セルソースに転職して2年。大いなるアンラーニングの時が来た。
今回のnoteは、いつものように「テーマ」を掲げての内容ではなく「私自身」の話です。
なので、何かしらの学びが提供できる訳ではないのですが、良かったら最後まで読んでいってください。
僕にとって、とても大事な意思表明noteです。
3年前に掲げた「人生のスローガン」
「目に映る人々を幸せにし続ける」、これが私が3年前に掲げたスローガンでした。その背景について、まず少しだけお話しします。
「絶対に成功させる」という意気込みで乗り込んだブラジルとウクライナ
私は2009年に住友商事に入社し、2014年にアグリサイエンス部という農業資材の営業部隊に異動しました。
それまでに財務・会計関連の"机上"の知識を一通り学んでいたこともあってM&A専属となり、そこから退職する2022年3月まで、一貫して海外M&A(と勝手に始めたベンチャー投資)をやっていました。
ブラジル案件は二番手で、ウクライナ案件は主担当(というか、営業側は私一人のみ)で携わり、運よく投資実行となりました。
それぞれPMIで現地に張り付くことになるのですが、滞在開始時は「絶対にこのM&A案件を成功させ、社会に貢献するんだ!」と肩に力が入りまくっていました。
業績を伸ばそうと、銀行との金利交渉、サプライヤーとの価格交渉、地方農家の訪問行脚、会社の課題の分解と解決策の提案、、、本当に多様で沢山のことをやりました。
業績が改善した本当の理由
どちらの案件も、買収後ずっと右肩上がりで業績が伸び続ける素晴らしい案件となったのですが、僕個人の"do”の貢献は0.1%くらいでした。
一番の理由は、「社員の笑顔が増えたこと」。
住友商事傘下となったあと、課題が解決されていくことで社員の負担が軽くなったり生産性が上がったのは事実です。
ですが、それによって社員の笑顔が増え、給料が上がり、その家族が幸せになり、社員が幸せになり、その隣の社員の幸せになり、、、その好循環が売上増/コスト減/トラブル減に繋がっていたのです。
特にどちらの案件も「営業マンが農家を直接回る」労働集約的モデルであったこともあり、営業マンの表情一つが業績に大きな効果があったのです。
この様子を2案件立て続けに目撃したことで、私は
と確信しました。そして同じタイミングで執筆していた「住友商事を変える21の施策」という社長宛論文(90頁)の結論が
に着地したことが重なり、「Human Resources」という業務領域に携わりたいと強く思い、完全未経験ながらHR領域目掛けてセルソースに転職しました。
この過程で辿り着いた自分の人生のスローガンが「目に映る人々を幸せにし続ける」でした。
この2年間に起きた大きな変化
「セルソースにおけるHR」の変化
転職後、HR戦略部長と二人三脚、そしてメンバー達と三人四脚、四人五脚で、「溢れ返り、そして止めどなく増える課題」を解決していくべく、出来る限り上流で根本的な課題に対して一つ一つ解決策を当ててきました。
昨年4月までの取り組みはこちらのnoteにまとめてありますが、この後も新たにリーダーシップ研修やメンバー向け研修、ワークショップ、、、本当に新しいことを一つ一つ導入し、ブラッシュアップしてきました。
今はHR戦略部メンバーの3名がいわゆる「HRBP」としての動きもしており、各担当本部・部との対話を通じて課題を洗い出し、そこを一緒に解決していっています。
たった2年間ではありますが、その変化は明らかに非連続的であり、私含めて全員が胸を張れるものだと思っています。
「セルソース自体」の変化
そして、この2年間で、セルソース自体の状況も変わりました。
つまり、「加工受託事業を渋谷でやってるグロース企業」から「複数事業を複数拠点で推進するプライム企業」に変化しました。
本業も伸ばさないといけないし、新規事業も軌道に乗せないといけない。中期経営計画を作成し、より時間軸の長いロードマップを引かないといけない。コストもより管理し、IRもより重要になってくる・・・。
一言で言えば、「会社としての複雑性が指数関数的に上がった」と感じています。
自分が「何をすべきか」をゼロベースで考える
そんな大きな変化が起きている中で、「自分の為すべきこと」の変化が追い付いていないこと、そして今こそ大きく変化すべきことに気が付きました。
過去~現在の「管掌領域」と「業務領域」
①入社~入社1年後
「自分のWillかどうか」「会社のMustかどうか」という二軸で仕事を分類してみると、入社後1年くらいは以下のような形になっていたと思います。
つまり、「自分に任された管掌領域の大半はwill and mustであり、その中で特にwill and mustなものを自分で実行している」という状態です。
これは「常にモチベーションが維持され、そしてそのモチベーションから生まれるアウトプットが会社の経営課題解決に直結する」わけであり、1つの理想的な状態だと思います。
②入社1年後~入社2年後(今日)
そして、直近でこの表に目を向けてみると、このようになってしまっていたと気付きました。
「自分の管掌領域は広がり(M&A、IR、中計)、経営課題も大きく変化しているのに、自分のwillを気付かぬうちに優先し、better領域もやってしまっていた」ということです。
私が「意図」してこのようにしていたわけではありません。というのも、「better領域の業務を増やした」訳ではないからです。
過去のmust業務も、それが結果を出せば対象となる経営課題は解決されていくわけなので、徐々に左側に移動するはずです。それに気づかずに同じ業務をやっているだけで、このようになってしまうわけです。
この「移動」に気が付くのは中々容易ではなく、残念ながら重心がズレてしまっていました。
今こそゼロベースで見直すとき
ですが、新社長である澤田さんとお話しする中で、「なんでそれを細田がやってるの?」、そしてその反対である「なんでこれをやってないの?」という"そもそも"の問いをいただいています。
その問いを通じて内省した時に、上記の事態に気付くことができました。
セルソースの6 valuesの一つに「ZERO-BASED DECISION」がありますが、このような「真にゼロベースの問い」を自分に立ててこれたかというとそうではなく、それが出来てこなかった自分に対する悔しさもあります。
ですが、この貴重な気付きを得られたことは財産であり、早速具体的な変化を実現させていきます。
つまり、①自分の管掌領域自体の「MUST」比率を高め、②私自身の「Will」は一旦横に置き、「超MUST」のものにのみ私が直接携わる、そういう形に常になるように意識していきたいと思います。
自分のスローガンに自分が囚われていた
冒頭に紹介した私のスローガンである「目に映る人々を幸せにする」。
この時の裏側には、「経営や事業自体は他の人がやること。その人たちを僕が幸せにすることで、社会が良くなればいい」という想いがありました。
これは、既述のブラジルとウクライナ案件の時に、「その方が効率がいい」と思ったことが原体験になっていると思います。
ですが、3年前の私の立場は「住友商事の1社員&出向先のFinancial Controller」。今は「執行役員・経営企画本部長」。
立場が大きく変わっているにも関わらず、その当時のスローガンを言葉も想いもそのまま引きずってしまっていたことで、どこか間違ったところに線引きをしていたように思います。
アンラーニングの定義は
と理解していますが、まさに今僕にアンラーニングが求められており、スローガン自体の言葉選び、そしてそのコンテクスト、両方をアップデートすべき時が来ているように感じています。
おわりに:アンラーニングは如何にして。年を取ることが初めて怖くなった。
僕は昨年、Teamboxさんのリーダー育成プログラムを受けた時に、一つ大きなアンラーニングを経験しました。
「自分の対外コミュニケーションの仕方」が「2015-2019年頃のM&A交渉時の成功体験」を引きずり、アップデートされていなかったことに気付くことができ、その後大きくやり方を変えることができました。
これは、Teamboxのグローストレーナー・小暮さんとの対話の中で気付くことができました。そして今回は、澤田さんとの対話の中でアンラーニングポイントに気が付きました。
それら経験から思うのは、「本当に必要なアンラーニングは、自分でその予兆を感じることすら無理」ということです。
「めちゃくちゃ根深い価値観や体験」は完全に自己と同一化しているので、自分で違和感を覚えることすらあり得ません。
「完全に当たり前だと思っていたことが違っていた」という体験を2年連続してみて、年を取ることの怖さを強烈に感じました。
これから生きていくにあたり、よりアンラーニングを意識していこう、と誓った一週間でした。
4,000字に渡る自分語りを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また来週からは、いつも通りのnoteに戻りますので、よろしくお願いします。
細田 薫
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