一四九八年五月二十三日、サヴォナローラ処刑。
失職したマキアヴェッリの想いは?
これからマキアヴェッリの「現役時代」の話になるのだが、その前に「失職した想い」を想像するのは、順番が逆であるようように思われるかもしれない。
しかし、「現役時代」のマキアヴェッリは、まさに八面六臂の大活躍なのである。
それでいて「失職」してしまうのだということを念頭に置いておかないと、マキアヴェッリの想いに寄り添うことはできない。
しばらく、塩野さんの引用を続ける。
眼をあけて生まれてきた男
マキアヴェッリは、富豪というわけでもないが、貧乏というわけでもない、という家系に生まれる。
そして、工房にも入っていなければ、大学にも聖職界にも入っていない。子どものころから異才を放っていたわけではない。
「標準」というか「平均」というか「真ん中」というか、これと言って目立った生まれでも育ちでもなかったようである。
今ではこの点は、あまり重要ではないと考えている。
“学歴コンプレックス”でイライラした人に、
「キャリアなんて関係ない!」
と吹っ掛けられたことがある。
なので、
「そうだ、中卒新人だ!」
と言い返してみたら、爆笑だったんだけど。
考えてみれば、高校生のアルバイトに仕事を教えても、できる人はできる。
中年どころかそろそろ老年だというのに、出世して肩書までついているというのに
「そんなこともできないの?」
と白い目で見ることすら諦めるような人もいる。
子どものころ、少年のころも重要だと思うが、青年期、成年期だって重要である。
伸びる人はいくつになっても伸びる。成長する人はいくつになっても成長する。学習する人はいくつになっても学習する。
マキアヴェッリはそういう人だったのだ。
「眼をあけて生まれてきた」人であれば、先生はいくらでもいる。誰からでも学習する。
生粋のフィレンツェ人
子どもに混じって「缶蹴り」したことはないけれど、馬鹿騒ぎするのは好きだという、自分の「不徳」を言い訳はできそうである。
両方の極端に走りながら、それが一人の人間の中にあり、それで力を発揮する。
それがフィレンツェ人であり、ロレンツォであり、マキアヴェッリだったのだ。
だが、ロレンツォとマキアヴェッリが“生粋のフィレンツェ人”であったとしても、時代が違った。
フィレンツェの独立と自由。
イタリアの独立と自由。
それが「両立」する時代に生きたのがロレンツォで、「背反」してしまう時代に生きたのがマキアヴェッリである。
そのいきさつは、【読書】『わが友マキアヴェッリ』第一巻②で書いた。
サヴォナローラの支配下に入ってしまったフィレンツェの「ツケ」は、イタリア内で孤立という形で払わさせられることになる。
ゆえに、マキアヴェッリの「現役生活」は「ツケ」の支払いで東奔西走させられるハメになる。
一四四九年、ロレンツォ・イル・マニーフィコが生まれる。
一四六九年、ニコロ・マキアヴェッリが生まれる。
その差、二〇年。
「現代は、変化のスピードが速いから・・・・・」
と人は言うかもしれないが、ロレンツォとマキアヴェッリだって二〇年の差しかない。それなのに、フィレンツェを取り巻く環境がこうも変わっている。
「失われた二〇年」がいつのまにやら「三〇年」になってしまったけれど、そんなことをいってへこたれている場合ではない。
マキアヴェッリは、へこたれなかったのだ。
“生粋のフィレンツェ人”のバイタリティ。熱くてもクールなインテリジェンス。
マキアヴェッリの活躍は第二巻に詳述される。