組織論と個人の気持ち
以前マネジメントについてマクロ視点とミクロ視点がありますよというお話を記事にしました。
今回は少し掘り下げて、組織論と個人の気持ちというお話を考えます。
マクロにみるとみんな歯車?!
マクロ視点=環境と以前の記事で書きました。
組織論とはこのマクロ視点に立って会社やチームを概観することを指します。
それはつまりチームメンバー全員を平等にみる=個性をはぎ取って機能だけで見てみるという行為になります。
これだけ聞くと随分血も涙もない話に聞こえるかもしれませんが、実はこれをしないと、プレイヤーの皆さんの個性を殺すことはなくても、生かしきれない、衝突させてしまう可能性が出てきます。
組織論ではまずすべてを要素として考えます。
人も同じです。何が好きで、誰と仲が良くて、週末何をしていて・・・といった人間臭さを一切排除して単純な労働力とみなします。
一日の営業時間中、どういうスキルを持った人間が何人必要で、それを週単位で回すにはどれぐらいバファが必要で、それをさらに月単位で考え・・・とあくまですべての人間が、スキルの種類に違いはあれど、同じように働いてくれることを前提にフレームを考えます。
そのフレームが決まったら今いるメンバーを実際にそのフレームに配置してみます。
これは自分の頭の中でもいいですし、権限があるなら実際に配置してしまってもいいかもしれません(何かあっても自分の責任になるだけです)。
するとフレームとメンバーの間に必ず矛盾や不足、違和感が発生します。
それは当然です。このフレームは個性をはく奪して作ったものなのですからそこに具体的な人物を当てはめても、うまくはまれば儲けものではまらないことがほとんどです。
しかもそれが複数人いて相互に影響しあっている、お互いがお互いの環境要素になっているわけです。
ここからがミクロのお話
それを踏まえたうえで、メンバーの皆さんにどこまでこのフレームと配置に納得してもらえるか、個人の気持ちに寄り添えるかの話になってきます。
各個人が今の環境(組織)をどう思っているのか、どうありたいのかを真摯に聞いて、その上で自分がどういう経路で組織のフレームを考え、今のメンバーを配置したのか。その結果どこで矛盾や不足が発生しているのか。
ある意味赤裸々にすべてを伝えて、メンバーからもらった思いも合わせて不完全ながらも組織を前に進めていく。
その中で矛盾や不足を伝えてあれば率先してそこを埋めようとしてくれるメンバーも現れてくれるはずです。それが成長でしょう。
視点を切り替える癖をつける
なぜこの話を記事にしたかというと、多くの人がミクロ視点からの問題解決に偏りがちだからです。
多くの会社では経営者の方がすでにフレームやメンバーの配置を終えておりその中で結果を出していかないといけない環境もあるでしょう。
そのため多くの人がミクロの視点から個人にフォーカスを当てて、問題があればそれを個人のレベルで解決しようとします。
ところが実はその問題はフレームの問題だったり配置の問題だったりがよくあります。
それも自分の権限の範囲内でちょっとフレームや配置を変えるだけで解決してしまうことも多々あるのです。
組織のどこに配置されていようと自分だったらどういうフレームを組んで、どういう配置にするか考えてみると結構面白いものです(私はずっとそんなことばっかり妄想して遊んでます)。
陳腐な言い方をするなら、人を変えることは無理なんだから変えられるところから変えてみようよなどと思う次第であります。