かな質量で、私の中の私がこの図書館に溶けていく。

「これは代償なのか? この場所に踏み入れたが故の……」

いつしか迷宮の壁は途切れ、魚たちの群れも消え、ラピスラズリのランプも消えて、私は大広間の中央に浮く瑠璃の花で縁取られた大鏡を前に、ぼんやりとたたずんでいた。
覗き込めばその鏡の中では、革命家や指導者、司祭、王族を支えうる存在、魔女と呼ばれた賢者が壮麗なる書を携えて、目深にかぶったローブの内でかすかに微笑んでいる。
 投げかけるべき問いを、促されている気がした。
「……私は……私はどうすればいい? どうすべきだったのだろうか」
深く意識する間もなく、ふつりと口からこぼれた言葉が冷たい床に零れ落ちる。
『どうする、とは?』
「私は正しいことを、正しい選択を、正しい在りようを、実現できているのだろうか」
『あなたのいう、正しいとは?』
「ただしい、とは……それは……」
短い言葉によって引き出されては生まれる自問自答。
それらが私の足元に積もり、身動きひとつままならなくなっていく。
「為すべきことを、為せているのかということだ」
『では、あなたは何を成そうと思う?』
「私は……私が成したいことは……成してきたことは……」
 私はただ、願ったのだ、人々の幸福を。
 そうして神より賜った力により、その者の望み、その者の進むべき道筋が見えるが故に、神の言葉を民へと降ろし、導き手として――あるべき姿であろうとしてきた。
「私は……」
 ああ、そうだ、この胸の内にあるのは、目を逸らしたくともできずにあったモノは、恐れ。
 父の姿が、家臣の視線が、民の声が、渦を巻いて惑わせる。
これで良いのかと、許されるのかと、正しいのかと、絶えず問われ続けているのだ。
「私の一言は毒にならぬか、その一言は刃にならぬか、この一言は破滅に導くものとならぬか、私の発する言葉たちが罪業にまみれてはいないのか……己が治世に価値は生まれるのか、その疑念がどうしようもなく苛むのだ」
 ひとりひとりの命が、人生が、未来が、すべてが、圧倒的な質量をもって我が身にのしかかるのだ。
『その重みをなぜ、あなたは我が身ひとつに背負おうとするのか』
「……それは……」
『導き手たる力を以て生き、なすべきことをなし、他者のためにと願うあなたは、ひとりでいるべきものなのか? 皆があなたに孤独であれと望んだか?』
「……それ、は……」
 不意を突かれて途切れた思考の合間に、突如、幼子の祝福に満ちた声が飛び込んできた。
 あどけない笑い声をあげ、きらきらとあふれる星屑とともに軽やかなステップを踏んで、光をまとった子らが手に手を取って無邪気に踊り、駆けまわる。

『しんじましょ』『たのしみましょ』『おもいきり』『こえをあげて』『わらいあいましょ』

幼くあどけない笑顔とともに小さな手が私に触れて。
その瞬間、心の奥底に隠れていた想いが大きくはじけた。
やわらかであたたかな幸福感、あるいは大きな安堵が、私の中の虚を満たす。
「私は私の思うままに生きてよいのだと、言の葉のチカラを使うに足る場に己は在るのだと、あなたはそうおっしゃるのですか」
急速に意識が、世界が遠のいていくのを感じながら、必死に声を上げて問いかければ。
 鏡の中の魔女にして賢者が、私と同じ顔をした彼女が、やわらかな笑みで頷きを返した。

 *

愛らしい小鳥の歌声と穏やかな日差しの中で、私はゆるりと夢の縁から浮上する。
「陛下、儀式からのご生還おめでとうございます」
涙に潤んだ侍従の歓喜に寄せた声とともに、失われていた記憶が戻る。
数多の重責から逃れるように『魔女の果実』を口にし、月渡りの儀へ身を委ね、私は儚く長い眠りの旅へと落ちていたのだと思い出す。
 追い詰められていたのだ、それほどまでに、このまま命を落としても仕方がないと思うほどに危うい中で執り行ったのだ。
だが、もう大丈夫、もう憂いは払われ、視界を覆う霧もまた晴れた。
私は己の責務を胸に抱き、しっかりと己の両足で立って見せる。

「待たせた。さあ、なにから始めようか。やるべきことは多いが、やりたいことをまずは皆であげてみないか? 話したいこともたくさんあるのだ」

そばに控えていた家臣たちへ向け、そう宣言してみせれば、彼ら彼女らと私の頭上に天の祝福たる晴れやかなファンファーレが鳴り響いた。


***
◆オーダーメイド物語
あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語
▶︎ご依頼内容:
キャリアコンサルタントとして活動されているご依頼主様の想いや活動をベースに物語を綴らせていただきました。
キーワードは、『いっそ働くことを楽しんでみませんか』『生まれ持った素質を活かす』のふたつを据えて。


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