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湯けむりサスペンス劇場

だあれも知らない町で温泉につかる開放感に思わず「ほぅ」と、吐息がもれる。
いい湯だな、アハハン♪

ひなびた温泉町の銭湯にふらりと立ち寄った。午後3時すぎ。お客さんもまだ少なかった。常連らしきおばちゃんが、私ににこりと笑いかける。私もにこりと笑いかえす。
(親しみを込めて”おばちゃん”と呼ばせていただきます。どうぞお許しを)

そこへ、もう一人おばちゃんが入ってきた。
慣れた調子で初対面の私にも気さくにあいさつしてくれる。
いい人だな、アハハン♪

私は、髪を洗おうと湯おけに腰かけた。
気のいいおばちゃんは私の左どなりを陣取った。

「あら、久しぶり、元気だった?」と、私ではなく、左奥の人に声をかけ、泡を立てた自分の垢すりで他人ひとの背中を洗いはじめた。

おや?自分の垢すりで他人ひとの背中を?と、確認したい欲求に後ろ髪を引かれながら私は髪を洗った。

「ありがとう」と声がして、どうやら左奥のおばちゃんの背中を流し終えたようす。
すると、気のいいおばちゃんは、その泡のついた垢すりを手に立ち上がった。
シャンプーしながら私が片目で追うと、チラリと横目で私をみた。間違いない。

やはり、おばちゃんのマイ垢すりだ。

そして、私を通り越して、どれどれ、と今度は私の右どなりのおばちゃんの背中をこすりはじめたではないか!

たった今、左奥のおばちゃんの背中を洗った泡のついたマイ垢すりで、だ。
キャァァァーーー!(SE:悲鳴)

私はしっている。
私の右どなりのおばちゃんは、もうすでに自分のボディタオルでちゃんと体を洗い終えたってことを。

ひかるなみ

私は思い切り目をつむり、あわててシャンプーを洗い流した。そしてリンスもしないで湯船に飛び込んだ。
まさかとは思うけど、次は自分の番のような気がしたからだ。

右どなりのおばちゃんから、ありがとうと小さな声が聞こえたけれど、私はもう、振り返ってみもせずに、貼りだされた温泉の効能を読むふりをした。どこかの大学の教授が監修したらしい平成30年の記事だった。

裸のつきあいで背中を流し合う。なんと睦まじい光景だろう。ちょっぴりうらやましくもある。ただ、ひとの垢でこすりあうのはごめんである。

自分の無作法を恥じながら、「お先に」と小さい声であいさつして、そそくさと湯から上がった。

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